バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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*ナラ nara नर【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】*



1300年の都、奈良(なら)の語源は、「均(なら)された/平(なら)な土地」とされていますが、当時の天皇や貴族の仏教への傾斜を考えると、
サンスクリットのnara(男/人、神/至高神;女性形は
nārī)の意も重ねられていることでしょう。すくなくとも奈良に住んだインド人——たとえば奈良大仏の開眼供養の導師をつとめた「南天の婆羅門僧正」(南インドのバラモン出身の僧正)こと菩提遷那(ぼだいせんな;梵Bodhisena)——は、「奈良はナラである」と想っていたにちがいありません。
nara は√nṝ(運ぶ/導く)に由来する語で、「戦場におもむく者」あるいは「戦闘を指揮する者」が原意のようです。戦いは、古代社会におけるもっとも重要な事件であり、
武器をとってこれを行うことのできる者(戦闘要員)こそが、「男」(nara)であり「勇士」(vīra)。人間全般をあらわすマヌやマヌシャ(manu/
manuṣa <√man 考える)とは区別されました。しかし、のちにはナラは「人間一般」、さらに「男らしい者としての神々/至高神」をも兼ねる語になります。
また、サンスクリットの語源学では、nara の成り立ちを次のように解釈することも可能です。
nara は、na と ra の2音節からなる。
na のコトダマは、「息/息をするもの(生きもの)、もっとも貴重なもの(生命)」。これは、n(a)に「存在」を意味するa-を冠すると√an(息をする;“プラーナ”の語源)になることからもうかがわれる。
ra のコトダマは、「活動、行く、動く」。
na-raで、「生き物が行く」。もともとは「動物全般」をさしていた言葉が、のちに「人間」に限定されるようになり、さらに「神/至高神」をもあらわすようになった、というわけです。

このナラに関連する語で、ヴィシュヌ神の異名のひとつ、ナーラーヤナ(Nārāyaṇa)も、伝統的に2つの解釈がほどこされています。
ひとつは、ナーラ(ナラの集団=人々/神々)がおもむくアヤナ(ayana;休息所/目的地)。
もうひとつは、ナーラー(至高神ナラの子としての「水」)をアヤナ(休息所)とする者。
「人々/神々の目的地」と「水を休息所とする者」。この2つの“ナーラーヤナ”に矛盾はありません。ここでいう「水」とは、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』で、
「かのはじめのとき、存在はなかった。無もなかった。もちろん、時間も空間も、星々も、生も死もなかった。が、ただ水があった」
と語られる、宇宙ができる以前の「原初の水」のこと。そして、そこに休らう者とは、かの「唯一者」(Tad
ekam)。インド神話では、「原初の水」は「乳海」(Kṣīra-samudra)、「唯一者」は「乳海にとぐろを巻いたアナンタ竜の上に横たわるヴィシュヌ神」として表現されます。アナンタ(ananta)は「an(否定)+anta(終り)=終りがない」で「無限」。この竜のとぐろが解かれると、無限ともいえる宇宙——時間と空間が現れます。
ゆえに、原初の存在であるナーラーヤナのもとにおもむく、とは人々や神々の究極の目的である解脱と同義になります。
友人が息子さんにナーラーヤナにちなんだ名前を付けられました。おめでとうございます。
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