バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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伊藤武コラム【スパゲッティのルーツ】

伊藤武コラム【スパゲッティのルーツ】

スーパーのおサカナ売り場をのぞくと、ありました。カタクチイワシ!
しばらく出まわらなかったのです。2年ぶりの再会です。パスタやピザに欠かせないアンチョビの材料です。あるだけ買い占めました。といっても4パック。160尾ぐらいでしょうか。
数時間かけて、頭を落とし、手開きして、ワタと骨を除き、塩漬けにします。
まあ、これで1年はもつ。わが主食のひとつ、手打ちスパゲッティは、これも手作りアンチョビとベランダで栽培しているハーブ(パセリ、オレガノ、バジルなど)があればなんとか食える……
さて、今回は、スパゲッティのルーツのお話。
「スパゲッティはオラが国が元祖だ。マルコ・ポーロが持ち帰ったんだ」とチャイニーズは言い張る。
「ふん、スパゲッティなんて、古代からあったさ。『アピシウスの料理書』(古代ローマのレシピ本)にも書いてある」とイタリアンのプライドは譲らない。
どちらが正しいのでしょう? わたしなりに判定を下してみましょう。

“パスタ”は「小麦粉のねりもの」ぐらいの意味。スパゲッティだけではなく、ペンネ、ラザニアなども含みます。スパゲッティはロング・パスタということになる。
そして、紀元前のローマ時代から確かにありました。今のとほとんど変わらないパスタを作る道具がBC.4世紀の遺跡から出土しているから、まちがいない。
つまり、スパゲッティは2000年以上の歴史を経て現在に到っているわけです。ついでに云っておくと、アンチョビをさらに発酵させてハーブ入りの魚醤油にした、ガルムというソースもありました。
つまり、アンチョビもスパゲッティも、2000年以上の歴史を経て現在に到っているわけです。
今日のイタリアのスパゲッティの意外な輸出先がアラブ諸国。ですから、スーパーなどで見るイタリア産のスパゲッティのつつみに、あのミミズがのたくったようなアラビア文字が記されていたりします。アラブでは、スパゲッティは、羊やトマトのスープに入れて、
ウドンのようにして食べることが多いようです。
中国の「麺」も“パスタ”とほぼ同じ意味で、「小麦粉のねりもの」。ギョウザや餅(ピン:日本のモチとはちがって、インドのチャパティとほぼ同じもの)も含まれますが、ソバ粉のメンやビーフンは「麺」とはいわない。
中国は、小麦にかんしては地中海に比べるとずっと後進国で、小麦文化は中央アジアに学びました。それが証拠にAD.6世紀に編纂された中国現存最古の料理書『斉民要術』(せいみんようじゅつ)には、小麦の蒸しパン、饅頭(マントウ)はまだありません。かわりに胡炉(タンドール)で焼くナーンが「焼餅」(シャオピン)の名で紹介されています。饅頭も、はじめは蛮頭の字をあてたことを考えると、西域の蒸しギョウザ、マントウが起源と思われます。
だとしたら、勝負あった。イタリアのスパゲッティは、チャイナと何の関係もない——といいたいところですが、それが先述したアラブを介してつながってくるのです。

中国人が小麦食にオリジナリティを発揮するのは唐代以降のこと。すなわち、多様な、今日われわれがイメージするような麺類が登場します。8世紀ごろ、麺棒で平たく延ばした小麦の生地を包丁で切り分ける切麺(きりめん)や小麦の生地を手指で引き延ばす拉麺(ラーミェン)が開発されました。
これが鎌倉時代、日本に渡来して饂飩(うどん)や素麺(そうめん)になるわけですが、それより前に西域に伝わり、中央アジアのトルコ系の人びとに“ラグマン”として受容されます。ラグマンには手で延ばすのも、包丁で切るのも両方ありますが、名前からして中国起源であることは、まずまちがいない。
ラグマンは、アフガニスタンを通って(アフガニスタンでも麺を食べる)アラブに伝わり、“ルグマーン”と訛ります。アラブ人もはじめは生麺を食べていました。
生麺は砂漠の熱で自然と乾麺になります。それが保存と持ち運びに耐えることに気づきました。乾麺が主流となりました。それが9〜12世紀のアラブ人のシチリア支配期、ピラフやソバなどとともにイタリアに伝わった。——といえば、もう、おわかりでしょう。
イタリアで乾燥スパゲッティが普及するのは、16世紀のことです。
それにしても、この間に、インドに麺が伝わらなかったのは、ちょっと不思議です。

伊藤武ちょこっとサンスクリット【マディヤ madya मद्य】


今日とは異なり、古代のインドはお酒に寛大だったようです。アーユルヴェーダのチャラカ先生も、
「酒は、理にかなった飲み方をすれぱ、甘露のごとく有益になろう」
と酒好きには嬉しいことをおっしゃい(理にかなった飲み方——というのが難関)、当時つくられていた84種類の酒とその効用を説かれておられる。
そこで、今回はサンスクリットの酒のあれこれ。古代文献にはいろいろな酒が出てきますが、訳書では全部「アルコールの一種」で片づけられる。それではつまんないですからね。

日本では、日本酒も、ビールも、ワインも、焼酎も、ブランデーも、ウイスキーも、ラムも……全部「さけ」ですが、これに相当するお酒の総称はマディヤ(madya)。語源は、以前述べた「魚」のmatsyaと同じ√mad(酔う/喜ぶ/狂う)。「酔わせるもの、喜ばせるもの、狂わせるもの」——酒の真実を語っています。
この“マディヤ”を化学的に定義すれば、「液体中の糖分が酵母の作用によって、アルコールに変化したもの」。はやい話、砂糖水にパン用のドライイーストを放りこむだけで、アルコールに変わります。
インド文明最初のリグ・ヴェーダ時代に飲まれた酒は、ターリー(tālī)とスラー(surā)。
ターリーは、ナツメ椰子(tāla)の樹液が発酵したもの。糖分をたっぷり含んだヤシ類の樹液は、壺に容れておくだけで、天然酵母の力で、勝手に酒になってくれます。tālīは英語化してtoddyとなり、今日のインドでも椰子酒は、トリー、タディーなどとこの系統の言葉で呼ばれています。
スラーは穀物をかもしたドブロク。リグ・ヴェーダの舞台はインダス文明圏と重なる西北インドで、主食は大麦(yava)。スラーも大麦からつくられました。
穀物から酒をつくるには、デンプンをいったん糖化しなければなりません。大麦の場合は、そのモヤシ(麦芽、モルト;梵tokma)が糖化剤となります。
ヴェーダ語を話す人びとは、インダス流域から稲作に適したガンジス方面に進出します。かれらは米からもドブロクをつくるようになり、後にこれがスラーの主流となります。米のスラーは、はじめは大麦のそれと同じく米のモヤシを用いて糖化させていましたが、やがて麹(こうじ;梵kinva)が発明され、より強くて美味しいスラーが作られるようになります。くわしくは、http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-110.html
ちなみに、現代サンスクリットでは、ビールは“ヤヴァスラー”(yava-surā;大麦酒)と称されます。
また、古代にはマンゴーからも酒が作られました。この、正しくはスラー(穀物酒)ではないのですが、“マハースラー”(mahāsurā;偉大なる酒)と呼ばれたマンゴーワインは、現代インドでよみがえっています。甘味は消え、香りのいい、すっきりとした、ちょっとお奨めのお酒です。
糖分がアルコールになるわけですから、当然サトウキビの汁からも酒が醸されます。生の搾り汁から作ったものは文字どおりシータラサ(śīta-rasa;冷たい汁)、煮沸した汁から製したものはパクヴァラサ(pakva-rasa;沸かした汁)と称されました。
煮沸していないハチミツは天然酵母のかたまりですから、水で薄めるだけで酒になります。日本でふつうに売ってる煮沸したハチミツも、3倍量の水で薄めて、ドライイーストを混ぜれば同じようなものになります。いわゆるミードですが、サンスクリットではマドゥワーサヴァ(madhu-āsava;蜜酒)と称されます。
サトウキビの汁、またはハチミツをベースにして、アーユルヴェーダ薬剤のメーシャシュリンギー(ギムネマ)、コショウ、ヒハツ、トリパラーなどを投入しますと、マイレーヤ(maireya;雑酒)と呼ばれるものになります。ギムネマはいうまでもなく糖尿病や肝臓病の特効薬ですが、古代の醸造レシピにはひんぱんに登場する。たしかに、呑んべいも、ギムネマ酒であれば、糖尿や肝臓の心配をしないですむ(?)。
ブドウからつくったワインは、ドラークシャラサ(drākṣa-rasa;葡萄酒)と称され、古代にはインドの一部であったアフガニスタンでつくられましたが、金持ちはローマ帝国から輸入したワインを好んだようです。ブドウのワインも、最近のインドではいいものが作られるようになりましたね。
蒸留酒は、遅くても西暦紀元前後には飲まれていたようで、ガンダーラ(今日のパキスタン北西部)の仏教遺跡からは、仏像に混ざって多くの蒸留器が出土しています。

酒の話はキリがないので、このへんで止めておきましょう。
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伊藤武コラム【バリの音】


しばらくバリ島に遊び、帰国してまっ先にとびこんできたニュースが、ムッシュかまやつこと釜萢弘(かまやつひろし)さん死去の知らせ。ああ、昨年のモハメド・アリにつづき、わたしの小学生時代以来のアイドルが、またひとり逝ってしまいました。
ムッシュかまやつは、1960年代に人気を博したグループサウンズ、スパイダースの中心メンバー。田辺昭知、堺正章、井上順、加藤充、大野克夫、井上孝之といったそうそうたるメンバーをそろえたスパイダースは、グループサウンズのなかでも演奏力にすぐれ、オリジナル曲で勝負できた唯一のバンドでしたが、
それらの楽曲のほとんどを手がけたのがムッシュでした。彼がいなければ、その後のジャパンポップスも大きく違ったものになっていたでしょう。
わたしがバリ島を知ったのも、スパイダースを介してでした。かれらは1967年に『バリ島珍道中』という映画を発表しています。
考えてみれば、当時小学生だったわたしも今年で還暦ですから、それだけ時間がたっているということですね。
ムッシュかまやつ……かっこいいジジイの、ご冥福をお祈りします。

バリの今回の宿は、家寺(いえでら)を建立中で、建築作業と並行してマンクー(祈祷師)によるプージャーがなされていました。その間、ずっとバジュラが鳴らされています。
バジュラ、梵語ではヴァジュラ。本来は金剛杵ですが、こんにちのバリでは、柄に金剛杵同様の爪(つめ)のついたガンター(鈴)をして、そう呼んでいるようです。
金剛杵と鈴のセットは仏教タントラのシンボル。杵は男性原理(方便)を、鈴は女性原理(智慧)を象徴します。
バリの宗教はシヴァ教(聖典シヴァ派)と仏教(金剛乗)が混淆した密教ですが、法具は、金剛杵のほうは忘れられ、鈴のみが用いられます。しかも、鈴は、インドのプージャーではときおり、チリン、と鳴らされるていどですが、バリでは振りつづけられます。リンリンリンリンリン……と。
どうして、そうなってしまったのだろうか? ずっと考えていたのですが、
——あ、ガムランの音だ!
ふと思ったことでした。
ガムランは、青銅の打楽器で構成されるオーケストラ。この形態の音楽はインドには見られません。そして、ガムランの原形となるのは、青銅のドラムです。
3千年近く前、中国大陸の南部の長江流域で、水田稲作と呪物としての銅鼓(どうこ;青銅のドラム)をセットにした文化が生まれました。それが最初に発見されたベトナムの地名をとって「ドンソン文化」とよばれる金属文化です。
2千数百年前、ドンソン文化の担い手たちは、北の漢族の膨張に圧迫され、南下を始めました。のちに「マレー人」として括られる人びとは、中国大陸からインドシナ、マレー半島、さらにインドネシアの島々——スマトラやジャワを経て、バリにたどりつきました。
いっぽうで、東の海にのがれた人びともいました。弥生人です。弥生文化の遺跡から出土する夥しい数の銅鐸(どうたく)は、ひろくアジアを見渡せば、銅鼓の変形にほかなりません。
銅鼓も銅鐸も、はじめは田んぼの稲霊(いなだま)や死者の霊をなぐさめるために鳴らされたのでしょう。日本の銅鐸は、仏教が伝えられると、お寺の和尚さんが鳴らす梵鐘(ぼんしょう)に姿を変えます。
バリの銅鼓は、ヒンドゥー教や仏教が伝えられると、神仏に祈りを捧げるためのガムランへと発展していきます。ペジェンのお寺には、BC.3世紀ごろに造られた直径180センチの巨大な銅鼓が祀られており、ガムラン職人の聖地になっています。
同じリズムやメロディーをなんどもくり返して演奏することによって、聞く者を催眠的な、一種の瞑想状態にいたらしめるガムラン音楽。
マンクーが鳴らすバジュラ(鈴)は、小さなガムランといえるでしょう。

伊藤武ちょこっとサンスクリット【ダーラ dāla दाल】


ダーラとは、インド料理でおなじみのダールのこと。今回は、ダールとその周辺のマメの調理法についてのお話を——
初めてインドを旅する人のなかには、ダールが苦手、という者も多い。たしかに、安めし屋で食べるダールスープは、ぼそぼそしていてエグクて味気ない。でも、その素っ気なさに潜むしみじみとした旨味に目覚めるころは、もう立派なインド通。もちろん、ダールは高級レストランでいただくグルメ料理にも化ける。
ダールは、インドの知恵の結晶です。

さて、いまのインドでは、「マメ全般」や「ダールスープ」も“ダール”と呼んでいるようですが、狭義には「皮を剥いて、ひき割りにしたマメ」。梵dālaは、√dal(細かくする/砕く)の派生語ですから。すなわち——
マメを半日水に漬ける。マメは、水を供給されると、ただちに発芽の準備を始める。つまり、モヤシとしての代謝が始まっている。
酵素が活発に活動し始めていて、タンパク質をアミノ酸に、デンプンを糖類に分解して、根が生育するためのエネルギーや養分の準備をし、大量のビタミンCも合成する。この段階で、もういちど乾燥させてから、臼でひき割りにし、皮を剥いてやる。
以上が、ダール加工です。
ほとんどのマメは何らかのアクないしは有害性分を含んでいますが、それらは皮の部分に集中しています。ですから、皮を取ることはひじょうに有益です。
さらに皮を剥いて裸にすることによって、丸のままでは煮えにくいマメにもすぐに火が入ります。

おそらくインド人は世界一の豆食い人種で、マメの種類も豊富ですが、それらは、新大陸原産のインゲンなどを除けば、インダス文明時代にはほとんど出そろっていました。なかでもダールとして重要なものは、ムーング(緑豆;梵mudga)、ウラド(ケツルアズキ;梵māṣa)、アルハル(キマメ;梵āḍhakī)、チャナ(ヒヨコマメ;梵caṇaka)、マスール(ヒラマメ;梵masūra)。
しかし、dālaという語は、2世紀ごろ成立の医書『チャラカ本集』には出てきません。文献上の初出は13世紀(吉田よし子著『マメな豆の話』)。そのため、古代インドにダールはなかった、とも云われています。
しかし、『チャラカ』には、パルパタ(parpaṭa)なるものが登場します。こいつを作るには、マメをまずペーストにしなければなりません。すなわち、一晩水につけてから、石臼でゴリゴリとすって割り、これを水に漬けてからもんで、浮いてくる皮を除く。ここまではダール加工と同じです。
こうして裸にしたマメをすり潰して、つなぎの小麦粉やスパイスなどを混ぜて、バナナの葉に薄く貼りつけて天日干ししたものがパルパタ。今日、インドレストランでビールのおつまみとして出てくるパプラ(パパドともいう)が、その直系の子孫にあたります。
また、古代の文献には、マメ・ペーストを団子にまるめて天日で干したヴァティカー(vaṭikā)や、油で揚げたヴァダー(vaḍā)なんてものもしるされています。前者は今日のバリー(カレーの具材にする)、後者はワダに相当します。
してみると、ダール加工自体はマメの調理法の一部として、家庭レベルでは初期から行なわれていた。が、それは調理の中途段階であり、ひき割りにしたマメを再び乾燥させて保存するようなことはなかった。“ダーラ”が商品としてひろく市場に出まわるには、中世を待たねばならなかった——といったところでしょう。
ともあれ、ダーラの出現は、インドの食卓を一変させたにちがいありません。
スーパ(スープ)や前述のパルパタなどの面倒なマメ料理が、簡単にできるようになりました。ダーラは、粉(cūrṇa)にしても利用できます。テンプラの衣にしたり、小麦粉に混ぜてパンにしたりします。

伊藤武コラム【ウコンは効かない?】


『ウコンは効かない』なんて論説がネットに出まわってます。
グルテンはだめ、ミルク・乳製品は悪い、ジャガイモはよくない……やれやれ、またか、という感じ。
件(くだん)の『ウコンは効かない』の主旨は、「ウコンの主成分であるクルクミンにこれといった薬効は認められなかった。かといって、ウコンに効果がないとも云えない」。
だったら、最初から言わなければいいのに、と思ってしまいます。ことに健康にかんする「科学的」見解には軽薄なものが多い。悪意のあるものも少なからずある。
最近、「もっとも優秀な油」として注目されるようになったココナッツオイルは、ちょっと前まで、医学的にはよくない、と云われていました。だから、かつてのスリランカやバリの料理からはココナッツオイルの甘い香りが芬々(ふんぷん)と立ちのぼってきたのに、いまではまったく匂いがしません。
人びとが長いあいだ利用してきたものが否定されるときは、必ずカネが絡んでいます。
小麦もミルクもジャガイモも、人類の何千年来の恩人。それらにほんとうに害があったとしても、悪いのは、金儲けのために遺伝子を組み換えたり、
牛に地獄の責め苦のようなストレスを与えて、そうした危険な食物にしてしまった、恩知らずで残酷な人間のほうでしょう。
繊維に、食糧に、医薬に、お楽しみに……と世界中で太古から人びとの暮らしを支えてきた大麻が「だめゼッタイ!」になったのも、大麻の繊維からは良質の紙が安価に作られるため、アマゾンの森林に権利をもつアメリカの金持ちが儲からないから——が、いちばんの理由です。
医療大麻の可能性が叫ばれていますが、安い大麻でガンが治ったら、困る人も出てくるでしょう。ガン治療は、カネのなる木。ビッグビジネスのひとつですから。
ココナッツオイルを悪者に仕立てたのも、スリランカやバリからそれがきれいさっぱり失われたことを考えると、産地国に遺伝子操作した油料作物のタネを売りつける企業の戦略だったのかもしれません。
今回のウコン云々(うんぬん)も、うさん臭い。
何を信じたらよいか……そんなとき、気の遠くなるような時間をかけて、生命を養い、はぐくんできた伝統医学が頼りになります。

インドでは、ウコンが、ほとんどすべての料理に使われています。もちろんアーユルヴェーダの治療にも用いられ、その用途は、肝臓病、健胃、駆虫、腫れ、糖尿病、アレルギー、息切れ、疼痛、老衰……と、数え上げればきりがありません。
まずウコンには、細菌やカビの生育を抑える抗生物質様の成分が含まれています。この植物は、しばしば不浄な、菌類がうようよいる土壌で成長します。生き残るためには、抗菌力を持たざるを得なかったのです。
人体に入ってからは、ウコンは強力な浄化剤の役目を果たします。グルタチオンはおそらく肝臓においてもっとも重要な分子と思われ
ますが、「肝臓の生薬」ウコンはグルタチオンを増加させ、結果として肝臓の解毒能力を強化し、血液をクリーニングするのです。
インドでは大量の油で料理するのにそれほど油っぽく感じないのも、ウコンのおかげ。ウコンが、脂肪を分解する胆汁の分泌を促進します。これは、やせ効果がある、ということでもあります。日本で夏バテのときカレーを食べると元気が出る、というのも、カレー粉のなかのウコンが、体全体の調子を有機的に高めるからです。
もちろん、抗ガン作用もまちがいなくあります。たとえクルクミンに効果がないとしても、ウコンにはガン細胞の発育を抑制するアルカロイドや、ケルセチン、ケンフェロール、ゲニステイン、レスベラトロールなどのフラボノイドが豊富に含まれています。
インドは、他の国に比べて、ガン発生者が極端に少ない——というのが、ウコンのすぐれた薬効の証明になるでしょう。
そして、ウコンは、もっとも安いスパイスでもあるのです。

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Author:インド作家_伊藤武(クルシー)

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