バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

チキツァー cikitsā चििकत्सा【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】



「治療」を意味するチキツァー(cikitsā)は、
ちょっと素敵な言葉です。
語根は√kit(欲する/生きる/治す)。これを重複させる(ダブらせる)。kit-kitではなく、喉音のkには口蓋音のcを重ねるなどの規則を経て、cikitになる。それに、存在/生命体を表わすsaを添え、女性名詞化させてcikitsāになります。重複は語根の強調、あるいは語根で示される行為がじっさい何度も何度もくり返されることを表わしています。ちなみに、チャクラ(cakra)も√kṛ(行う/為す)という語根を重複させてできた語です。チキツァーの場合は、
——生命体(患者)を生かしたい、治したい
という気持ちがまずある。「祈り」に似た想いでしょう。それが「癒し」として具体化されます。女性形ですから、母がわが子を見つめるような繊細で温かな感情もこめられています。
アーユルヴェーダの治療は、「浄化儀礼」(saṃskāra)という文脈で捉えたらわかりやすいものになるでしょう。浄化の方法は、宗教儀礼では、沐浴、護摩などとして表現される、
◦水で洗う
◦火で焼く
のふたつに大別されます。
身体は、アーユルヴェーダでは、エネルギーの流れる脈管の束として理解されます。その脈管にアーマ──毒素、あえていえば宿便、血栓、悪玉コレステロール、活性酸素など──が詰まってエネルギーがうまく流れなくなって病気になる。だから、そのアーマを浄化すれば、身体に本来そなわっている自然治癒力がはたらいて、病気が治る。
さて、そのアーマ(āma<ā強調-√am食べる/病む)という語の中心的な意味は「生(なま)、調理されていないもの」。
この対語がパーカ(pāka<√pac火で調理する)。語根のpacはパチパチと火の燃える音をあらわす音です。パーカはアーユルヴェーダ用語では「消化」ですが、本来の意味は「加熱したもの、調理されたもの」。
ようするに食物が、体の火で燃やされることがパーカで、燃え残りがアーマ。
そして、パーカが「浄」で、アーマは「不浄」。
病素としてのアーマを浄化するにも、大きく2とおりあります。
ひとつは体内の火をさかんにして、燃え残っているものを焼き尽くしてしまう方法──再消化してしまう方法で、運動療法やハタ・ヨーガのアーサナがこれにあたります。もうひとつは水で洗い流してしまう方法で、アーユルヴェーダのパンチャカルマン(5つの[治療]行為)を参考にしたハタ・ヨーガの浄化法シャト・カルマン(6つの[浄化]行為)がこれにあたるでしょう。
アーユルヴェーダでは油剤(taila)をよく用いますが、油は火と水の両方の性質を併せ持っているので、浄化力がより強力と考えられるわけです。
こういった「浄」−「不浄」がわかってくると、仏教やヨーガの立脚点も理解できます。
仏教の苦集滅道の四諦や十二縁起が、アーユルヴェーダの影響で成立したという説は、いまでは広く受け入れられています。こころにこびりついたアーマが仏教風にいえばカルマ(業)。正しい行いとか正しいことばとか正しい瞑想などの八正道は、浄化法に相当します。
人間はもともと悟っている清浄な状態にあったのだけど、カルマで汚れて〈苦しみという病気〉になってしまったのだから、カルマを浄化したら元に戻る、という考え方です。『ヨーガ・スートラ』にも、
「人間はもともとプルシャ、つまり宇宙的全的な存在なのだけれども、こころがうじゃうじゃ考えるから、それに気がつかない。だから瞑想してうじゃうじゃした思いを取り去ったら、元のプルシャに立ちもどって悟りが開ける」
みたいなことが書かれています。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR