バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

*アーリヤ ārya आर्य【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】*


梵文『般若心経』のオープニングの言葉がこの“アーリヤ”。
アーリヤ・アヴァローキテーシュワロー・ボーディサットウォー・
ガンヴィーラーヤーン……
「聖なるアヴァローキテーシュワラ(観音)菩薩は、深遠なる……」
ここでは、アーリヤは「聖なる、高貴な、尊い」ぐらいの意味の形容詞で、この語のもっとも基本的な用法を示しています。
ā(強調)+√ ṛ(浄める)+ya(形容詞をつくる語尾)=ārya。
ṛ(raも同)のコトダマは「火/熱、行く/動く」ですから、「火(祭火)によって浄められた」、「行為がたいへん洗練された」がコアとなるイメージでしょう。名詞化して(男性āryaḥ、女性āryā)、「高貴な人、気高い人、優れた人、尊敬すべき人、目上の人、年長者、親、グル」などの意味でも用いられます。
また、ブッダは、教えを短く公式化したものを“アーリヤ・サティヤーニ”(ārya-satyāni、苦集滅道の「高貴な真実」、漢訳は「四諦」)と称しています。
しかし、19世紀なかば、“アーリヤ”は、酷くねじ曲げられてしまいました。

インドに進出した大英帝国は、「インド人の心を折る」ための言語学者を探していました。それに応じたのがドイツ人のマックス・ミュラー(1823〜1900)。彼はインド最初の文献『リグ・ヴェーダ』全巻を英訳するという偉業を成し遂げるのですが、インドに好意をいだいていたわけではありません。むしろ逆です。ミュラーは、妻にこう書き送っています。
「アフリカ全体をキリスト教化するために、われわれが要した時間はわずか200年だ。が、[バスコ・ダ・ガマのインド航路発見以来]400年たっても、インドはわれわれ(キリスト教)を拒否する。私は、それを可能にしているのがサンスクリットであることを痛感した。そして私は、インドの矜持(プライド)をへし折るために、サンスクリットを学ぶ決意をしたのだ」
そして、彼は『リグ・ヴェーダ』の1017の讃歌のなかで30回ほど使われている“アーリヤ”という語に注目するのです。この語が人間に対して用いられているときは、あくまでも上記の意味にかぎられ、「民族」や「人種」のニュアンスはありません。しかし、彼はそれを「アーリヤ民族」である、と強引に解釈してしまうのです。
対語として抽出したのが、数回用いられているアナーサ(anāsa)。an(否定)-āsa(言葉によって)で「ろくに口の回らない者=道理をわきまえない者」の意なのですが、彼はこれにa(否定)-nāsa(鼻)すなわち「鼻のない=鼻の低い」原住民という解釈をほどこします。
「アーリヤではない=行為が洗練されていない者、非文化的な者」のニュアンスで用いられているダーサ(dāsa)、ダスユ(dasyu)という語も、アナーサとセットにして原住民のことである、と見なしました。
さらに『リグ・ヴェーダ』には、宇宙論的な「光明と暗黒」の戦いが歌われているのですが、これを「肌の色の明るいアーリヤ民族vs色黒で鼻の低いダーサ/ダスユ(のちにドラヴィダ)民族」の戦争、と解釈します。
そうして出来上がったのが「アーリヤ民族侵入説」です。大英帝国は、この説に飛びつきました。
もっともマックス・ミュラーにも、学者としての良心があったのでしょう、晩年みずから「アーリヤ民族」を否定しています。しかし、時すでに遅し。彼が産み出した怪物は一人歩きを始め、20世紀前半の全世界を大混乱に陥れるのでした。
ミュラーは、インドロジー(インド学)のいわば開祖といえる人物で、晩年日本に保存されていた梵文『般若心経』を英訳しています。
アーリヤ・アヴァローキテーシュワロー・ボーディサットウォー・ガンヴィーラーヤーン……
その冒頭の言葉に、どんな想いがよぎったことでしょう。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
講座案内等はこちらでお知らせしています。
http://malini.blog105.fc2.com/

お問い合わせはこちらまで。
yaj612@gmail.com

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR