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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ローティー roṭī रोटी【ちょこっとサンスクリット】


野に住むサードゥにパンを焼いていただきました。
托鉢で得たアータ(小麦の全粒粉)を水でこねてボールにし、掌で打ちのばして平たくする。これを熱い灰に埋め、火が通れば完成。ヒトが初めて食べたパン、を想わせる原始のパンです。
「パン」を表わすサンスクリットはいくつかありますが、そのうちローティー(roṭī)は今日でもそのまま使われている言葉です。√ruṭ(打つ)が語根ですから、生地をパンパン打ちのばすことから出た語でしょう。
ところが、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』に「生命をささえる糧(かて)」として称えられてるのはもっぱら大麦(yava)で、小麦(godhūma)のことも、ローティーのこともまったく触れられていません。つまり5000~4000年前のインド人は、サードゥがつくるようなパンすら口にしなかったのです。
当時のインド人が小麦を知らなかったわけではありません。小麦は大麦とともに、インド(正しくは、歴史考古学のモデル地区であるメヘルガル遺跡)では、約9500年前に栽培が始まります。しかし、長いあいだ、同じころに飼育が始まったヤギやヒツジの餌にとどまりました。なぜなら、小麦は調理するまでが大変だから。

コムギの実は、硬い外皮(モミ)に包まれています。オオムギやコメであれば、外皮はキネで搗(つ)いてやれば簡単に外れるのですが、コムギはそうはいきません。コメでいえば白米にあたる可食部の胚乳とがっちりと密着している。胚乳を取りだすには、外皮ごと粉にして、フルイにかけるしかない。その粉にする作業が、大変な重労働なのです。
リグ・ヴェーダのころ、エジプトではすでに発酵パンが食べられていましたが、製粉はもっぱら奴隷の仕事でした。すり臼、つまりインドで今もスパイスを擂るのに使っているような石盤と石棒で、朝から晩まで、ゴリゴリとすり潰すのです。
3000年ほど前に西アジアのどこかで回転臼が発明されると、この手間は一気に短縮されました。すり臼では100分かかる製粉が、回転臼では1分ですみます。まことにコムギのために生まれた器械でした。
回転臼はブッダのころまでにはインドにも伝わり、以後、さまざまなパンがつくられるようになりました。

おなじみチャパティ(ヒンディーcāpāṭī)は、梵チャルパティー(carpaṭī)の転訛です。これはチャルパタ(手のひら)に由来する語ですから、はじめはローティー同様、掌で打ちのばしたのでしょう。それが、ローラーを使って薄く伸ばした生地を鉄板で焼いたものに変わりました。
サードゥのパンはボソボソしていて美味しいものではありませんでしたが、チャパティは小麦の生のデンプンが瞬時にしてα化されるため、味はよい。シンプルだが、多くのインド人が長くこれを主食としてきたことからもわかるように、それ以上改善する余地がないほど完成度が高いパンです。
チャパティを小型にしたのが、プルカ(phulkā)。ギーを塗って弁当にされることが多い。
チャパティまたはプルカを油で揚げたのが、プーリー(pūrī)。油に通すことで、神に客人に与えるにふさわしい浄性が生じます。
パロッタ(綴りはparām̐ṭhā)は、生地にギーを塗って、層にして焼いたもの。ジャガイモなどの詰めものをして焼いたものもあります。
以上は、無発酵の生地を用いたパンですが、ナーン(nān)は古代エジプトのパンの流れを汲む、インドではパンジャーブに特有の発酵パンです。
ローティーは、現在のヒンディー語でも、これらさまざまなパンの総称として、またチャパティの古語として使われています。

現代インドのチャパティ用のコムギも、モンサントの餌食になりました。多くの農民が絶望に追いやられ、小麦食の拒否運動も起こりました。現在、インドはモンサントを追い出しつつあります。



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