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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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サンスクリタ saṃskṛta संस्कृत【ちょこっとサンスクリット】


“サンスクリット”(Sanskrit)は、サンスクリットでは「サンスクリタ」(Saṃskṛa)。

sam(完全に)-s-√kṛ(行なう)の過去分詞(または形容詞)。そんな「サンスクリタな」、すなわち「準備された、調えられた、磨き上げられた」言語が、サンスクリットです。

その言語は、ひとりの人物によって、文字どおりに「準備され、調えられ、磨き上げられ」ていったのです。彼の名はパーニニ(Pāṇini)——



「人類はかつて唯一の言葉を用いていたが、バベルの塔の崩壊とともに、言葉は千々に分かれ、人々の意志疎通は困難になり、そして人は……愚かになった」

これは旧約聖書の伝説ですが、「バベルの塔」を「インダス=リグ・ヴェーダ文明」に入れ替えれば、そのまま古代のインドにも当てはまります。

パーニニがいつの人であったか定かではありません。が、ブッダとさほど変わらぬ時代の人であったことは確かです。

かつての文明の中心地とはいえませんが、それほど離れていないガンダーラ(現パキスタン)に生まれた彼は、言葉の乱れを嘆きました。インダス文明の滅びから、すでに千数百年を経ている。言葉は時代とともに変わってゆく。今の日本で大和言葉(やまとことば)が通じぬのと同じこと。秋田弁と鹿児島弁とでは会話にならないのとも同じこと。当然といえば当然でしょう。

しかし、パーニニには耐えられぬことでした。なぜなら、かつての唯一の言葉であったヴェーダ語は、「神々の言葉」でもあったから。ヴェーダの言葉から離れるということは、神々からも離れ……そして愚かになっていくことにほかなりません。

パーニニは、ヴェーダ語の文法の制定——すなわちヴェーダの言葉から法則を抽出すること――に思いいたりました。そうすれば、人々は容易にヴェーダを学べるであろうと。

そして彼は、かつての文明の地——現在のパキスタンを中心に、西はアフガニスタン、北はカシミール、東はガンジス河畔にいたるじつに広大な領域をくまなく訪ね、そこで用いられているヴェーダ語系の話し言葉(bhāṣā)と韻文(chandas;讃歌に用いる言語)を可能なかぎりを蒐集する「言葉狩り」の旅に出かけるのです。伝説によると、彼はそのとき百歳に達していたということです。



彼のやりかたは、現在の比較言語学の手法そのものでした。というより、比較言語学は、サンスクリット語を「発見」した近代ヨーロッパの言語学者が、パーニニの手法を真似ることによって誕生したのです。すなわち、蒐集した(準備した)各地の無数の言葉を、精細に比較し、徹底的に分析し(調え)、法則を抽出する(磨き上げる)。

パーニニは、まず、それらの言葉で使われる音声を非常に体系的なものにアレンジして、サンスクリットのアルファベットの基礎をつくります。単語からは語根を導きだし、これに接頭辞と接尾辞を添加することによって、動詞や名詞に成長する、という法則を確認します。

そのようにして、彼は、古今を極め、語根・語彙すべてを包括した文典、“アシュターディヤーイー”(Aṣṭa-ādhyāyī;『八つの章』)を作りあげました。



パーニニ文法にもとづく言語、すなわちサンスクリットはすぐに広まり、以後、インドの学問はすべてサンスクリットでしるされるようになりました。そして、このサンスクリタな(準備され、調えられ、磨き上げられた)言語により、それらの教典は、ヴェーダの伝統と直結することが可能になったのです。

けれども、パーニニ自身が、この言語を「サンスクリタ」と称したわけではありません。彼は、単に“ヴァーシャー”(言葉)と呼んでいました。それが「サンスクリタ」と称されるようになるのは、この言語を公用語としたグプタ時代(4~6世紀)のことです。

サンスクリットは、インドのみならず、東南アジアや中央アジアにおいても、イスラムが台頭する12世紀ごろまで、共通語の地位にありました。アジアの広い領域において、人々はサンスクリットで会話したのです。といえば、ひどく難解な言葉が行き交っているかのように思われるかもしれません。しかし、梵会話はあんがい簡単なのです。

サンスクリット最大の難関は動詞ですが、話し言葉では動詞は分詞になります。英語でいえば、BE動詞のamもareもisも、分詞のbeingになるようなもの。そして、サンスクリットの分詞は、名詞と同じ語尾変化をします。名詞の語尾変化には数十のパターンがありますが、それは立前で、じっさいは-aで終わる語尾変化が大半を占めています。

ようするに、梵会話では、動詞をまったく無視し、名詞の変化のパターンをいくつか憶え、話し言葉のフレーズ(構文)を100ほどものにすれば、けっこうしゃべれるようになる。そして、憶えるのが難しいか簡単かでいえば、われわれ日本人にとっては英会話とたいして変わらない、ということです。
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