バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

シャクティ śakti शक्ति【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】



今回は、ヨーガでおなじみと“シャクティ”という言葉と、クンダリニーのかかわりについて。

シャクティは、√śak(できる)の過去分詞 śakta(できた)の女性形で、「能力、力、威力」。
食べる力、消化する力、考える力、上手に踊る力、クルマの走る力、権力、財力、武力……などあらゆる「力」がシャクティなのですが、タントラは、そこから「力の原理」という純粋観念を抽出し、名詞の性にしたがって「女神」として擬人化しました。つまり、無数の「力」を総括する、あらゆる様相のもとに顕現する力の原理そのものが、ドゥルガーに代表される“シャクティ”という女神なのです。
哲学的には、サーンキヤやヴェーダーンタの、どちらかというとネガティブに捉えられるプラクリティ、マーヤーに相当しますが、タントラではポジティブに捉えなおします。

たとえば、『ヨーガ・スートラ』の最後の詩(4章34節)。佐保田鶴治訳では、
「独存位とは……純粋精神である神我が自体に安住することだといってもよい」
と難渋(なんじゅう)な文になっていますが、拙訳では、
「独存とは……絶対智(プルシャ)のシャクティが、その本来の状態に安住することである」
佐保田訳の「純粋精神である神我」の原語は citi-śaktiḥ と思われますが、citi(絶対智=プルシャ)が男性名詞であるのに対し、śakti は女性名詞。つまり、絶対的男性原理であるはずのプルシャのなかに、女性原理のシャクティが、でんと居座っていることになります。
簡単にいってしまえば(文法的・哲学的にはけっして簡単にはいかないのだが)、悟ったり、解脱したりするのにも、力(シャクティ)が必要、ということなのでしょうか。

対し、クンダリニーは、語源がどうもはっきりしません。
√kuṇḍ(燃える、食べる、積み重ねる)
 ↓
kuṇḍ-a(お椀、乞食の鉢、穴、井戸、貯水池、水壺、護摩の火炉)
 ↓
kuṇḍa-la(耳輪、腕輪、円、螺旋)
 ↓
kuṇḍal(a)-in(耳輪をつけた、耳環をつけた、螺旋=とぐろを巻いたもの=蛇)
 ↓
kuṇḍalin-ī(♀蛇、クンダリニー)
となるわけですが、語根クンドからクンダリニーには、かなりの飛躍があります。
クンドの名詞形がクンダですが、「凹んだもの」のニュアンスが強く、一般的には「井戸、貯水池」です。ブッダ所縁の地ラージギルでは、温泉もクンダ(ヒンディー語ではクンド)です。
「クンダの地」でクンダラなのですが、なぜそれが「耳輪、腕輪、円、螺旋」になるのか考えあぐねています。砂漠気候の西インドでは、地下何十メートルも掘り下げた巨大な井戸があり、螺旋階段で上り下りしますから、そこから「螺旋」の意味が生じたのでしょうか?
また、カシミール・シヴァ派の文献『タントラ・アーローカ』をみると、内護摩(うちごま)の作法が述べられていて、
「下腹に火炉(クンダ)をイメージし、そこからエネルギーを立ち上げる」
みたいなことが書かれています。としたら、「クンダのあるところにいる女」でクンダリニーなのかもしれません。
さらにサンスクリットではなく、俗語起源である可能性も大いにあります。

ともあれ、「宇宙に遍在するエネルギーの総体」「普遍的な力」であるシャクティに比して、クンダリニーはきわめて個人的な、前述した「解脱するためのシャクティ」になるかと思います。
そして、タントラのヨーガでは、そのクンダリニーが、本来の場——頭頂のチャクラにおわしますシヴァ神(プルシャ)のもとに回帰すると、「独存」(=解脱)です。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
講座案内等はこちらでお知らせしています。
http://malini.blog105.fc2.com/

お問い合わせはこちらまで。
yaj612@gmail.com

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR