バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ヨーガ・スートラという「モデル」【伊藤武かきおろしコラム】


『ヨーガ・スートラ』については、こんな風光が浮かび上がってきます。

森——。霧が立ち込めている。霧の粒子の一粒一粒は、色も香りもそれぞれだ。
その霧が流れ、木々の梢や枝や幹を濡らしていく。
森は、水と樹脂が融けあう匂いと、露のはじける音に浸されていて、ときに騒がしくすら感じる。
「黄金の」と形容されるグプタ時代(4〜6世紀)、後にパタンジャリとよばれることになる森に棲む聖者は、その研ぎすまされた感覚から、木々がこのような方法で会話をしていることを知っていました。じっさい植物は、ほかの植物に情報を伝える物質(これを他感作用物質という)を放出して、縄張りを争ったりほかの植物を枯らしたり、逆に助けあったり癒しあったりしています。そして、パタンジャリは思いました。
「森は、心のようだ」
たしかに、ニューロン——脳細胞1個1個はそれぞれに枝をのばし、まるで木のようです。ニューロンは互いに触れあってはいません。露のごとき神経伝達物質を放出し、それによって情報を交換している。ニューロンと神経伝達物質の作用の総体として心が成立しているのです。
唯識やヨーガなどの哲学をみますと、当時の哲学者はこのような脳の風景に思い当たっていたような気がします。つまり滴、あるいは種(ビージャ)のごときものが心を作っている、と。

深い森のなかにヨーガのアーシュラマ(僧院、道場)がありました。パタンジャリはそこの院長でした。王の庇護を受けるアーシュラマで、食糧には困りません。そのため、漂泊のサードゥ(乞食行者)がしばしば腰を休め、また旅立ってゆきます。かれらは、アーシュラマを去るとき、ヨーガにかんする心得のごときものを椰子の葉に書き残していきます。そのような葉が何百枚とたまりました。
哲学に関すること、修法に関すること、シッディ(超能力)の開発法……内容はさまざまです。
あるとき、パタンジャリは、それをひとつのスートラに編み、ヨーガの体系を打ち立てることを思いつくのです。
パタンジャリの呼び名は、彼がサンスクリット文法家のパタンジャリその人、あるいはその生まれ変わりと見なされていたことに由来します。すなわち、サンスクリットには精通していた。
彼は、サードゥの残していった文を、「スートラ」と呼ばれる極度に短縮した文に作りかえました(今回の「ちょこっとサンスクリット」も併せてお読みください)。「スートラ」にはテキスト全体と同時に一文々々をもさす言葉です。ちなみに『ヨーガ・スートラ』は、サンスクリットではyoga-sūtrāṇi(「ヨーガのスートラの集成」)と複数形で呼ばれています。
パタンジャリは、森に学んだ「心の仕組み」にもとづいて、スートラの文を並べていきました。つまり、ヨーガというシステム(体系)を作り上げた、ということです。

しかし、サンスクリットを学ぶ者にとって「スートラ」は難関です。
パンディタ(サンスクリット学匠)になる訓練では、ひとつのスートラ文から最低3つの解釈を導く出すことを強いられるそうです。また、スートラの順番を組み替えて、あらたな意味を見出すことも。
それを知るとき、われわれの『ヨーガ・スートラ』理解はおそらく、これまでとはまったく別のものになってしまうでしょう。たとえば、『ヨーガ・スートラ』2章47節のアーサナの定義は、
sthira-sukham āsanam(堅き快がアーサナ)。
佐保田鶴治訳では「坐り方は、安定した、快適なものでなければならない」ですが、パタンジャリはただ「堅・快=アーサナ」。「坐り方は、安定した、快適なものでなければならない」は彼が削り落とした語を想像して復元したものなのでしょうが、ひょっとしたらまったくの見当違い、ということもありえます。「堅・快=アーサナ」はむしろ、その前の詩である「自在神・祈念→三昧・成就」、あるいはその次の詩「努力緩和+無限なる者(神)→アーサナ」と響きあっているのかもしれません。ならば、「自在神」(イーシュワラ)と「無限なる者」(アナンタ)は同義という新しい理解が生まれます。
また、かように、さまざまに解釈されることで、『ヨーガ・スートラ』はつねにインドのヨーガを刷新してきました。

来年の講義は『ヨーガ・スートラ』を予定しています。『ヨーガ・スートラ』が難しいというのであれば、それは原文にはない補われた言葉に惑わされているのかもしれません。余計な言葉を削ぎ落として、サンスクリット原語のぎりぎりの意味を見きわめるというところで勝負したいと考えています。
今月と来月、お試し講座を考準備していますが、それぞれ別の内容を考えています。
たとえば、『ヨーガ・スートラ』の文から、当時まだなかったはずのハタ・ヨーガを予測する。
あるいは、『ヨーガ・スートラ』における仏教の影響をみる。
興味あるかた、足をお運びください。〉
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