バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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【しもつきの満月通信】

インダス文明はヴェーダの文明だった 【伊藤武のかきおろしコラム】

「富士山大爆発……?」「○○年以内に首都圏に直下型の大地震……?」
そんな不吉な予言だかニュースだかが、毎日のように飛び交っています。
「だから、どうしろ、っていうのだ?」というのが正直な気持ち。
不確実な予測に踊らされて、どこぞに避難する余裕はほとんどの人にありません。われわれは天災にはまるで無力です。逃げたところで、そこにはより 質(たち)の悪い人災が待っているかもしれません。今いる此処で暮らしつづけ、じっさい大地震に見まわれたとしても、運よく生き残ることができたならば、 またやり直すしかありません。
そんなことを思ったは、パキスタンをふくめた西北インドが過去5000年の間に、震度10クラスの地震を最低3回は経験している、と知ったから。
グジャラート州ドワーラカー市の沖の海底に、約3500年前の地震で沈没した町が眠っています。3500年前、というのは最近の考古学的・地質学 的調査ではじきだされた信用してよい数字です。そして、ドワーラカーといえば、叙事詩『マハーバーラタ』で謳われる神王クリシュナの都。繁栄をきわめた王 都も、地震と津波に襲われて海に沈んだ、と伝えられています。ならば、3500年前の——
「その町はクリシュナの都?」そう思ってとうぜんですが、インド人にいわせると、ノー。
「クリシュナの都は、5000年前の地震で沈んだドワーラカー」とのこと。
3500年前の町の向こうに、もっと古い時代の町の跡があることは(考古学的調査はまだ始まっていないが)確かなようです。そして、伝説によると、クリシュナの都は7番目のドワーラカーだった、というのです。そんな話を読んで、
「なんどもなんども沈むような、そんな危なっかしい所、さっさと逃げ出せばいいのに」
と思ったのですが、わが身を顧(かえり)みても、なかなかそうはいかないようです。

約4000年前(これも地質学的に信用できる数字)の地震では、インダス川の流路が変わりました。それだけではありません。インダス川と平行する ように、ヒマラヤに発しアラビア海に注いでいた当時インド最大の河、そして「ヴェーダの母」と讃えられたサラスワティー川が涸れてしまったのです。
インダス文明は、これによって大打撃を受けて衰退し、3700年前には完全に滅んだ、とされてきました。しかし、前記の3500年前の海に沈んだ町が「インダス文明の都市」であったため、その説は覆されました。
次の500年に属する都市遺跡はまだ発見されていないので、インダス文明は3500年前の時点で壊滅した、といっていいかもしれません。しかし、 出土する土器の形態などから推すに、生きのびた人々の暮らしはその後も営々と続けられ、3000年前になると、ガンジス流域に場所を変えて、都市文明が再 出発します。
なお、植民地時代に喧伝された、そして私もこれまで何度も本に書いてきた、
「インダス文明の担い手はドラヴィダ人で、アーリヤ人がそれを滅ぼした」
という常識は、現在、言語学・考古学・人類学の分野では、ほぼ否定されていることを付けくわえておきます。大地震を生きながらえたインダスびとの子孫が、今もその地に住む人びとなのです。
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