バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

ビンドゥ Bindu िबन्दु 【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

ビンドゥ Bindu िबन्दु 【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

「ダンスチームの名前をつけてください、サンスクリットで」
2、3年前でしたでしょうか、整体師にしてインドムービー・ダンサー、そして今は一児のパパである友人から依頼がありました。
う~む、ダンスだから、√nṛt(踊る)や√naṭ(踊る)に由来するものがいいだろうか? ナタラージャ(Naṭa-rāja「舞踊王」=シ ヴァ神)とかヌリティヤーチャーリヤ(Nṛtya-ācārya「ダンス・マスター」)みたいな。いやいや、ありふれていてつまらない……もっとコンパク トで、インパクトがあって、爆発するような名がいい……。思いあぐねていましたが、しばらくして、彼のほうから、
「“ビンドゥ”はどうでしょう? ちょっとエロいかな?」
「!」
わたしの、言葉に成長するまでには到らなかったイメージが、その語に結晶していました。即座に賛成したことはいうまでもありません。

Bindu。√bind(分割する)を中性名詞化した語で、かけら、滴、点などと訳されます。エロい、というのは、精子や卵のニュアンスもあるからです。
文法的にはアヌスワーラ(ṃ)、たとえば、oṃのṃをさします。ॐとデーヴァナーガリー表記したとき、ṃはビンドゥ=点(・)で表わされるからです。
さらには、数学のゼロ(śūnya)もビンドゥ。ゼロの発見や、アラビア数字の発明がインドの天才によることは周知のとおりですが、最初のインド 数字ではゼロは点(・)で示されました。椰子の葉っぱ(当時インドに紙はまだない)などに点を打てば、たしかにそこに点は在る。しかし、面積や象(すが た)をもたぬゆえ、実体はない。すなわち、在るでもない、無いでもない――。
ターントリカ(密教徒)はそれを、仏教の「空」(śūnyatā)の表象と受け取りました。
抽象的で、ほんらい言葉で語ることのできない「空」をなんとか成文化しようとした試みが、大乗仏教の歩みといえましょう。が、大乗の後継者を自称 する密教は、「空」を、イメージに置き換えて体感しようとする方向にシフトします。プラジュニャーパーラミター女神や、密教のシンボルである金剛杵 (vajra)も、「空」を表わしたものです。けれども、点であるビンドゥが、「空」のより直截的なイメージとなりうるのです。
空海密教の根本経典のひとつ『金剛頂経』に、おのれの体内に金剛杵をイメージする瞑想法が説かれていますが、後期密教ではビンドゥを観じるようになりました。
からだの内部、肉体と意識の接点であるマルマに、光のビンドゥをイメージする。凸レンズが太陽光を一点に収斂するごとく、意識のすべてをピンポイ ントにそそぎこむ。と、点にすぎぬビンドゥが、自己と宇宙を覆いつくす大マンダラとなる。どんな数にゼロを掛けてもゼロになり、どんな数もゼロで割ると無 限大になるごとく。

さて、ダンスチームのビンドゥ。その名のとおり、ダイナミックに弾けています。
スポンサーサイト

Comment

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • posted by  
  •  
  • 2013.07/24 09:06分 
  • [Edit]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR