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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ダヌワンタリ Dhanvantari ちょこっとサンスクリット


Dhanvantari——ダンヴァンタリと表記されることがほとんどですが、わたしはダヌワンタリと書いています。

Dhanvantariは、dhanu(弓)とantar(~の間に)-√i(行く)の合成語。つまり「弓の間を行く者」が原意で、もともとは「従軍医師」をさす一般名詞、ないしは「勝れた外科医」をあらわす称号だったと考えられます。チャラカ(caraka;患者や医薬を求めて「さまよう者」の意)、スシュルタ(suśruta;患者の訴えを「よく聞く者」の意)がそうだったように。

それが、やがて神格化され——



不死の霊薬アムリタを得るために、神々と魔族が一致協力して乳海を攪拌した。ヴィシュヌ神が変じた亀の甲羅を土台に、マンダラ山を攪拌棒に、ヴァースキ竜王を引き綱にして。

乳海から、太陽、月、象王、白馬、聖牛、如意樹、吉祥天女、酒の女神などさまざまな価値あるものが生じ、最後にダヌワンタリが、アムリタを満たした壺をかかえて出現した。



そうして、ダヌワンタリは神々の医師、アーユルヴェーダの開祖として礼拝されるようになります。

また、ダヌワンタリ自身もヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であり、ヤマ(死神)の征服者であるシヴァ神の弟子とも見なされています。そして彼は、スシュルタをはじめ多くの門弟を育てたということです。

以前、仏教アーユルヴェーダをつかさどるホトケ、薬師如来のお話をしました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com

ダヌワンタリは、そのヒンドゥー教バージョンとでもいうべきでしょうか。

ダヌワンタリが先か、薬師如来が先か、という論争は、野暮というもの。アーユルヴェーダはヒンドゥー教と仏教が共有する財産です。それぞれがそのシンボルとなる神仏を戴けばいい。上座部仏教のスリランカやタイではブッダの侍医のジーヴァカが、この役に就きます。

ただし、バラモン系アーユルヴェーダでは、古くはブラフマー神やアシュウィン双神が医学の祖とされていました。ダヌワンタリは、意外とニューフェイスのようです。



アーユルヴェーダの外科医典『スシュルタ・サンヒター』は現在、19世紀のサンスクリット写本をもとに20世紀に出版された印刷版で研究されているのが普通です。

しかし、2007年、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクトがカトマンドゥで『スシュルタ・サンヒター』の現存最古(9世紀)の写本を発見し、これを精細に調査する「スシュルタ・プロジェクト」を立ち上げました(https://sushrutaproject.org)。

アーユルヴェーダの古典は学術論文ですが、語りの骨格となるストーリーがあります。たとえば、内科の『ダヌワンタリ Dhanvantari



Dhanvantari——ダンヴァンタリと表記されることがほとんどですが、わたしはダヌワンタリと書いています。

Dhanvantariは、dhanu(弓)とantar(~の間に)-√i(行く)の合成語。つまり「弓の間を行く者」が原意で、もともとは「従軍医師」をさす一般名詞、ないしは「勝れた外科医」をあらわす称号だったと考えられます。チャラカ(caraka;患者や医薬を求めて「さまよう者」の意)、スシュルタ(suśruta;患者の訴えを「よく聞く者」の意)がそうだったように。

それが、やがて神格化され——



不死の霊薬アムリタを得るために、神々と魔族が一致協力して乳海を攪拌した。ヴィシュヌ神が変じた亀の甲羅を土台に、マンダラ山を攪拌棒に、ヴァースキ竜王を引き綱にして。

乳海から、太陽、月、象王、白馬、聖牛、如意樹、吉祥天女、酒の女神などさまざまな価値あるものが生じ、最後にダヌワンタリが、アムリタを満たした壺をかかえて出現した。



そうして、ダヌワンタリは神々の医師、アーユルヴェーダの開祖として礼拝されるようになります。

また、ダヌワンタリ自身もヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であり、ヤマ(死神)の征服者であるシヴァ神の弟子とも見なされています。そして彼は、スシュルタをはじめ多くの門弟を育てたということです。

以前、仏教アーユルヴェーダをつかさどるホトケ、薬師如来のお話をしました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-276.html

ダヌワンタリは、そのヒンドゥー教バージョンとでもいうべきでしょうか。

ダヌワンタリが先か、薬師如来が先か、という論争は、野暮というもの。アーユルヴェーダはヒンドゥー教と仏教が共有する財産です。それぞれがそのシンボルとなる神仏を戴けばいい。上座部仏教のスリランカやタイではブッダの侍医のジーヴァカが、この役に就きます。

ただし、バラモン系アーユルヴェーダでは、古くはブラフマー神やアシュウィン双神が医学の祖とされていました。ダヌワンタリは、意外とニューフェイスのようです。



アーユルヴェーダの外科医典『スシュルタ・サンヒター』は現在、19世紀のサンスクリット写本をもとに20世紀に出版された印刷版で研究されているのが普通です。

しかし、2007年、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクトがカトマンドゥで『スシュルタ・サンヒター』の現存最古(9世紀)の写本を発見し、これを精細に調査する「スシュルタ・プロジェクト」を立ち上げました(https://sushrutaproject.org)。

アーユルヴェーダの古典は学術論文ですが、語りの骨格となるストーリーがあります。たとえば、内科の『チャラカ・サンヒター』では大勢の医者たちがヒマラヤに一堂に会し、医学会議を始め、各々が意見を発表する――といった具合に。

『スシュルタ・サンヒター』では、「スシュルタをはじめとする医者たちが、アムリタとともに乳海から生まれたダヌワンタリのもとに集い、講義を拝聴する」という設定です。ゆえに、印刷版では、

——聖ダヌワンタリはかくのごとく云われた(yathovāca bhagavān dhanvantariḥ)

というフレーズで各章が始まります。

ところが、最古の写本では、スシュルタたちに初めてこの医学の体系を説いたのは、一貫してカーシー(ヴァーラーナシー)王ディボーダーサ(Divodāsa)。ダヌワンタリは、第五巻の冒頭において、飲食物と毒物の専門家として一瞬顔を見せるにすぎません。どうやら、こちらがオリジナルのようです。

他の写本とも照合すると、ダヌワンタリは12、13世紀ごろから地位を向上させて、やがて『スシュルタ・サンヒター』全巻の導師、医学全般の開祖となってようなのです。

そのころ、ムスリムの侵略によりインド仏教は滅亡し、イスラム政権の樹立とともにアーユルヴェーダ自体も圧迫を受けるようになる。それに対抗するために、アーユルヴェーダは、ヴィシュヌの化身、シヴァの愛弟子というより強力なグルを招請したのでしょう。


チャラカ・サンヒター』では大勢の医者たちがヒマラヤに一堂に会し、医学会議を始め、各々が意見を発表する――といった具合に。

『スシュルタ・サンヒター』では、「スシュルタをはじめとする医者たちが、アムリタとともに乳海から生まれたダヌワンタリのもとに集い、講義を拝聴する」という設定です。ゆえに、印刷版では、

——聖ダヌワンタリはかくのごとく云われた(yathovāca bhagavān dhanvantariḥ)

というフレーズで各章が始まります。

ところが、最古の写本では、スシュルタたちに初めてこの医学の体系を説いたのは、一貫してカーシー(ヴァーラーナシー)王ディボーダーサ(Divodāsa)。ダヌワンタリは、第五巻の冒頭において、飲食物と毒物の専門家として一瞬顔を見せるにすぎません。どうやら、こちらがオリジナルのようです。

他の写本とも照合すると、ダヌワンタリは12、13世紀ごろから地位を向上させて、やがて『スシュルタ・サンヒター』全巻の導師、医学全般の開祖となってようなのです。

そのころ、ムスリムの侵略によりインド仏教は滅亡し、イスラム政権の樹立とともにアーユルヴェーダ自体も圧迫を受けるようになる。それに対抗するために、アーユルヴェーダは、ヴィシュヌの化身、シヴァの愛弟子というより強力なグルを招請したのでしょう。



伊藤武
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飯綱大権現(いづなだいごんげん)


今年もやります。高尾山……合宿はコロナの影響でまだダメだけど……ワンデイ講座。

◆テーマ 身体の地図・チャクラの住所 

◆開催日時 6月10日 9:30~15:20 15:30より 護摩修行(自由参加)

◆会場 高尾山薬王院

◆ゲスト講師 牧野修玄



さて、高尾山では毎回楽しみにしているのが、護摩修行。日本訛りのきついマントラの響きに身をゆだねながら、踊る祭火を見ていると、心がウキウキしてきます。それから、本堂の奥で密かに祭られているご本尊(もっとも本当の本尊は秘仏で非公開)の、飯綱大権現《いづなだいごんげん》を拝観する。しかし、まあ——

なんと奇怪な、いや有難いお姿をしたホトケでしょう。

剣と羂索をもち火焔を背負った烏天狗が、白狐の上に仁王立ちしている。よく見ると、狐には蛇が巻きついている。

じつは、不動明王(シヴァ?)、迦楼羅(ガルダ)、聖天(ガネーシャ)、荼枳尼(ダーキニー)、弁天(サラスワティー)の5柱の神々が合体して一つになった超強力なホトケが、飯綱大権現なのです。

剣と羂索と火焔は、不動明王の威容。彼の梵名のAcalanāthaがシヴァの異名の一つだから、正体はシヴァである、と言われることがありますが、ちょっとビミョーですね。

インドの仏教タントラは、シヴァ・タントラにたいへんな敵愾心をいだいていました。そのため、シヴァをやっつけるホトケが大勢生み出されることになります。降三世明王や後期密教のヘールカ(ヘーヴァジュラ、チャクラサンヴァラなど)はその代表ですが、もっとも初期の刺客が不動明王なのです。密教の神話では、大日如来に敵対するシヴァを不動明王が踏み殺したことになっています。

とはいえ、密教には、勝者は敗者の属性を吸収する、というルールがありますから、不動明王はシヴァ化したホトケと云えなくもない。飯綱大権現の本地は、この不動明王。いいかえれば、お不動さんが飯綱大権現にアヴァターラ(化身)した、というわけです。

烏天狗の鳥のクチバシと翼をつけた姿は「迦楼羅の飛行自在の徳をあらわす」と云われていますから、日本に帰化したガルダが烏天狗である、と断言することができます。

ガネーシャの特性は飯綱大権現の外見からはうかがえませんが、彼はそのお心が、人々に富を与え、病を除き、男女和合をもたらす聖天であるとのこと。つまり、ハートがガネちゃんなのですね。

白狐はダーキニーの象徴。ダーキニーは、人肉を啖う尸林(屍体を遺棄する森、墓場)の魔女です。同様に尸林にたむろし、屍体を貪るジャッカルは、ダーキニーの遣い、とされました。ダーキニーは空海が長安から運んできた胎蔵曼荼羅に乗っかって来日したのですが、本邦にジャッカルはいない。そこで、ジャッカルに似たキツネを飼いならしたようです。

彼女は、インドにおいて仏教に帰依するさい、大日如来の特使である金剛薩埵から大乗仏教の戒律を守るよういい渡された。つまり菜食主義を遵守しなければなりません。しかし、

「あたし、お肉しか食べられませ~ん」

「ならば、半月以内に死ぬ者の心臓を食べてもよろしい」と金剛薩埵。

そういうわけでダーキニー、日本では荼枳尼は、人の死を半月前(または半年前)に知る通力があると信じられました。そして、彼女に供物を捧げ密かに祀ることで、人の死を知り、さらには調伏呪殺することができるとされたのです。それが「荼枳尼秘法」や「飯綱の法」とよばれる呪法です。じつは、飯綱大権現は、この秘術を核にして、もともとは山伏や忍者に信仰されていた尊格だったのです。

蛇は智慧と学芸の女神サラスワティー。インドにはサラスワティーを蛇形で祀る慣習はわたしの知るかぎりありませんが、日本では彼女は財をもたらす蛇形の福神、宇賀神《うがじん》と習合し、宇賀弁財天などとも呼ばれることになります。サラスワティーはもともとは河の女神ですから、水神であるナーガ(蛇)と結びつくのはアリかな、と思っています。



どうです。飯綱大権現。ありがた~いホトケ様でしょう。高尾山講座、お待ちしています。

密教のダイナミズム

YAJ定期講座「密教/タントラ勉強会」も今月で36回。次回から4年目に突入します。長期講座になってしまいました。

これまで、インド密教の諸相、マンダラ・ヤントラ・寺院、シヴァ・女神・ヴィシュヌのタントラ、空海密教、ネパールやチベットの密教、ハタ・ヨーガの発展などに言及してきましたが、そろそろネタが尽き……そうにありません。

新しい知識の鉱脈を発見してしました。ネットで入手できるインドや欧米の密教学者たちの論文です。最近は自動翻訳機もずいぶんと進化したために、ボリューミーな英文もストレスなく読めてしまいます。

正直いって、以前は、インド人はともかく、白人の密教学者なんてナメていました。植民地主義者の後裔の(おそらく)クリスチャンの学者たちに、密教がわかろうはずがない、と。

ところが、彼/彼女(女性の学者も多い)たちは、キリスト教の対極にあるこのアジアのエクゾチックな宗教と恋に落ちてしまった。相手を口説き落とそうするごとく、マメで熱心だ。サンスクリット解読能力は申し分ない。漢文で書かれたテキストにも精通している。日本の密教についても詳しい。そして、日本の同業の先生たちとは、着眼点がまるで異なる。

日本の密教学者は、どうしても文献——サンスクリット・チベット語・漢文で書かれたテキストの研究が中心になってしまいます。微に入り細を穿って分析する。素晴らしいことです。しかし、逆に云えば、文献資料がほとんど残っていないジャワやクメール(アンコール)の密教は、無視せざるを得ない。

対して、欧米の学者にとっては、密教という現象のすべてが興味の対象となります。文献はその一部にすぎません。そして、ジャワやクメールの密教は、文献を失えども、おびただしい数の遺跡をを今に伝えている。寺院の配置、形態、大きさ、彫像や浮き彫りなどの装飾は、文献に勝るとも劣らないメッセージを投影している。

彼/彼女たちは、そうした観点に加え、豊富なフィールドワークや文化人類学的な手法をもって、密教現象全般に挑もうとしています。それによると——



現在、密教(仏教タントラ)と呼べるものは、日本とネパール(カトマンドゥ)、そしてチベット文化圏にしか残っていません。チベット本土の密教は中国によって破壊されてしまいました。そのためか、こんにちの仏教の主流である上座部や大乗とは対照的に、密教は周縁的、あるいは異端な現象であるかのように捉えられています。

しかし中世——7~13世紀のアジアの多くの地域において、密教こそが仏教でした。

その発信地はもちろんインドですが、伝導の僧たちは砂漠を往くキャラバンに加わり、ヒマラヤを越え、インド洋を航《わた》る船に乗りこみ、密教はあっという間に東アジア、チベット、東南アジアに伝えられました。各地の王たちは密教を歓迎しました。そして、それぞれの都に大寺院が建立されて密教の二次的なセンターとなり、各センターは巡礼や使節によって相互に結ばれて、ネットワークを形成することになります。

つまり、インド密教、中国・日本密教、チベット密教、ジャワ密教、クメール密教……は決して孤立したものではなく、人と文化の密なる交流があったのです。この巨大な密教文化圏において、サンスクリットは共通言語となり、日本で「梵字」と呼ばれる悉曇文字(シッダ・マートリカー)が共有されることになりました。

アジアの王たちがこぞって密教を採用したのは、それが単なる宗教・哲学にとどまらず、武術・軍学(ダヌルヴェーダ)、音楽・舞踊(ガーダルヴァヴェーダ)、風水・建築・土木(スタパティヤヴェーダ)、美術(シルパ)、医学(アーユルヴェーダ)、化学・錬金術(ラサーヤナ)、天文・占星学(ジヨーティシャ)をも包摂した最新の総合科学だったからです。つまり、王たちはこんにちの科学立国と同じ意味合いで、密教によって富国・先進国となる道を確信したのでした。

ガルダ Garuḍa गरुड

ガルーダではありません。短くガルダ。

日本で“ガルーダ”という呼び名が定着したのは、梶原一騎《かじわらいっき》の影響かな? 『巨人の星』や『あしたのジョー』などの原作で知られる彼の作品のひとつに、『紅の挑戦者』(『少年マガジン』に1973~1975年連載)というのがありました。日本のサッカー少年がムエタイに転向して、タイ人の無敵のチャンピオンに挑戦する、という物語だけど、その鬼神のごときチャンピオンの名がガルーダ。

タイではポピュラーな、戦う神鳥ガルダにあやかっての命名でしょうが、ガルダにせよガルーダにせよ、当時の日本人にとっては初めて聞く言葉でした。以来、日本人の心に“ガルーダ”という音がインプットされてしまったのであろう、と推測しています。

いや、発音にこだわるのであれば、Garuḍaのḍは反舌音だから、ガルラの方が実際の音に近いかもしれません。そして、ガルラであれば、日本仏教で古くから知られる迦楼羅《かるら》の音に近づきます。



ガルダは鳥類の祖、インド神話の始祖鳥だ。じっさいの鳥類が恐竜族から生れたように、ガルダもナーガ(竜族)の突然変異として生を受けた。ナーガたちは、この奇形児をいじめ、奴隷としてこき使った。あるとき、ナーガが云う。

「天界からアムリタ(不死の霊薬)を盗んでくれば、奴隷の身分から解放してやろう」

ガルダは天に向かって羽ばたいた。

アムリタは、天界の七層の塔の最上階に蔵されていた。各階を神々の最強戦士たちが守っている。

ガルダは彼らと戦わなければならない。そして戦ってみて、初めて自分の強さに気づくのだ。

強い強いガルダは、戦士たちを撃破してアムリタを奪い、不死となる……



ブルース・リーの『死亡遊戯』みたいな筋書きですが、彼はこの神話に作品の着想を得たようです。

Garuḍaはgarut(翼)に関連する語で、「天翔ける(√ḍī)翼(garut)を有するもの」と語源解釈されています。また、garutmat(翼を有するもの)で、ワシ(鷲)。

後述するハゲワシを除けば、インド最大の鷲はイヌワシ。翼を広げると2メートルにもなります。天敵がおらず、他の鳥や小型動物を捕食します。強く、その雄々しい容姿ゆえに古くから「鳥の王」と考えられ、ヴェーダ時代にはイヌワシを象《かたど》った祭火壇が築かれました。鷲型祭壇は、信者の願いを乗せて、天空を翔るのです。天界からアムリタを運んだガルダは、この鷲祭壇じたいが神話化されたものだったのです。すなわち、イヌワシはガルダのモデルとして、最もふさわしい。



しかし、わたしは、グリドラ(gṛdhra<√gṛdh[貪る])ことハゲワシもまた、ガルダのモデルの一つであると考えています。『ラーマーヤナ』に、ガルダの甥のサンパーティが、まさに動物の屍肉を貪るハゲワシとして描写されています。

おシャカ様の説法の場として知られる霊鷲山《りょうじゅせん》も、サンスクリットではグリドラクータ(Gṛdhra-kūṭa)で「ハゲワシの峰」。名の由来は、ハゲワシが営巣していたからとも、峰の形がハゲワシに似ていたからとも伝えられていますが、ハゲワシ自体がイヌワシとは異なるニュアンスで神聖視されていたのでしょう。

インドには数種類のハゲワシが生息しますが、最も立派なのがオウサマハゲワシ。真っ黒な胴体に、肩から上は真っ赤。脚も赤く、獰猛そうな顔をし、七面鳥みたいに頰っぺたがビラビラと垂れ下がっています。イヌワシよりも大きく、翼を広げると3メートルにもなります。

あの曲がったクチバシでガリガリやられると思うとゾッとしますが、ハゲワシの類は、グリドラ(屍肉を貪るもの)の名の通り、屍肉漁りをもっぱらとし、生きているものには非暴力を貫きます。

ハゲワシに死者を食させる鳥葬は、インドにもありました。死者の霊は、ハゲワシに乗って天空を往く、と考えられたのです。

アルダナーリーシュワラ Ardhanārīśvara अर्धनारीश्वर

アルダナーリーシュワラ。半分(ardha)女の(nārī)自在神(īśvara)。

「両性具有のシヴァ」、あるいはそのまんまに「半分女の自在神」などと訳されます。

右半身は分厚い胸板をしたシヴァ神。

左半身は乳房が魅力的なパールワティー女神。

虎皮(右)とシルク(左)の腰巻の下はどうなっているのだろう? と不埒なことを思うのはわたしだけではありますまい。

この図像の起源は古い。ヤクシャやヤクシニーなどの土俗の神/女神は別にして、西暦紀元前のインド宗教はおおむね偶像禁止でした。が、AD.1世紀にガンダーラの仏教徒が禁を破って岩からホトケのお姿を彫り出すと、待ってました、とばかり他の宗派もそれぞれの神の偶像を造りはじめます。

シヴァ、ヴィシュヌ、サラスワティー、カールティケーヤ……右が男、左が女の奇妙な神もそのときに産声を上げました。現在知られている最古のアルダナーリーシュワラ像は、マトゥラー博物館所蔵の1世紀の立像とされています。もっとも、当時はシヴァ教の神話も哲学も十分に発達してはいなかった。ゆえに、シヴァとパールワティーの合体像とは云えないと思うのですが。しかし、その神が何であれ——

人びとは長いあいだ、相反する2つのものを「一なるもの」として表現できる図像を欲していました。

相反する2つのものとは、たとえば、天と地、昼と夜、太陽と月、光と闇、右と左、生と死、心と体。

哲学的な原理としては、プルシャとプラクリティ(サーンキヤ)、ブラフマンとマーヤー(ヴェーダーンタ)、シヴァとシャクティ(シヴァ派)、方便と般若(大乗仏教)……そして男と女。男と女というのも、ひょっとしたらは哲学的な原理なのかもしれません。男性原理・女性原理なんて言葉もありますし。

「一なるもの」からは創造は起こりません。「相反する2つのもの」の交わりのみが創造を可能にします。男女の交わりが子を成すように。

しかし、「相反する2つのもの」による創造は、しばしば不幸・苦しみをも生み出します。輪廻とよばれるものも、そうした苦しみのひとつ。「一なるもの」が「神と人」に分裂し、その関係性が輪廻として表現されるのですから。

早くからそれを直観していたインド人は、「一にして二」、「二にして一」、しかし「そのどちらでもない」ものを表象しうる図像ないしは神を焦がれていたのです。

9世紀にトリカ(カシミール・シヴァ派)という学派が起こると、アルダナーリーシュワラはこの派の哲学を象徴するもっともふさわしい図像になりました。この派の神話にいわく——



かつて、女神パールワティーはシヴァにお願いした。

「ねえ、わたしをあなたの中に住まわせてちょうだい。そうすれば、ずっとあなたを抱いていられる。体と体を絡めていられる」

かくして、パールワティーはシヴァの中に溶けた。体は体に融け、二元性は失せた。

ふたりは唯一の神、アルダナーリーシュワラとなった。



トリカでは、『ヨーガ・スートラ』の哲学のごとく、男性原理のプルシャと女性原理のプラクリティは別もの、なんて言いかたはしません。

プルシャに相当するシヴァと、プラクリティに相当する女神は、違えども同じ。

それを認識できぬことが、苦と輪廻を生み出しているのだ、と教えています。

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