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作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ヴィパシヤナー vipassanā 【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

ヴィパシヤナー vipassanā िवपश्यना【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

「ブッダの瞑想法」として、日本にも根を下ろしつつあるヴィパッサナー。
ヴィパッサナー(Vipassanā)は上座部仏教のことばであるパーリ語ですが、大乗仏教のことばサンスクリットではヴィパシヤナー(vipaśyanā)になります。もっとも、サンスクリットの辞書(Apteの梵英辞典)にこの語はありません。仏教独特の表現だったのでしょう。とはいえ、vipaśyanāを、
——vi(強調)-paśya(√dṛś[見る]の現在語幹)-anā(抽象語尾)
と分解すれば、「よく見ること / 観察」の意であることがわかります。
いや、paśyaが√dṛś(見る)の現在語幹であることを考えると、「現在」を強調し、
——いま現在において、よく見ること / 絶対的現在における観察
としてもよいかもしれません。
ヴィパシヤナー瞑想は、シャマタ瞑想とセットにされ、「止観」(しかん)と漢訳されています。シャマタが「止」で、ヴィパシヤナーが「観」。
シャマタ(śamatha)は、シャーンティと同語源の√śam(静まる / 鎮まる)に由来する語で、
「心のはたらきを鎮め、その者の本来のありかたに住すること」
と定義されています。あれ、この定義、『ヨーガ・スートラ』におけるヨーガの定義——
「ヨーガとは、心のはたらきの静止なのだ」(Ⅰ‐2)
「そのとき、見者(=プルシャ)は本来の居所に安住するのだ」(Ⅰ‐3)
とそっくりですね。時代的には仏教のほうが先なのですが……。

ともあれ、伝統仏教では、シャマタ瞑想で「心のはたらきを完全に鎮め」てから、ヴィパシヤナー瞑想で「自分自身をよく観察」するのです。
「心のはたらきを完全に鎮め」ることによって、おのれ自身を「客観的に観察」できる。
いま現在のおのれの行為に、客観の光(レーザー)を放射し、徹底的に観察する。
いま現在のおのれの行為を観察し終えると、無意識に住する過去の自分に、いま現在からの観察の光が照射されることになります。
ブッダは、これによって「縁起」、すなわち因果の法則を発見しました。
また、仏教経典にはつぎのようなことが記されています。

「悟りを開いた夜のこと——」と、ブッダはいった。
「凝念が浄化され、明るく無垢になったとき……私はそれを過去と前生の記憶に向けた」
彼は、菩提樹の下に坐り、心の焦点を合わせて、数秒前に何が起こったかを思い出そうとした。それから、心を数分前、数時間前、数日前、数週間前、数カ月前、数年前……と遡らせた。
彼は3歳に戻った。彼はしばらくそこに留まっていたが、辛抱づよく、その向こうにあるものに霊眼を凝らした。彼は自身の出生にいたった。
彼ははじめは、これ以上さかのぼることはできない、と考えた。しかし、すぐにより大きな絵が、前生が、彼の平和な心に映し出された。彼は同じテクニックを適用しつづけ、前生を、そのまた前生を、何百もの前生を観た。
上座部仏教の「ジャータカ」——ブッダの前生の物語は、彼自身がヴィパッサナーによって観た前生の記憶として、弟子たちに説法するさいに披露された、という体裁をとっています。
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