バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

【伊藤武のかきおろしコラム】むかしの旅


数年後にはインド新幹線が開通する。ムンバイ‐アーメダバード500キロを2時間で結ぶ……かつてマドラス-カルカッタ間を車中で2泊して移動したことを、ふと思い出しました。インド旅行もずいぶん変わったものだ——
わたしがインドを初めて旅したのは、20代前半の、1979〜1981年の約2年間。インターネットも、『地球の歩きかた』もなかった時代。いま思えばたいへんだった。でも、濃密な体験で、ほんとに楽しかった。そのころの旅の様子をスケッチしてみましょう。

インドへの旅は、新宿や原宿の旅行代理店で、タイのバンコクまでの片道チケットを探すことから始まります。世界中どこに行くにも、バンコクでチケットを買うと一番安くあがるからです。バンコク駅前とルンピニー・ムエタイ・スタジアム近くのストリートに安チケットを商う代理店が並んでいます。忘れもしません。TOKYO→BANKOKが6万5000円、BANKOK→BOMBAYが100ドルでした。ちなみに1979年当時の100ドルは3万2000円でしたから、航空券は今のほうがずっと安いですね。
インドでは月に一度100ドルのトラベラーズチェックをルピーに換金し、それでひと月暮らします。100ドル≒1000ルピー。つまり、1ルピー≒32円になります。
安宿は3〜10ルピー程度。6畳ほどの部屋に網ベッドが置かれていて、窓には鉄格子がはまっている。壁はなぜか決まって青。ひどいところではナンキン虫に悩まされます。しかし、安宿には貧乏旅行者が集まる。先述したように詳しい旅行ガイドもないから、情報交換が欠かせないのです。
食に関しては、北インドでは、チャイが25パイサ(1/4ルピー)、サモサも1個25パイサ。チャワル(米飯)またはチャパティ3枚とダール、サブジー(野菜カレー)の食事で3ルピーほど。
コーヒーの産地の南インドでは、カピ(コーヒー)が25パイサで、ネスカフェが50パイサ。インスタントのほうが高級なのです。マサラドーサが1ルピー。ミールス(定食)が3ルピー。これは食べ放題ですから、ずいぶんお得感がありました。
カメラのフィルムの持ち込みは、観光ビザの旅行者は20本までと決められていました。1週間ほどの旅行ではそれで十分ですが、1年以上滞在するとなると大事に使わなければなりません。インド産のフィルムは、買うことはできますが、日本では現像できないのです。そのため、写真を撮るのには、ちょっとした覚悟を要します。
これは、目にする風光を脳裏に焼きつける絶好の訓練になりました。カラリパヤットなどの武術の稽古は撮影禁止ですから、見学したのち、宿に帰り、動作を思い出して、真似しながら、スケッチブックにその型を描きとるということをしました。
今のように遠く離れた人と無線LANでダイレクトに交信することのできなかった時代です。家族や友人に近況を知らせる手紙を出すときは、郵便局で切手を買って貼り、消印のスタンプを押すのを見届けなければなりませんでした。さもないと、郵便局員に切手をはがされ、ネコババされる怖れがあったのです。
ニューデリー、カルカッタ、マドラスなどの大都市にある日本の大使館や領事館には、かならず立ち寄りました。返事の手紙を受け取るためです。住所不定の旅行者は、大使館/領事館宛に手紙を送ってもらいます。c/o
Japanese Embassey Mr.Takeshi Itoという風に。
それらの施設に行っても、われら貧乏旅行者は日本人の外務省職員にはまったく無視されるのですが、ロビーには手紙をおさめる専用のラックが設けられていました。自分への手紙を見つけると、嬉しさと旅情が募ります。
しかし、なかには受け取り手が現われぬまま2年、3年とたった手紙もありました。その人はどうしたのだろう——と知らぬ人の無事を祈ったことでした。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR