バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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【むつきの満月通信】

インド九千年の歴史 【伊藤武のかきおろしコラム】

「インド五千年の歴史」などとよくいわれますが、インドの特徴ある文化は、じっさい、どれくらいまで遡ることができるのでしょうか?
言語学と考古学の学者たちは、ともに「九千年」を指定しています。

まずは言語学から。
英語やフランス語やドイツ語などを母語とする欧米の言語学者は、かれらにとっての高天原(たかまがはら)であるインド・ヨーロッパ語族の故郷を探りあてることに熱心です。
かつては、5、6000年前の南ロシアあたりが原郷で、西に移動した人びとがヨーロッパ人になり、南や南東に移動した人びとがイラン人やインド人 になった、といわれていました。そのさいインドに侵入した人びと、すなわちアーリヤ人がドラヴィダ人のインダス文明を滅ぼしたのだとも。
しかし最近では、この説は斥けられ、かわって約9000年前のトルコやシリアあたりが有力視されています。その地で、ヤギやヒツジを飼い、大麦と 小麦を栽培していた人びとが、ゆっくりゆっくりと、東西に拡散していったのだと。村(同族で占められた「家」といってもよい)の人口が増えたため分家し、 すこし離れたところに新たな村をつくる、といった感じの移動です。平均すると、1年で1キロ動いた、といわれています。

いっぽう考古学は、バローチスターン(インダス下流域の西側の丘陵、現パキスタン)にインド文化の起点を置いています。やはり9000年前、この地の人びと(人種、言語は不明)は、泥を固めて家をつくり、ヤギとヒツジを買い、大麦と小麦を栽培することをおぼえます。
7500年前、こぶ牛が飼われ、土器が焼かれるようになります。煮炊きする調理は土器(土鍋)とともに始まる、と定義すれば、カレーの先祖にあたる料理はこのときから始まります。
水やミルクや穀物を貯える壺は神聖視されたにちがいありません。植物や動物をデザインした彩文が施されています。彩文は、おそらくは、神への言祝 (ことほぎ)を目に見えるカタチにしたもの。現在のヒンドゥー教にも見られるカラシャ(聖水をいれた壺)を神のアーサナ(座、ヨリシロ)とする文化も、こ のときから始まったのでしょう。
やがて、人びとは、その神を直接目にしたい、という衝動に駆られます。泥をこねて焼きしめる土器造りと同じ技法で、神の像が創られるようになりま す。初めの神は、女の姿をしていました。豊穣を約束する大地の女神なのでしょう。ラクシュミー女神の起源もこのあたりに求められそうです。

バローチスターンの文化は、男の墓よりも女の墓のほうが立派なことなどから、母系的なものであったと考えられています。
対するインド・ヨーロッパ語族は、きわめて父系的な文化の持ち主でした。その一派であるアーリヤ語を話す人びとが、分家に分家を重ねて、インダス流域に少しずつ姿を見せはじめるのは、約6000年前のこと。
つぎの1000年は、両文化の融合のために用意された時間です。手つかずの土地がまだまだ沢山あったから、小競り合い程度の争いはあっても、両者が烈しく衝突するようなことはなかったと思われます。
そして、インド五千年の歴史」のまさしく5000年前、インダス文明がスタートします。インドで男の神の像が創られるのは、インダス文明期に入ってからのことです。
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