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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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サンスクリットで頭がよくなる?【コラム】


「サンスクリット語でマントラを暗唱すると、脳灰白質が増加することが明らかに」

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10337.php

という記事がありました。

脳灰白質が増加する——とは、脳の量が増えて、頭がよくなる、ということ。ホントであれば、長くサンスクリットと遊んできたわたしとしては嬉しい話なのですが。

ともあれ、言語と脳の関係を研究するハーツェル博士ひきいるチームが、インドのサンスクリット学者たちの脳と、そうでない人たちの脳をMRIでスキャンして比較したところ、前者の脳が後者のそれの、消費税よりも高い10%増であった。とくに、記憶や、音・空間・視覚などの「パターン」をつかさどる海馬が大きく発達している、というのです。

サンスクリット学者というのは、おそらく“パンディット”とよばれる人たちでしょう。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-46.html

ヴェーダにはじまる数十、数百の聖典を丸暗記している「歩く図書館」。インドの数千年の歴史と文化の「語り部」です。記憶力がずば抜けて良いことは、当然でしょう。そして、かれらのコンピュータ並みの記憶能力が、音・空間・視覚などの「パターン認識」と深くかかわっていることは確かです。思い当たることがあります。

サンスクリットは、数学的かつ音楽的で、ヴィジュアルに富み、生物的で、天則(ṛta;宇宙の法則)をすら予感させます。



文法は、=、+、-、×、÷、√、∴などの記号を駆使する数式そのもの。すなわち非常に論理的です。

聖典をつづるための韻文は、たとえばシュローカ調ですと、8音節×4行の詩になりますが、短母音と長母音の配置が定められているため、おのずとリズムと旋律が生まれます。

伝説によると、シュローカ調の発明者は『ラーマーヤナ』の作者ヴァールミーキ。彼はヴィーナーの調べに乗せて『ラーマーヤナ』を詠うために、この韻律をつくったとされています。聖典は、記憶しやすいように、最初から歌うようにできている、ということです。

サンスクリットの名詞は、かならず男性・女性・中性の3つの性のいずれが与えられるため、後述する名詞のなりたちも加え、まるで生きものを想わせます。

そして、抽象的な意味の単語であっても、性にしたがって容易に擬人化されます。

たとえば『ヨーガ・スートラ』にいう“プルシャ”と“プラクリティ”。それぞれ「真我」、「根本原質」などと訳されますが、訳語からは何のことやらよくわからない。

しかし、“プルシャ”は男性名詞で、“プラクリティ”は女性名詞。ようするに♂と♀。

難解な両原理は、すぐさま親しげなシヴァ神とパールワティー女神と変身して、神話世界で自由闊達(かったつ)な愛の遊戯をくり広げます。インドの神話は、存在の謎を、図像的に、絵のような筆致で取りあつかいます。難解な哲学を、力のぬけた小咄につくりかえる豊かで巧妙な知恵があります。

名詞は、語根と語幹と語尾の3つの部分からなり、それぞれ動物の、

――頭と胴体とお尻

に相当します。

語根(英語ではルート)は、根というより、まだ動詞にも名詞になっていないコトバのタネ(種子)、といったほうが的確でしょう。その単語の核となるアイデアをかかえる脳であり、植物の種子が1つの細胞であるように、かならず1音節。

音節とは、1母音と0を含むいくつかの子音からなる音声。たとえばvidは、1母音-i-と2子音-v-,-d-からなる、「知る」という意味の語根です。母音と子音のコンビネーションから根源的な意味が生じてくる。それは、卵と精子に含まれる遺伝子の組み合わせによって、生まれてくる子の千差万別の形質が定まるという、現代の遺伝理論を彷彿とさせます。

コトバのタネである語根は、植物のタネが水を得て発芽成長するごとく、母音が一定の法則にしたがって「成長」することにより、語幹になります。vid「知る」という脳は、-i-が-e-に成長し、ved(a)「知ること、学問、ヴェーダ」という背骨と神経をそなえた胴体になります。

ved(a)の-e-がさらに成長して-ai-になり、vaidy(a)「知を有する者、パンディットのごとき学者、アーユルヴェーダ医」という意味の別の語幹にもなります。

しかし、生きた名詞には、お尻(語尾)がなければなりません。男のドクターであれば、-aḥというお尻をつけてvaidyaḥ。女医さんであれば、-ī-がお尻のvaidyī。

このお尻は、さまざまな変化を見せます。vaidyīmで「女医を」、vaidyāは「女医によって」、vaidyai「女医に」……。サンスクリット・フェチのわたしなんぞは、女性名詞のお尻を見ただけで、あらぬ妄想に駆られてしまう。いや冗談ですが、しかし、まんざら、といえないほどに視覚的なのです。

サンスクリットのコトバは、種子や受精卵が成長するのと同じプロセスを経て、単語に育ってゆくのです。



こんなこと長々書いてきたのは、冒頭にあげた記事を読んで思ったことが、じつは「種子」と「水」をめぐる最近の暗い話題だったからです。

作物の種子の遺伝子組み換えをするごとく、コトバのタネのvidの配列をいじってdviにすると、まったく別の意味になる(dviは「2」)。水——コトバの成長や変化にかかわる法則も変わる。パンディットたちは、「サンスクリットの法則」に照らし合わせて、こう警告するでしょう。

種子と水は、生命の基本。その権利を他国に売り渡そうなんて輩は、文字どおりの意味で国を2つに割く売国奴である、と。
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