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作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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インドとアメリカ【伊藤武のかきおろしコラム】

「歴史は勝利者の記録」とはよくいったもの。中国や韓国が、
日本に対し「歴史認識がどうのこうの」いうのも、両国とも第2次大戦では戦勝国側に列するからでしょう。インドに勝利し、これを植民地化したイギリスも、インド史を都合よく捏造しました。
その最たるものが「アーリヤ人侵入説」と「インダス文明ドラヴィダ人説」。
ともに何の証拠もない単なる仮説にすぎぬのに、そしてインド人自身は、アーリヤ人は始めからインドにいた、インダスはヴェーダの文明である、と主張しているにかかわらず、われわれはずーっとそれを信じこまされてきました。わたしは、「インダス文明はアーリヤに属する」という説のあることを知り、言語学・考古学・人類学の学者が提出するさまざまな状況的・物質的証拠からそれを受け入れるまでに10年近くかかってしまいました。
そして、「アーリヤ人侵入説」「インダス文明ドラヴィダ人説」同様に、勝利者たる白人の作為を感じるのは、コロンブス以前のアメリカの歴史です。
1万数千年前にベーリング海峡をわたって新大陸に拡散したモンゴロイド系の人びとは、旧大陸に残った人びとがその後1万年かけて発明した青銅の鋳造、機織り、土器、書写、石造建築その他のもろもろの文化的要素を、たった2千年で独自に創り出した、というのです。一連の複雑な技術——まことに奇跡のごとき鋳造の脱臘法、錫石からの錫の抽出、銅と錫の合金、化学工程による鍍金、織物、絞り染めやバティック——のすべてが、旧世界とアメリカで2度発明されたと本気で信じろ、と。
インカ、アステカ、マヤを征服したスペイン人は、虐殺や神殿・神像の破壊は云うにおよばず、インディオが保存していた歴史・神話・神学などを記録した膨大な文書を、「悪魔の書」と称して、徹底して焼き尽くしました。マヤの文書は3冊だけ焚書を免れましたが、今は誰もそれを読むことができません。コロンブス以前のアメリカの歴史は失われてしまいました。
インディオの文書には、スペイン人にとって都合の悪い歴史が記されていたのかも知れません。たとえば、旧世界とのつながりを示すような。そうであれば、当時スペインとライバル関係にあり、旧世界(アフリカ、アジア)の征服と支配をローマ教皇に認められていたポルトガルを益することになってしまいます。

じつは、古代インドのプラーナ文献や西暦500年ごろに編纂された『スーリヤ・シッダーンタ』などの天文学文献に、アメリカらしき大陸と文明のことがしるされています。
そこでは、アメリカ大陸はウッタラクル、クルヴァルシャなどと呼ばれ、なかでもパーターラ・デーシャという国に多くの頁をついやしています。インド神話でパーターラといえば、地下にあるナーガ(蛇族)の王国ですが、この場合の地下世界というのは地球の裏側で、具体的にはメキシコやグアテマラ(インドから見ると地球のちょうど180度反対側にある)のマヤ文明圏と交流があった、というのです。
たしかにマヤでは、蛇の神であるククルカン(アステカではケツアルコアトル)が崇拝されていましたし、マヤ遺跡には、アメリカにはいないはずの象や猿の神様の彫刻があります。インド文明とアメリカ文明の類似は多々ありますが、偶然の一致とはとても考えられないのは、インドとマヤが同じ建築プラン(ヴァーストゥプルシャ・マンダラ)を用いて寺院・神殿を設計していたということです。
これは、敷地に8×8のチェス盤、ないしは9×9の将棋盤のようなモジュール・プランを描き、升目にしたがわせるようにして壁や祭壇を造ってゆく、というものです。
それが、マヤとインドの建築では一致している。ちなみに、インドにおける建築神の名は、
——マヤ
です。
古代インドの海上交易はわれわれが想像する以上にさかんで、千人乗りの貨客船がインド洋を往来していた、それらの大型船は太平洋横断を十分可能にするものであった、といわれています。
シルヴァン・レヴィ、エドワード・ポコッケ、ロバート・スペンス・ハーディなど、古代インド人がアメリカに到達していたことを主張する学者は、けっこう多いのです。
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