バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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カルマン Karman कर्मन्

カルマン Karman कर्मन् 【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

「結果を考えずに行為せよ!」
それが、『バガヴァッド・ギーター』に説かれるカルマ・ヨーガ。
「結果を出せ」と云われるわれわれの仕事とは反対です。結果=成功/業績を考えることが、仕事の励みや工夫、効率に結びつくはずなのに、なぜ結果を慮ってはならないのでしょう?
“カルマ”という言葉を分析してみましょう。
サンスクリットでは“カルマン”。語根√kṛ(行う/作る)を名詞にした語で、「行うこと/作ること」。古くは「行作」、最近では「行為」と訳されます。
√kṛは、さらにk(a)「太陽」とr(a)「動く/燃える」に分解されます。つまり、太陽活動から√kṛという語根が発想された。これは、われわれの行為と太陽が、イメージの底ではつながっている、ということを意味しています。
以前にふれたチャクラ(cakra)——すなわち、太陽の軌道運動、車輪、武器としての円盤、ろくろ、回転臼など「グルグル回転するもの」をさす言葉も、√kṛの派生語。この回転運動が、古代インド人の心に、
——輪廻(saṃsāra)
のイメージを孕ませてしまったのです。
そして、この生死の車輪を回転させる推進力となるものが、“カルマン”。つまり、われわれ各自が、それぞれの行為をもって、おのれの輪廻の車輪をまわしている。輪に囚われたネズミが、一カ所を走りつづけて、輪を回しつづけるように。
存在の車輪からの解放(mokṣa、解脱)がインド哲学とヨーガのゴールであることは言うまでもありませんが、それを達成するには“カルマン”の 否定、すなわち“アカルマン”(akarman、無行為)であることがいちばん。しかし、これは不可能といってよい。呼吸、心臓の鼓動といった身体活動も “カルマン”に含められるのですから。自殺したところで、輪廻のあるかぎり、“カルマン”は続きます。ならば——。
“カルマン”ならぬカルマンであればよい——という思想が導きだされました。それは、
——カーマ(欲望)をふくまぬカルマン(行為)
です。欲は、叶わなければ怒りとなり、怒りは愚かな行為を産み出す。欲望こそが、輪廻のエネルギーなのです。
そして、行為の結果を考えると、かならずや欲望が侵入する。うまくやりたい、儲けたい、などと。したがって、「結果を考えずに行為」しなければならないのです。
しかし、結果を考えずに、奴隷のごとく黙々と働く、なんてことが、ふつうの人間には面白いはずがありません。それをカバーする思想がダルマ (dharma、義務)、実践が『バガヴァッド・ギーター』に説かれるあと2つのヨーガ、信愛(bhakti)と知識(jñāna)の道、ということにな ります。
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