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作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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サティヤ Satya सत्य【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

サティヤ Satya सत्य【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

まずは、まんまるお月様をイメージする。それができたら、
お月様のなかにサンスクリットの、
——अ(a、あ)
という文字を念じる。日本の密教のみならず、チベット密教やハタ・ヨーガを含めたあらゆるタントラ・ヨーガの基本中の基本が、この「阿字観」(あじかん)瞑想です。
ちょっと補足すると、月輪(がちりん)は「心」の象徴。「a」字は、密教では大日如来の、ヒンドゥーではシヴァやブラフマーといった最高神のビージャ(種字、シンボル)。クリシュナも『バガヴァッド・ギーター』10章33頌で、
——akṣarāṇām a-kāro ’smi (私は文字のうちの「a」字である)
と宣っています。
つまり、おのれの心の奥底に住する「至高なるもの」に念を凝らすことが、阿字観の真意といえましょう。それでは、「a」という字、ないしは音はなぜ、かように神聖視されるのでしょうか? 

日本の赤ちゃんは「おンぎゃあ」だが、インドの赤ちゃんは「あンぎゃあ、あンぎゃあ」と号(な)いて生まれてくる。最初の音として発声される「a」は、喉の最深部でつくられるにかかわらず、口が開けられるやいなや飛び出してくる直(じか)の音。ゆえに「a」は、自然と「在る」という意味(コトダマ)が託され、サンスクリットのアルファベットの最初の音になりました。
この「a」に同じく「在る」というニュアンスを含んだ音sを添えると、英語のisに相当する語根as(在る、〜である)になります。英語の最初のレッスンでThis is a penを「これはペンです」と習いましたが、正確を期すのであれば「これはペンである」、あるいは「これはペンとして存在する」と訳してもいいかもしれません。
サンスクリットのas、英語のisをはじめ、ドイツ語のist、フランス語のestなど印欧語族の繋辞(けいじ;「〜です、〜である」にあたる語)は、なにかをコトダマの力をもって現実に在らしめる、魔法の音声なのです。
上にあげたギーターの一節の最後の ’smiはas-miの省略形で、「私は(mi)〜である(as)」。ウパニシャッドの有名なマントラにも、
——ahaṃ brahma asmi(私はブラフマンである)
というのがありますが、これも「私は“ブラフマン”として断固存在するのである!」という舌に力こぶをいれた宣誓です。雰囲気としては、バカボンのパパの口調で「わしはブラフマンなのだ!」
このasをひっくり返し、「神/抽象的なもの」をあらわす音-tを添えてsatとすると、英語のto beないしはbeing(存在している、あるがままの)に相当する現在分詞になります。なぜ、asをひっくり返したかというと、astよりもsatのほうが発声しやすく、また響きがよかったためでしょう。
satに形容詞をつくる接尾辞-yaを添えてsatyaとすると、「存在しているものの、現実に属する〜」。
さらに中性名詞の標幟(しるし)-mを添えて、satyam「存在しているもの、現実に属するもの」。そして、このsatyamはしばしば「真実、真実在、ブラフマン」の意味で用いられます。
すなわち、阿字観のअ字の神聖視には、
a→as→sat→satya→satyam
と、「在る、〜である」から出発するサンスクリット文法の「真実」の把握が託されているのです。
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