バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ビージャ Bīja बीज


ビージャ Bīja बीज 【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

インド。雨季。大雨がふる。大地のあちこちに、水牛が水浴びするに十分ほどのプールをつくって。
数日してそこを覗くと、小さな魚が無数に泳いでいたりする。この水たまりは、川とは無縁のはず。魚はどこから来たのだろう……?
かつて、そこが水に浸されていたときに魚の産みつけた卵が、土のなかで何年も何年も乾燥に耐えて、じっと雨を待っていたのです。まるで、植物の ビージャ(種子)のように。ベンガルあたりでは、魚が「水のフルーツ」あつかいされ、菜食主義のバラモンが食べてもタブーを犯したことにならないのは、こ のためでしょうか。
√bis(行く/配する)+ja(産まれる)で、bīja。
「産まれて、行く」とすれば、更新をかさねる生命、を想います。
「産まれを配する」であれば、ヒトの手による種(しゅ)の管理、のイメージ。
ともあれ、種(タネ)は不思議です。小ちゃな粒のなかに、生命と未来が詰まっています。
農民にとっては、作物――とくに麦や米――のタネこそは「いのち」。御先祖から、おのれ自身の生命とともに、その生命の糧(かて)として、代々リレー渡しで託されてきたものでした。

タネは、インド独自の思索やヨーガをもはぐくみました。
『リグ・ヴェーダ』のビッグバン説を思わせる「宇宙開闢(かいびゃく)の歌」は、一(いつ)が多(た)となるタネの神秘にインスピレーションを得てつくられた讃歌なのかもしれません。
仏教のヨーガ哲学「唯識」では、自己をふくめたあらゆる現象を産み出すタネのごときものが、文字どおり“ビージャ”とよばれます。
現象をつくるのは縁起(えんぎ)。潜在記憶が、植物のビージャのようなかたちで、アーラヤ識(心のいちばん深いところ)に播かれ、縁あって起こ る。すなわち、発芽し、現象という花を開かせ、花はまた種子をむすび、心のふしどに落ちてゆく。それが、際限なくくり返されることによって、万象は生起す る――というのです。
ターントリカ(密教行者)は、それを逆手にとって、「神仏のビージャ」なるものを発明しました。
たとえば、大乗仏教では、悟りの智慧は“プラジュニャーパラミター”(般若波羅蜜多)とよばれ、女神として擬人化される。ならば、この女神を「タネ」にして、心に植えつけてやればいい。発芽し、成長した女神が、悪縁をすべて滅ぼし、悟りにいざなってくれるでしょう。
この場合の“ビージャ”は、神仏を象徴する1音節の音声。プラジュニャーパラミター女神であれば、ディーヒ(Dhīḥ)。彼女のすべてが圧縮された「धीः」の一文字(サンスクリットでは1音節文字をして一文字とする)を観想します。
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