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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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【ボータ Bhoṭa भोट】ちょこっとサンスクリット語


ボータ(Bhoṭa)とはチベットのこと。チベットの自称Bodがサンスクリット化した言葉です。
Bodは「呼ぶ」の意だといわれます。六道――すなわち、天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の6つの世界の住人が、観音菩薩に1人ずつ呼ばれて、チベット高原にやって来た。それがチベット民族の祖先なのだとか。しかし、これはチベットが仏教国になってからの後づけで、「能力のある」がBodの原意です。
唐代の中国人は、Bodをひっくり返して、禿髪(とくはつ)とか吐蕃(とばん)とかいう名で呼びました。「ハゲアタマ」に「ゲロゲロ吐く野蛮人」。他国の名にひどい字を当てるのは、中国人の悪癖です。しかし、その吐蕃が突厥(とっけつ;中央アジアのトルコ系民族)碑文にはTüputと音写されており、これがウイグル人を通じてイスラム圏に伝えられ、そのアラビア語化した形Tbtが、ヨーロッパ人のTibetに起源となりました。

標高3000~4000メートルの苛酷な大地で、「能力ある人びと」はたくましく生き抜きました。
7世紀建国の吐蕃はおそるべきアジアの征服者でした。かれらは唐王朝をゆさぶり、何度も都長安を襲い、インドのいくつかの王朝も攻撃し、シルクロードの要衝を占領しました。バグダッドのカリフとも二度戦って勝利をおさめています。
たいへん強い集団で、のちのジンギスカンのモンゴルのようなものでした。
東では中国、ビルマと戦い、南ではインド、北は中央アジアのペルシアやトルコの勢力、西はアラブの帝国と、吐蕃の勢力はおどろくほどの勢いで広まっていったのです。
それから1千年後の17世紀、かれらは驚くべきことをやってのけます。仏教の「非暴力/不殺生」(ahiṃsā)の教えにのっとり、非武装を実践したのです。好戦的であった過去が、チベットの国民的スポーツであるポロとアーチェリーと格闘技に名残をとどめています。
チベット文明は争いの方向を選ばなかった。チベットが進んだような道を歩んだ国はほかにはありません。世界史の奇跡と云ってよいでしょう。ほかの国はチベットとは逆の道を辿ったのですから。
しかし、不幸にもそれが災いし、平安なる仏国土は野蛮な共産帝国の軍靴に踏みにじられました。「チベット」は、残念ながら、いまのチベットにはありません。
しかし、ラダックにあります。

ラダックは、チベット高原の西の端の、インダス源流域をさす地名(現在はインド領)。
古代インドのサンスクリット文献には、ダラダ(Darada)の名で記録されています。「ダルド族の国」の意です。ダルド族は、インダス=リグ・ヴェーダ文明の時代にインダス河をさかのぼって、そこに住みついた、いわゆるアーリヤ系の人びとの子孫です。かれらもまた吐蕃に征服され、チベット人と同化してゆきました。
以後のラダックは、つねに、インドに向けられたチベットの玄関でした。9世紀に吐蕃が崩壊し、仏教が廃れたときも、インド仏教はこの地を通って、ふたたびチベットを潤してゆくのでした。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/?m&no=144
現在のラダックには、アーリヤ系の面立ちを残したダルド人も、トルコ系のムスリムもいます。仏教徒とイスラム教徒が共存する世にも稀なる地域なのです。
ともあれ、褐色の大地と群青色の空のはざまに、強い光と濃い影にあやなされた、人間のナマの祈りがそこにはあります。原色の密教が、愛と怒りの仏たちのおりなす曼荼羅が、人びとの暮らしのなかで息づいているのです。

PS:ただいま、ラダックツアー「天空曼荼羅の旅」(2019年8月24日~9月1日)、募集中。
ご質問、ご予約はカイラスへ。http://kailash.jp/

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