FC2ブログ

バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

ドラヴィダ Draviḍa【ちょこっとサンスクリット】 

「アーリヤ人侵入説」が、インドを植民地とした大英帝国の捏造であることは、再三述べてきました。

では、“アーリヤ”と対で語られることの多い“ドラヴィダ”はどうなのしょう?

結論からいえば、ドラヴィダ語族というのはあっても、ドラヴィダ人種というのは存在しません。“ドラヴィダ”は、「地名、または国名、そこの住人」をさす語として始まりました。



南インドの“ドラヴィダ”が、北のインド人にそのすがたを顕わしたのは、BC.3世紀。アショーカ王のマウリヤ帝国拡大のときのことです。マウリヤの兵士たちは、そこでチェーラ(現在のケーララ)、チョーラ(タミルナードゥ)、パーンディヤ(南端部)という、都市を営み、文化的にも十分に成熟した「ドラヴィダ三国」と出くわすのです。

南インドのそれ以前のことは、よくわかっていません。神話伝説のたぐいは豊富にあるのですが、発表されている考古学的資料がきわめて少ないため、確かなことを云えないのです。

かれらがどこから来たかも、はっきりしていません。しかし、最近の遺伝子をもとにした研究では、約9万年前にアフリカからやって来た人類が、インド亜大陸内で、いわゆるニシャーダ人(「先住民」とされる人々)、ドラヴィダ人、アーリヤ人に分かれていった、ということです。わたしも、それが真実に近いのではないか、と考えています。

インダス文明の遺跡からは南インド産の金や石材が出土していますから、北との交易がもたれていたことは確かです。とはいえ、南インドの当時の遺跡から推測されるのは、磨製石器に土器に加えた「新石器時代」段階の物質文化です。

すこし時代が下り、BC.10世紀ごろになると、南インドは西方世界に知られるようになり、フェニキア人やソロモン王の船団がコショウなどのスパイスを求めて訪れました。“ドラヴィダ”は、スパイス貿易で蓄えた財をもとに、西方の文明をモデルに(ドラヴィダの西方からの影響はしばしば指定されています)、マウリヤ帝国の軍隊がやって来るまでの数百年のあいだに、洗練された都市文明を大急ぎで築きあげた、ということでしょうか。ありえないことではありません。のちに同じようなことやってのけますから。

ともあれ、北と南は、アショーカ王のときから親密な交流を始め、サンスクリットの単語にDraviḍaが仲間入りします。

少しのちに成立した『マヌ法典』(Ⅹ-44)には、ドラヴィダ(南インド人)が、カーンボージャ(アフガン系)、ヤヴァナ(ギリシア人)、シャカ・パフラヴァ(ペルシア系)、チーナ(中国人)、キラータ(ヒマラヤモンゴロイド)などとともに、「ヴェーダ文明の周辺に住むクシャトリヤ部族」として登録されました。

梵Draviḍaは現地の発音を写したものなのでしょうが、本来は何を意味するのでしょう。

一般的には、「洗練された、穏やかな」という意味の形容詞、ないしは形容辞とされています。しかし、8世紀のヴェーダーンタの学匠シャンカラは、ヴァーラーナシーのマンダナ・ミシュラと論争するさい、「われは、ドラヴィダ――すなわち『三方を海で囲まれた地方』から来たる者なり」と名のりを上げています。彼はケーララの出身でした。

ドラヴィダの版図は時代とともに変わりますが、Draviḍa が、Dramiḍa→Damila→Tamila と変化してTamil となり、ほぼ現在のタミルナードゥに落ち着いたことが諸文献からうかがえます。また、最初の音節を長母音化してドラーヴィダ(Drāviḍa)にすると、「ドラヴィダ系言語(タミル語、テルグ語、カナリーズ語、マラヤーラム語、トゥル話)を話す人々、またその地方」の意味になります。



ドラヴィダの人々は、アショーカ王以後、北のサンスクリットでしるされた文明をあっという間に吸収し、より高度な、洗練されたものに磨きあげていきます。

インドの寺院建築も、音楽も、ダンスも、料理も、哲学も、ドラヴィダの地でこそ、大きく開花しました。大乗仏教の大成者ナーガールジュナ(竜樹)も前述のヴェーダーンタ哲学の大成者シャンカラもドラヴィダ人です。かれらはまったく、文化的天才というほかありません。

インドが独立し、政治的にも経済的にもひとつにまとまり、南北の交流が盛んに行なわれるようになったとき、北インドの人々は、いま再びドラヴィダと出会います。かれらは、南インドのヒンドゥー寺院が見事に保存されていることに驚嘆しました。ムスリムの侵入を受け、せっかく築きあげた寺や僧院も、めちゃくちゃに壊されることの多かった北インドの人々にとって、ドラヴィダの穏やかな生活はうらやましいかぎりでした。

ヒンドゥー教そのものも、そうした事情を反映し、ひじょうに早い時期からドラヴィダの大地に移り、ここでこそ豊かな発展を続けていたのです。

スポンサーサイト

植物の心【コラム】


「痛てえ~」

痛風。足の親指が真っ赤に腫れあがり、文字どおり、風が触れるだけでも痛く、歩くのもままならぬ。家で発泡酒ばかり飲んでいた報いです。かといって、禁酒する気はさらさらない。

少々値は張るが、ちゃんとしたビールに切りかえたら、すぐに治まりました。

(痛風は男にしか罹らぬ病だ。おれもまだまだオトコだな……)という奇妙な安堵感を残して――



さて、パワースポットといわれるようなところに行くと、決まってでっかい「樹」がそびえてます。

風格があります。オレが天地を支えているのだ、と誇らしげです。

ヌシが住んでいる、という気配をまとっています。

そして、フィトンチッドを放出して、われわれを癒やし、すがすがしい気分にさせてくれます。

そんな樹にかぎらず、あらゆる植物はさまざまな化学物質――動物のフェロモンにあたるものを葉や根から分泌しています。フェロモンはエロ関係だけではありません。他の個体とのコミュケーションをはかるための言葉のようなものです。

……好き……嫌い……嬉しい……悲しい……助けてあげる……やっつけてやる……みたいな。

それによって、縄張りを守ったり、ほかの植物の成長を促進したりしています。みずからの生殖のために花粉を運んでくれる虫には蜜とうっとりするような香りを大盤振る舞いしますが、自分を食べる虫が来ると、われわれが殺虫剤を噴霧するように毒霧を吐いて、追っ払います。

では、それらの反応を統括する心のようなものはあるのでしょうか?



「あるはずがない」と多くの学者はいうでしょう。

「植物には、感覚細胞も神経もない。よって、心など成立しようがない。化学物質云々は、進化の過程においてプログラミングされた単なる反射にすぎない」

たしかに、植物は、泣きも笑いもしません。歌ったり、踊ったりもしません。しかし、ちゃんとしたお百姓や園芸家は、植物の泣き笑いや、歌や踊りも感受しているかもしれません。怒りや憎しみも。

植物に心――その定義はじつに難しいが――のごときものがあるとしたら、かれらの欲望は〈個〉より〈種〉の保存に集中しているにちがいありません。自分の死より、自分の子孫が絶えることを惧(おそ)れています。

だから、人間が次の収穫のために種子を保管し〈種〉の維持を確実なものにしてくれるのであれば、人間の食欲に感応して、自分を「おいしいもの」へといくらでも改造してみせる。地中海沿岸に野生していたアブラナの仲間は、ダイコンにも、カブにも、キャベツにも、ハクサイ、ブロッコリー、カリフラワーにも化けおおせてみせました。

アーユルヴェーダの薬師(くすし)たちは、薬用植物の声を聞きわけ、かれらを愛し、かれらの「助けてあげる」の気持ちをつのらせてから収穫しました。

しかし、生命の根幹である種子そのものを管理しようとすると、誇り高い植物はどんな反応を見せるでしょう? タネを結んでも、生をつなぐことのできない不能の奇形をつくろうとすると――



そう、わたしは遺伝子組み換えのことをいっています。先述の「学者」とは、そうした企業から報酬を得る御用学者をさしています。

ディフェンシブ・ミューテーション(防衛変異)ということばがあります。自然界では天敵に対して、みずからをその天敵の毒と化して生き延びる生物は珍しくありません。

フグがそうです。フグの毒はフグ自身がつくるのではありません。食物連鎖がつくりました。毒源となるのは海中の細菌。これがカニやヒラムシに寄生し、それをフグが食べると、肝臓や卵巣に猛毒が濃縮されます。フグはおのれの身を守るために、この方法を開発しました。

狂牛病もそれに類するものと思われます。同族の屍骸を粉にして食わせられたウシたちは、他牛を啖(くら)い、みずからを啖わせる果てなき反復のなかで、それを強制する天敵への呪いを、増幅し、おのれの肉のなかに異常タンパク質として凝り固まらせたのだと。

そして、植物は心がないから安全である、と誰がいえるでしょう。

すでに、小麦は、ジャガイモは、人体によくない、といわれています。いずれも主食として人類を数千年もの間やしなってくれた恩人の、敵を「やっつけてやる」が発動されたのです。

現在、発泡酒には「遺伝子組み換えではない」の表示はしなくてもよいことになっています。つまり、発泡酒の原料はほとんどが遺伝子組み換えと見てまちがいない。

そして、われわれの主食である米も、やがては反乱を起こすでしょう。

しかし、日本は民主国家。われわれにできる対抗策は、今のところ選挙に行くことぐらいしかありません。

サンスクリタ saṃskṛta संस्कृत【ちょこっとサンスクリット】


“サンスクリット”(Sanskrit)は、サンスクリットでは「サンスクリタ」(Saṃskṛa)。

sam(完全に)-s-√kṛ(行なう)の過去分詞(または形容詞)。そんな「サンスクリタな」、すなわち「準備された、調えられた、磨き上げられた」言語が、サンスクリットです。

その言語は、ひとりの人物によって、文字どおりに「準備され、調えられ、磨き上げられ」ていったのです。彼の名はパーニニ(Pāṇini)——



「人類はかつて唯一の言葉を用いていたが、バベルの塔の崩壊とともに、言葉は千々に分かれ、人々の意志疎通は困難になり、そして人は……愚かになった」

これは旧約聖書の伝説ですが、「バベルの塔」を「インダス=リグ・ヴェーダ文明」に入れ替えれば、そのまま古代のインドにも当てはまります。

パーニニがいつの人であったか定かではありません。が、ブッダとさほど変わらぬ時代の人であったことは確かです。

かつての文明の中心地とはいえませんが、それほど離れていないガンダーラ(現パキスタン)に生まれた彼は、言葉の乱れを嘆きました。インダス文明の滅びから、すでに千数百年を経ている。言葉は時代とともに変わってゆく。今の日本で大和言葉(やまとことば)が通じぬのと同じこと。秋田弁と鹿児島弁とでは会話にならないのとも同じこと。当然といえば当然でしょう。

しかし、パーニニには耐えられぬことでした。なぜなら、かつての唯一の言葉であったヴェーダ語は、「神々の言葉」でもあったから。ヴェーダの言葉から離れるということは、神々からも離れ……そして愚かになっていくことにほかなりません。

パーニニは、ヴェーダ語の文法の制定——すなわちヴェーダの言葉から法則を抽出すること――に思いいたりました。そうすれば、人々は容易にヴェーダを学べるであろうと。

そして彼は、かつての文明の地——現在のパキスタンを中心に、西はアフガニスタン、北はカシミール、東はガンジス河畔にいたるじつに広大な領域をくまなく訪ね、そこで用いられているヴェーダ語系の話し言葉(bhāṣā)と韻文(chandas;讃歌に用いる言語)を可能なかぎりを蒐集する「言葉狩り」の旅に出かけるのです。伝説によると、彼はそのとき百歳に達していたということです。



彼のやりかたは、現在の比較言語学の手法そのものでした。というより、比較言語学は、サンスクリット語を「発見」した近代ヨーロッパの言語学者が、パーニニの手法を真似ることによって誕生したのです。すなわち、蒐集した(準備した)各地の無数の言葉を、精細に比較し、徹底的に分析し(調え)、法則を抽出する(磨き上げる)。

パーニニは、まず、それらの言葉で使われる音声を非常に体系的なものにアレンジして、サンスクリットのアルファベットの基礎をつくります。単語からは語根を導きだし、これに接頭辞と接尾辞を添加することによって、動詞や名詞に成長する、という法則を確認します。

そのようにして、彼は、古今を極め、語根・語彙すべてを包括した文典、“アシュターディヤーイー”(Aṣṭa-ādhyāyī;『八つの章』)を作りあげました。



パーニニ文法にもとづく言語、すなわちサンスクリットはすぐに広まり、以後、インドの学問はすべてサンスクリットでしるされるようになりました。そして、このサンスクリタな(準備され、調えられ、磨き上げられた)言語により、それらの教典は、ヴェーダの伝統と直結することが可能になったのです。

けれども、パーニニ自身が、この言語を「サンスクリタ」と称したわけではありません。彼は、単に“ヴァーシャー”(言葉)と呼んでいました。それが「サンスクリタ」と称されるようになるのは、この言語を公用語としたグプタ時代(4~6世紀)のことです。

サンスクリットは、インドのみならず、東南アジアや中央アジアにおいても、イスラムが台頭する12世紀ごろまで、共通語の地位にありました。アジアの広い領域において、人々はサンスクリットで会話したのです。といえば、ひどく難解な言葉が行き交っているかのように思われるかもしれません。しかし、梵会話はあんがい簡単なのです。

サンスクリット最大の難関は動詞ですが、話し言葉では動詞は分詞になります。英語でいえば、BE動詞のamもareもisも、分詞のbeingになるようなもの。そして、サンスクリットの分詞は、名詞と同じ語尾変化をします。名詞の語尾変化には数十のパターンがありますが、それは立前で、じっさいは-aで終わる語尾変化が大半を占めています。

ようするに、梵会話では、動詞をまったく無視し、名詞の変化のパターンをいくつか憶え、話し言葉のフレーズ(構文)を100ほどものにすれば、けっこうしゃべれるようになる。そして、憶えるのが難しいか簡単かでいえば、われわれ日本人にとっては英会話とたいして変わらない、ということです。

サンスクリットで頭がよくなる?【コラム】


「サンスクリット語でマントラを暗唱すると、脳灰白質が増加することが明らかに」

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10337.php

という記事がありました。

脳灰白質が増加する——とは、脳の量が増えて、頭がよくなる、ということ。ホントであれば、長くサンスクリットと遊んできたわたしとしては嬉しい話なのですが。

ともあれ、言語と脳の関係を研究するハーツェル博士ひきいるチームが、インドのサンスクリット学者たちの脳と、そうでない人たちの脳をMRIでスキャンして比較したところ、前者の脳が後者のそれの、消費税よりも高い10%増であった。とくに、記憶や、音・空間・視覚などの「パターン」をつかさどる海馬が大きく発達している、というのです。

サンスクリット学者というのは、おそらく“パンディット”とよばれる人たちでしょう。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-46.html

ヴェーダにはじまる数十、数百の聖典を丸暗記している「歩く図書館」。インドの数千年の歴史と文化の「語り部」です。記憶力がずば抜けて良いことは、当然でしょう。そして、かれらのコンピュータ並みの記憶能力が、音・空間・視覚などの「パターン認識」と深くかかわっていることは確かです。思い当たることがあります。

サンスクリットは、数学的かつ音楽的で、ヴィジュアルに富み、生物的で、天則(ṛta;宇宙の法則)をすら予感させます。



文法は、=、+、-、×、÷、√、∴などの記号を駆使する数式そのもの。すなわち非常に論理的です。

聖典をつづるための韻文は、たとえばシュローカ調ですと、8音節×4行の詩になりますが、短母音と長母音の配置が定められているため、おのずとリズムと旋律が生まれます。

伝説によると、シュローカ調の発明者は『ラーマーヤナ』の作者ヴァールミーキ。彼はヴィーナーの調べに乗せて『ラーマーヤナ』を詠うために、この韻律をつくったとされています。聖典は、記憶しやすいように、最初から歌うようにできている、ということです。

サンスクリットの名詞は、かならず男性・女性・中性の3つの性のいずれが与えられるため、後述する名詞のなりたちも加え、まるで生きものを想わせます。

そして、抽象的な意味の単語であっても、性にしたがって容易に擬人化されます。

たとえば『ヨーガ・スートラ』にいう“プルシャ”と“プラクリティ”。それぞれ「真我」、「根本原質」などと訳されますが、訳語からは何のことやらよくわからない。

しかし、“プルシャ”は男性名詞で、“プラクリティ”は女性名詞。ようするに♂と♀。

難解な両原理は、すぐさま親しげなシヴァ神とパールワティー女神と変身して、神話世界で自由闊達(かったつ)な愛の遊戯をくり広げます。インドの神話は、存在の謎を、図像的に、絵のような筆致で取りあつかいます。難解な哲学を、力のぬけた小咄につくりかえる豊かで巧妙な知恵があります。

名詞は、語根と語幹と語尾の3つの部分からなり、それぞれ動物の、

――頭と胴体とお尻

に相当します。

語根(英語ではルート)は、根というより、まだ動詞にも名詞になっていないコトバのタネ(種子)、といったほうが的確でしょう。その単語の核となるアイデアをかかえる脳であり、植物の種子が1つの細胞であるように、かならず1音節。

音節とは、1母音と0を含むいくつかの子音からなる音声。たとえばvidは、1母音-i-と2子音-v-,-d-からなる、「知る」という意味の語根です。母音と子音のコンビネーションから根源的な意味が生じてくる。それは、卵と精子に含まれる遺伝子の組み合わせによって、生まれてくる子の千差万別の形質が定まるという、現代の遺伝理論を彷彿とさせます。

コトバのタネである語根は、植物のタネが水を得て発芽成長するごとく、母音が一定の法則にしたがって「成長」することにより、語幹になります。vid「知る」という脳は、-i-が-e-に成長し、ved(a)「知ること、学問、ヴェーダ」という背骨と神経をそなえた胴体になります。

ved(a)の-e-がさらに成長して-ai-になり、vaidy(a)「知を有する者、パンディットのごとき学者、アーユルヴェーダ医」という意味の別の語幹にもなります。

しかし、生きた名詞には、お尻(語尾)がなければなりません。男のドクターであれば、-aḥというお尻をつけてvaidyaḥ。女医さんであれば、-ī-がお尻のvaidyī。

このお尻は、さまざまな変化を見せます。vaidyīmで「女医を」、vaidyāは「女医によって」、vaidyai「女医に」……。サンスクリット・フェチのわたしなんぞは、女性名詞のお尻を見ただけで、あらぬ妄想に駆られてしまう。いや冗談ですが、しかし、まんざら、といえないほどに視覚的なのです。

サンスクリットのコトバは、種子や受精卵が成長するのと同じプロセスを経て、単語に育ってゆくのです。



こんなこと長々書いてきたのは、冒頭にあげた記事を読んで思ったことが、じつは「種子」と「水」をめぐる最近の暗い話題だったからです。

作物の種子の遺伝子組み換えをするごとく、コトバのタネのvidの配列をいじってdviにすると、まったく別の意味になる(dviは「2」)。水——コトバの成長や変化にかかわる法則も変わる。パンディットたちは、「サンスクリットの法則」に照らし合わせて、こう警告するでしょう。

種子と水は、生命の基本。その権利を他国に売り渡そうなんて輩は、文字どおりの意味で国を2つに割く売国奴である、と。

パートラ pātra  पात्र【ちょこっとサンスクリット語】


タイ語の語彙の約3割が、サンスクリットまたはパーリ語に由来するそうです。たとえば、「食事」を意味するアーハーンはサンスクリットのāhāra(食物、滋養物、栄養のある物)から。「パフユット」(古式ムエタイ)は同じくbāhu-yuddha(素手の戦闘)から。

日本でも、サンスクリット由来の言葉が1割はあるのではないでしょうか。今回は「日本語になったサンスクリット」の第二弾(第一弾はhttp://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-85.html)。



人気のシンギングボウル。もともとは僧侶やサードゥが托鉢(たくはつ)にもちいる鉢(はち)です。

サンスクリットでいえば、パートラ(pātra)。「水などを飲む(√pā)道具(tra)」が原意で、「杯や鉢などの器、[布施をするにあたいする]価値ある人」といった意味になります。

しかし、鉢のサンスクリットがパートラなのではなく、パートラが訛りに訛って、現在の「はち」に落ち着いたというのが正解。

パートラはまず中国で「鉢多羅」と音訳されました。鉢はpātraを写すために造られた漢字で、意味はありません。その鉢多羅が日本に入ってきたものの、日本人は多羅を落として「鉢」だけにしてしまい、これを「ぱち」と呼んでいました。

鎌倉時代あたりまでは、ひらがなで「はひふへほ」と書いても、上下の唇を触れあわせてから発声する唇音の「ぱぴぷぺぽ」で読んでいたのです。

「くちびるが二度くっついて、別れるものはなあに?」当時のなぞなぞです。

「母」が答え。

「はは」 と発音するのであれば、上下の唇の出会いはない。しかし、「ぱぱ」であれば、唇が2回接触することになる。むかしの「はは」は「ぱぱ」だったのです。

それがやがて、「ふぁふぁ」(fafa)となる。キリシタン文書では平家物語の平家が“Feike”、博多が“Fakata”とローマナイズされているから、それがわかります。f も上下の唇の出会う唇音です。

「鉢」は近世初期あたりまでは「ふぁち」。江戸時代もだいぶ経ってからようやく「はち」になります。



「は」が古くは「ぱ」で発音されていたのであれば――

機織りなどのいうときの「はた」(機)は「ぱた」であったことになります。そして、これはサンスクリットのパタ(paṭa)そのもの。√paṭ(糸を紡ぐ/機を織る)が名詞化した語で、「布(特に木綿布)、織物、更紗(さらさ)などの美しい布、布絵」などの意味になります。

インドは綿と染めのふるさとで、インダス文明の時代から更紗を西アジアやエジプトに輸出していました。paṭaは上代に仏教とともに日本に入ってきた梵語とされています。



おなじく「はた」と発音される「旗/幡」もサンスクリットのパターカー(paṭākāまたはpatākā)が起源です。布絵としてのpaṭaから派生した語で、仏や菩薩を荘厳・供養するための仏具として日本に入ってきました。パターカーも単に「ぱた」と呼ばれるようになり、仏具としてしてのそれには通常「幡」(はた、ばん)の字が当てられます。それが、侍の旗印(はたじるし)や国旗などの「旗」に発展します。



意外なところでは、芸者や遊女などを揚げる「花代」の「はな」も、古代インドの通貨パナ(paṇa)に由来します。

辞書によると1パナはカウリー(貨幣として用いるタカラガイ)80個分の価値があったとか。それがどのくらいの価値になるかわかりませんが、京都の色街で遊んだ比叡山のエロ坊主たちが口にした言葉が定着したようです。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
講座案内等はこちらでお知らせしています。
http://malini.blog105.fc2.com/

お問い合わせはこちらまで。
yaj612@gmail.com

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR