バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ヒンドゥー Hindū【伊藤武のちょこっとサンスクリット語】


さんざん使っておきながら、使うに躊躇するサンスクリット語があります。
Hindu(ヒンドゥ)または Hindū(ヒンドゥー)がそれ。Hindu / Hindū に dharma(ダルマ)をつなぐと「ヒンドゥー教」。
近代以降のインドにこれらの語を用いるのはかまわない。しかし、「古代インドのヒンドゥー教は……」などと書くときは、古代インド(通常6世紀後半のグプタ帝国崩壊までをさす)に、シヴァ教やヴィシュヌ教やスーリヤ教はあっても、
——ヒンドゥー教なんてなかったじゃん!
と、ついつい思ってしまうのです。
ペルシア人が、シンドゥ(Sindu;インダス河)を“ヒンドゥ”と呼んだのが、この語の始まり。インド人とペルシア人は非常に近しい関係にあって、言葉——ヴェーダ語とアヴェスタ語もよく似ているのですが、インドにおけるSをペルシア人はHで発音する傾向がある。ゆえにソーマ(soma)はペルシアではハオマ(haoma)に、そしてシンドゥはヒンドゥになる。
シチヤ(質屋)がヒチヤになったり、シツジ(執事)がヒツジになったりする江戸っ子弁を思い浮かべてしまいます。
“ヒンドゥ”はインダス流域をあらわす言葉としてさらに西方に伝えられ、ギリシアにおいても訛って、とうとうインド(Indo)になってしまう。つまり、われわれが口にする「インド」はギリシア語だったのです。
中世前半(13世紀初頭のインド仏教滅亡まで)には、“ヒンドゥ”はインドでもぼちぼち用いられていたようで、いくつかのプラーナ文献にこのペルシア訛りが出てきます。つまり、Hindu
/ Hindū は外来語としてサンスクリット語の仲間入りを果たしたわけですが、あくまでインダス流域をさすスラングといった雰囲気です。

“ヒンドゥ”を初めて、ヒンドゥー教、ヒンドゥー教徒をさす言葉として用いたのは、15世紀のカシミールの歴史家、シュリーヴァラ(Śrīvara)。征服者であるムスリムとは異なる文化的価値観と慣習(火葬、牛崇拝、衣食の様式など)を共有する人びとを識別するために、この語を使用したのでした。
バラモンであり、ペルシア文学やイスラム教にも通じた彼は、著書『ザイナラージャ・タランギニー』のなかで、ムスリム(Mausula)とヒンドゥをさまざまに比較します。
「ムスリムの者らが立派な墓を建てることは、かれらの宗教(darśana)の教義に反している。ムスリムの聖典(śāstra)は、もし遺体を埋めた地面の上に小石の一つでも置かれるならば、あの世(paraloka)に行くときに幸福になる、と語っているのだから」
「もう一方の宗教(anya darśana)、すなわちヒンドゥの葬礼(ācāra)は素晴らしい。手の大きさほどの土地の上で1000万もの人びとを火葬してきたのだ」
「ヒンドゥからムスリムに改宗した連中のなかには、牛肉を商いはじめた者までいる。なんと恐ろしく、嘆かわしいことであろう」
すなわち、シヴァ教やヴィシュヌ教などの枠を越えたインド・ネイティブの宗教と人の総称としてのヒンドゥーは、ムスリムの対語として産声をあげたのです。
しかし、この語が一般化するには、さらに400年を要します。今度は植民地主義者のイギリスと、在来のヒンドゥー&ムスリムを識別するためです。1857年、セポイの乱(インドでの名は「第一次独立戦争」)のさいには、両宗教の人びとは、手に手を取り、
「ヒンドゥー・ムスリム・バーイー・バーイー(ヒンドゥーとムスリムは兄弟だ)」
をスローガンに、大英帝国と戦ったのでした。
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