バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ヨガ・ボディ【伊藤武のかきおろしコラム】



こんにちのハタヨガは、ハタ・ヨーガ開祖ゴーラクシャのそれとは全くの別もの。前者はポーズ主体で、解剖学を修め、『ヨーガ・スートラ』を聖典とする。後者はプラーナーヤーマを主とし、マルマと脈管の身体を定め、タントラにもとづいている。
どうして、こんなに違ったものになってしまったのだろう?
ずっと疑問に思っていたのですが、名古屋のO氏に奨められた『ヨガ・ボディ』(シングルトン著、喜多千草訳、大隅書店刊)を読んで、合点がいきました。
インドと西洋の矜持(きょうじ)とアイデンティティと葛藤が千々に乱れ、紊(みだ)れたまま、綴(つづ)りあわされたのが、今のヨガ。その経緯は、さまざまな立場の人の思わくが縺(もつ)れに縺れた、複雑怪奇な物語となりますが、かいつまんで述べれば——

18世紀、ムガル帝国が衰退します。かわって伸張したのが大英帝国(この時点では東インド会社)。そのイギリスの侵略に、武器をとって抵抗したのがシヴァ派——おもに全裸で暮らすことを信条とするナーガ派と、ゴーラクシャに始まるナータ派の人びとでした。
『ヨガ・ボディ』には「武装したヨーギンの集団」とあります。ナーガ派はたしかに軍隊のように訓練された戦闘組織ですが、ナータ派はそうではない。ナータに帰依した土豪の兵、というのが正しいかと思われます。たとえば、ネパールのグルカ兵。グルカとは「ゴーラクシャに帰依した人びと」の意。グルカ兵はイギリスの侵略をはね返し、ネパールの植民地化を妨げます。
これはナータ派のレジスタンスが成功した例ですが、インドではイギリスの近代兵器の前に、シヴァ派の民兵はことごとく潰されてしまいます。勝者は敗者をきびしく弾圧しました。ハタ・ヨーガのほんらいの担い手であるナータ派は、息も絶え絶えの状態に陥ってしまいます。
19世紀後半、「アーリヤ人侵入説」の生みの親、マックス・ミュラーに代表される欧米のインド学者たちは、ヨーガの聖典として『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を高く評価します。そして、ヴェーダーンタ哲学・ヴィシュヌ派・バクティ(神への親愛)をヒンドゥー教の正統とするいっぽうで、タントラとシヴァ派を迷信にみちた野蛮な宗教と断じます。なかでもナータ派とそのヨーガ(ハタ・ヨーガ)は最悪の、悪魔の宗教と見なされました。多くのインド人が、かような白人学者の御説に染まってしまうのも、仕方ないことといえましょう。
1893年、ヴィヴェーカーナンダが、シカゴの国際宗教会議において、ヨーガをテーマにした講演で大成功をおさめます。1896年、彼は『ラージャ・ヨーガ』を発表。ヴェーダーンタの御旗のもとに、『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を依拠の聖典とし、タントラ的なもの、ハタ的なものを極力排した、新しきヨーガの夜明けを告げる大著でした。
のちにハタはかたちを変えて復権を果たしますが、その後のインド・ヨーガは、おおかたはヴィヴェーカーナンダの敷いたレールに乗ったもの、といって差しつかえありません。

19世紀のインドでは、こうした宗教・ヨーガ界の潮流と並行して、もうひとつの運動が進行していました。「身体とのポジティブな関わり」です。
ヒンドゥー、とくにバラモンは、身体をカルマの巣として不浄視する傾向にありました。スポーツをふくめ、身体につよい関心をいだくことは、はしたない、とされていたのです。
しかし、イギリスを介し、身体を鍛えることは神意にかなうこと、という風潮がじわじわと広がっていきます。近代的な解剖学・生理学にもとづいたスウェーデン体操がひろく行なわれるようになりました。さらに世紀末になると、ボディビルが大流行。
ヴィヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ』が世に出た同じ1896年、第1回近代オリンピックが開催されると、インド人の「身体への熱いまなざし」はピークに達します。
20世紀に入ると、インド全土で反英感情が高まっていきました。と、ヒンドゥーのアイデンティティは、白人の始めた健康体操やボデイビルに拒否反応をしめし、「国産の体操・自前の身体鍛錬法」に目を向けるようになります。それこそ、ヴィヴェーカーナンダの切り捨てたハタ・ヨーガの一部の、
——アーサナ
にほかなりませんでした。
また同じころ、カラリパヤットほかイギリスによって禁圧されていた土着の武術も、次々と息を吹き返します。表だっては、アーサナを行なうヨーガのアカーラ(道場)で、武術が錬られました。もっとも、警邏の者に見つかると厄介ですから、武術の型がヨーガの連続ポーズのごとく行なわれます。
ともあれ、スウェーデン体操をはじめとする西洋の体操、ボディビル、民俗的な武術やダンスが、
——HATHA YOGA、ASANA
の名のもとに再編されていくのです。
ハタの伝統的な「八十四アーサナ」に含まれぬポーズのほとんどは、そうして20世紀に入ってから開発されたものです。伝統アーサナには本来、連続ポーズはありません。ダイナミックな英雄のポーズ(ヴィーラバドラ・アーサナ)は武術の型のアレンジですし、太陽礼拝(スーリヤ・ナマスカーラ)はボディビルダーが始めたものでした。
西洋文明をすでに知り、ナータ派のヨーガとは切り離されたところでの再スタートでしたから、タントラの身体観はなじみません。西洋の解剖学や、体操、ボディビルの方法論が借用されました。
「これらは西洋のものと考えられているが、じつはインドのヴェーダが起源である」と今日のどこぞの国のようなことをいって、それらを採りいれることを正当化し、ハタの聖典ではない『ヨーガ・スートラ』を戴いて権威づけし……、現代ヨガのいっちょあがり、というわけです。

『ヨガ・ボディ』の著者は、そしてわたしも、現代のハタヨガにケチをつけているわけではありません。現代ヨガの創始者たちは、それぞれにハタ以外の伝統的ヨーガを修め、みずからの経験と知恵を結集して、それまでのインドにはなかったユニークな身体的実践法を編み出していったのですから。
それが生まれて、すでに100年。立派な伝統といえるでしょう。
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武術といえば1950年に欧米で出版されたインドの百科事典
The Encyclopedia of Indian Physical Culture

https://exerciseeggheads.files.wordpress.com/2014/12/indianphyscult.pdf

でもかなり詳しく紹介されていました
主にインドのクシュティのトレーニング法が伝統鍛錬具を初め実践法を掲載しています
既にこの頃には西洋のボディビルとか体操にヨガのみならず武術クシュティも影響を受けてたのでしょうか?
  • posted by 西田大作 
  • URL 
  • 2016.03/02 23:28分 
  • [Edit]

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