2023.05/08 [Mon]
ダヌワンタリ Dhanvantari ちょこっとサンスクリット
Dhanvantari——ダンヴァンタリと表記されることがほとんどですが、わたしはダヌワンタリと書いています。
Dhanvantariは、dhanu(弓)とantar(~の間に)-√i(行く)の合成語。つまり「弓の間を行く者」が原意で、もともとは「従軍医師」をさす一般名詞、ないしは「勝れた外科医」をあらわす称号だったと考えられます。チャラカ(caraka;患者や医薬を求めて「さまよう者」の意)、スシュルタ(suśruta;患者の訴えを「よく聞く者」の意)がそうだったように。
それが、やがて神格化され——
不死の霊薬アムリタを得るために、神々と魔族が一致協力して乳海を攪拌した。ヴィシュヌ神が変じた亀の甲羅を土台に、マンダラ山を攪拌棒に、ヴァースキ竜王を引き綱にして。
乳海から、太陽、月、象王、白馬、聖牛、如意樹、吉祥天女、酒の女神などさまざまな価値あるものが生じ、最後にダヌワンタリが、アムリタを満たした壺をかかえて出現した。
そうして、ダヌワンタリは神々の医師、アーユルヴェーダの開祖として礼拝されるようになります。
また、ダヌワンタリ自身もヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であり、ヤマ(死神)の征服者であるシヴァ神の弟子とも見なされています。そして彼は、スシュルタをはじめ多くの門弟を育てたということです。
以前、仏教アーユルヴェーダをつかさどるホトケ、薬師如来のお話をしました。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com
ダヌワンタリは、そのヒンドゥー教バージョンとでもいうべきでしょうか。
ダヌワンタリが先か、薬師如来が先か、という論争は、野暮というもの。アーユルヴェーダはヒンドゥー教と仏教が共有する財産です。それぞれがそのシンボルとなる神仏を戴けばいい。上座部仏教のスリランカやタイではブッダの侍医のジーヴァカが、この役に就きます。
ただし、バラモン系アーユルヴェーダでは、古くはブラフマー神やアシュウィン双神が医学の祖とされていました。ダヌワンタリは、意外とニューフェイスのようです。
アーユルヴェーダの外科医典『スシュルタ・サンヒター』は現在、19世紀のサンスクリット写本をもとに20世紀に出版された印刷版で研究されているのが普通です。
しかし、2007年、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクトがカトマンドゥで『スシュルタ・サンヒター』の現存最古(9世紀)の写本を発見し、これを精細に調査する「スシュルタ・プロジェクト」を立ち上げました(https://sushrutaproject.org)。
アーユルヴェーダの古典は学術論文ですが、語りの骨格となるストーリーがあります。たとえば、内科の『ダヌワンタリ Dhanvantari
Dhanvantari——ダンヴァンタリと表記されることがほとんどですが、わたしはダヌワンタリと書いています。
Dhanvantariは、dhanu(弓)とantar(~の間に)-√i(行く)の合成語。つまり「弓の間を行く者」が原意で、もともとは「従軍医師」をさす一般名詞、ないしは「勝れた外科医」をあらわす称号だったと考えられます。チャラカ(caraka;患者や医薬を求めて「さまよう者」の意)、スシュルタ(suśruta;患者の訴えを「よく聞く者」の意)がそうだったように。
それが、やがて神格化され——
不死の霊薬アムリタを得るために、神々と魔族が一致協力して乳海を攪拌した。ヴィシュヌ神が変じた亀の甲羅を土台に、マンダラ山を攪拌棒に、ヴァースキ竜王を引き綱にして。
乳海から、太陽、月、象王、白馬、聖牛、如意樹、吉祥天女、酒の女神などさまざまな価値あるものが生じ、最後にダヌワンタリが、アムリタを満たした壺をかかえて出現した。
そうして、ダヌワンタリは神々の医師、アーユルヴェーダの開祖として礼拝されるようになります。
また、ダヌワンタリ自身もヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であり、ヤマ(死神)の征服者であるシヴァ神の弟子とも見なされています。そして彼は、スシュルタをはじめ多くの門弟を育てたということです。
以前、仏教アーユルヴェーダをつかさどるホトケ、薬師如来のお話をしました。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-276.html
ダヌワンタリは、そのヒンドゥー教バージョンとでもいうべきでしょうか。
ダヌワンタリが先か、薬師如来が先か、という論争は、野暮というもの。アーユルヴェーダはヒンドゥー教と仏教が共有する財産です。それぞれがそのシンボルとなる神仏を戴けばいい。上座部仏教のスリランカやタイではブッダの侍医のジーヴァカが、この役に就きます。
ただし、バラモン系アーユルヴェーダでは、古くはブラフマー神やアシュウィン双神が医学の祖とされていました。ダヌワンタリは、意外とニューフェイスのようです。
アーユルヴェーダの外科医典『スシュルタ・サンヒター』は現在、19世紀のサンスクリット写本をもとに20世紀に出版された印刷版で研究されているのが普通です。
しかし、2007年、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクトがカトマンドゥで『スシュルタ・サンヒター』の現存最古(9世紀)の写本を発見し、これを精細に調査する「スシュルタ・プロジェクト」を立ち上げました(https://sushrutaproject.org)。
アーユルヴェーダの古典は学術論文ですが、語りの骨格となるストーリーがあります。たとえば、内科の『チャラカ・サンヒター』では大勢の医者たちがヒマラヤに一堂に会し、医学会議を始め、各々が意見を発表する――といった具合に。
『スシュルタ・サンヒター』では、「スシュルタをはじめとする医者たちが、アムリタとともに乳海から生まれたダヌワンタリのもとに集い、講義を拝聴する」という設定です。ゆえに、印刷版では、
——聖ダヌワンタリはかくのごとく云われた(yathovāca bhagavān dhanvantariḥ)
というフレーズで各章が始まります。
ところが、最古の写本では、スシュルタたちに初めてこの医学の体系を説いたのは、一貫してカーシー(ヴァーラーナシー)王ディボーダーサ(Divodāsa)。ダヌワンタリは、第五巻の冒頭において、飲食物と毒物の専門家として一瞬顔を見せるにすぎません。どうやら、こちらがオリジナルのようです。
他の写本とも照合すると、ダヌワンタリは12、13世紀ごろから地位を向上させて、やがて『スシュルタ・サンヒター』全巻の導師、医学全般の開祖となってようなのです。
そのころ、ムスリムの侵略によりインド仏教は滅亡し、イスラム政権の樹立とともにアーユルヴェーダ自体も圧迫を受けるようになる。それに対抗するために、アーユルヴェーダは、ヴィシュヌの化身、シヴァの愛弟子というより強力なグルを招請したのでしょう。
チャラカ・サンヒター』では大勢の医者たちがヒマラヤに一堂に会し、医学会議を始め、各々が意見を発表する――といった具合に。
『スシュルタ・サンヒター』では、「スシュルタをはじめとする医者たちが、アムリタとともに乳海から生まれたダヌワンタリのもとに集い、講義を拝聴する」という設定です。ゆえに、印刷版では、
——聖ダヌワンタリはかくのごとく云われた(yathovāca bhagavān dhanvantariḥ)
というフレーズで各章が始まります。
ところが、最古の写本では、スシュルタたちに初めてこの医学の体系を説いたのは、一貫してカーシー(ヴァーラーナシー)王ディボーダーサ(Divodāsa)。ダヌワンタリは、第五巻の冒頭において、飲食物と毒物の専門家として一瞬顔を見せるにすぎません。どうやら、こちらがオリジナルのようです。
他の写本とも照合すると、ダヌワンタリは12、13世紀ごろから地位を向上させて、やがて『スシュルタ・サンヒター』全巻の導師、医学全般の開祖となってようなのです。
そのころ、ムスリムの侵略によりインド仏教は滅亡し、イスラム政権の樹立とともにアーユルヴェーダ自体も圧迫を受けるようになる。それに対抗するために、アーユルヴェーダは、ヴィシュヌの化身、シヴァの愛弟子というより強力なグルを招請したのでしょう。
伊藤武
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