バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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チーナ Cīna चीन【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】


前回、サンスクリットのシンドゥ(Sindu;インダス河およびその流域)がペルシアでヒンドゥ(Hindu)と訛ったこと、またそれがさらに訛って、ギリシアでインド(Indo)になった、としるしました。それに、ちょっとつけ加えるならば——
漢字で書く「印度」は、このインドとは起源が異なります。「印度」の当て字の発案者は、『西遊記』の三蔵法師のモデルの玄奘(げんじょう)。彼以前の中国では、インドは身毒(しんどく)または天竺(てんじく)と表記されていました。ともにSinduに漢字を当てたものなのですが、玄奘は「身毒、天竺は正しくない。印度とすべきである」と述べています。ところが、彼のいう「印度」はギリシア語のIndoではなく、インドをさす古名のひとつインドゥ(Indu;原意は「月」)に由来します。

さて、「中国」——じつは、これも使うに躊躇する言葉のひとつです。中国は、中華民国、または中華人民共和国の略称ですから、現代のあの国にこの語を用いるのはかまわない。しかし、「玄奘以前の中国では……」などと書きながら、
——そのころ中国なんて、影も形もなかったじゃん!
と、ついつい思ってしまうのです。
あの国の王朝・政権の名を越えた通史的な呼称は「支那」(しな)なのですが、これは中国人の嫌う呼称ということなので、わたしは口でいうときはチャイナと呼んでいます。しかし、支那もチャイナも同語源で、ともにサンスクリットのチーナ(Cīna)にさかのぼります。
BC.221年に「秦の始皇帝」(しんのしこうてい)によって建てられた大帝国のことは、すぐにインドに伝わりました。「秦」はチンと発音したのですが、サンスクリットを舌の癖にする者にとって-aで終わらぬ国名は、なんとも座りが悪い。ために、チンは、インドではチーナと呼ばれることになります。
この梵名が4世紀ごろにヨーロッパに伝えられ、シーナやチャイナなどの語が生まれます。
同じころ、チーナの呼称はチーナ本土に逆輸入され、当時の訳経僧によって「支那」(ちーな)と音写されました。

インドのチーナの関係は、その長い歴史において、後者が共産帝国に変貌した現代を除いては、おおむね良好でした。
文化の流れは、仏教に代表されるごとくインド→チーナの一方通行のように見えますが、チーナ→インドと伝えられたものもちろんあり、それは“チーナ”に始まるサンスクリットの複合語からうかがうことができます。
古代インドで愛されたシルク製品のブランド、チーナーンシュカ(cīna-anśuka)。
チーナ原産のフルーツ類——チーナラージャプトラ(cīna-rājaputra;梨)、チーナーニー(cīnānī;桃)。
そして、左道タントラ文献に頻出するチーナーチャーラ(Cīna-ācāra)。「支那の行法」ぐらいの意味ですが、いわゆる仙道——とくに房中術をふくむ煉丹術(錬金術)をさします。
インド錬金術(rasāyana)に欠くことのできないシンドゥーラ(sindūra;水銀の原料となる辰砂)は、しかしインドではほとんど産出せず、もっぱらチーナからの輸入に頼っていましたが、この場合はチーナピシュタ(cīna-piṣṭa)と称されます。原料のみが伝えられたのではありません。その用法ともども、チーナからインドへと渡ったのです。こと錬金術にかんしては、明らかにチーナのほうが先輩でした。
タミルナードゥ州カーンチープラムの8世紀建立のワイクンタ・ペルマール寺院には、この寺の建立者パッラヴァ王ナンディヴァルマン(在位720〜728年)のグルをつとめたチーナの道士ソンソン(孫某?)の像が刻まれています。
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