バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】

ディヤーナ Dhyāna ध्यान
英語で“メディテーション”、日本語で「瞑想」と訳される言葉が“ディヤーナ”。
漢訳では「禅那」。「ぜんな」と読みますが、古代中国では「じゃーな」と発音したのでしょう。Jhāna(Dhyānaのパーリ語形)の音を写した語です。音訳は、当時の中国の漢字の読みにしたがって、けっこう正確になされています。
「禅那」は略して「禅」。また、この「禅」に“ディヤーナ”の意味を取った「定」を重ねて、「禅定(ぜんじょう)」。それでは、メディテーションや瞑想では、何を「定」めるのでしょう。
“ディヤーナ”は√dhyai(想う)が語源。つまり、想いを定める。気ぜわしい猿みたいに動きまわっている心を、一つに収斂する。
ヨーガでは通常、ヴィジュアルなイメージに想いを定めますが、そのイメージもまた“ディヤーナ”と呼ばれます。この場合の“ディヤーナ”は、訳して「観(かん)」。つまり、「ヴィジュアルなイメージ」に想いを定めることが「観想(かんそう)」。英語では“ヴィジュアライゼーション”。
観想の起源は、おそらく魔術と関連しています。こんにち、いろいろ出版されている「願望達成」本で、かならず勧められているのが、ヴィジュアライゼーション。自分の願望がかなった「絵」(光景)を、しっかりと視覚化します。豊饒なる無意識の世界に、絵は文字(言葉)よりも深く染み込んでいくのでしょう。無意識に描いた絵が、現実の世界に転写されます。
観想はまた、文字を用いていない時代の記憶術とも関連しています。
記憶すべきもの(スムリティ)を象徴する絵をありありと想い浮かべる。
それが何であるかを示す詩(言葉)を誦える。
身体にも、特定の部位にプラーナを籠らせて、それを記憶させる。
観想とマントラとムドラー、ないしはアーサナはそうして作られたのでしょう。
『ゴーラクシャ・シャタカ』を見ると、ハタ・ヨーガも徹底した「観想の体系」であることがわかります。「観」が主で、アーサナは従。アーサナは、「観」を強化するためにある、といっていいぐらい……

こんなことを書いているうちに、私ももっと観想せにゃならん、と思い至りました。
そうだ、どうせやるなら、ラクシュミーがいい! 
ミルクの海から咲きでた蓮華にすわる女神。こちらに向けた掌(たなごころ)から、金貨が、
♪ざーくざーく、ざっくざく
マントラで表現するのであれば、
♪श्रीं(シュリーン)、श्रीं、श्रीं
と、無尽蔵にわき出して、わが無意識を満たしてゆく……
来年はいい年でありますように。
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