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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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【チャンダナ candana चन्दन】ちょこっとサンスクリット語



以前、バリ島の「生命の樹」ないしは「死者の樹」のことをお話しました。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-88.html?sp
樹の下に遺体が安置されます。“タルムニャン”がその樹の名前。「芳しき樹」の意です。しかし、樹からはなんの香りもしません。が、遺体もまた臭わないのです。
樹は、腐敗菌の活動を極限にまで抑える特別の揮発物質を放出しているのでしょう。死者は、樹から降りそそぐ、いわば無臭の香りのシャワーをしずしずと浴びながら、いったんミイラ化し、その後ゆっくりゆっくりと分解して、地中に沁み入り、根に吸い上げられて、生命の樹との冥合(みょうごう)を果たすのです。
何千年も閲(けみ)したような大樹。根はタコの足のごとく幾本にも分岐して地に張り、天を覆う葉は多くは先のとがった楕円形をしているが、長い葉柄に対生の葉が茂った違う形の葉もある。何の樹なのでしょう? 複数の樹木が絡みあっているようにも見えます。
多くの人がブログでこの樹を語っているが、その正体については沈黙している。植物学者が現地に入って調査しないかぎり、はっきりしたことは云えないでしょう。
しかし、もしかしたら、ビャクダン(白檀)、あるいは20種類以上あるというビャクダンの仲間かもしれない。わたしは、インドの香料のことを調べていて、そう思うようになりました。写真で見るビャクダンの楕円形の葉の形とタルムニャンのそれは一致している。
そして、ビャクダンは単一の生命体ではない。半寄生性といって、発芽後一年くらいは自力で成長するが、その後は他の樹木に寄生して、その養分を頂戴しながら成長する。すなわちビャクダンは、初めから他の生命と冥合している——

ビャクダン。梵名はチャンダナ(candana)。√cand(輝く/喜ばせる)にもとづく語で「喜ばせるもの/爽快にさせるもの」の意。「月」をあらわすチャンドラ(candra)は同語源です。
チャンダナが漢字で写されて「栴檀」(チャンダン)。日本に伝えられて「センダン」と読まれるようになりました。「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」というときの栴檀は、センダン科のセンダンではなく、ビャクダンのことです。しかし、ビャクダンが香るのは心材だけで、葉や樹そのものはほとんど何の香りもしません。そう、タルムニャンのごとく。
ビャクダンは、バリ島を含むインドネシアの小スンダ列島が原産地ですが、数千年前のヴェーダ時代にすでにインドに移入され、さまざまな目的で利用されてきました。
まずは、香料、香油、線香として。その甘い高貴な香りについては、云うまでもありません。
堅く緻密な木は、仏像や神像などの彫り物、家具や数珠などの材として。
木片は、祭火の供物として、また荼毘(だび)の薪として。
その精油やペーストは、薬種として。ビャクダンは「冷却作用」がいちじるしく、アーユルヴェーダのさまざまな薬剤に処方されます。内科医典の『チャラカ本集』には、補血(varṇya)、痒み止め(kaṇḍū-ghna)、解毒(viṣa-ghna)、渇き止め(tṛṣṇā-nigraha)、灼熱感解消(dāha-praśamana)としての記述が見られます。
ビャクダンのインドでの主産地は、マラヤ(西ガーツ山脈)。ゆえにマラヤジャ(Malayaja;マラヤに産するもの)の異名をとります。しかし、成長が遅いことと、前述の奇妙な生態のため、栽培はけっこう難しいらしい。

先日、ハタ・ヨーガの開祖ゴーラクシャの故郷とされるネパールのゴルカ村を訪ねたとき、ビャクダンがかなり繁茂していることに気づきました。ひょっとしたら、ゴーラクシャ自身が植えた木の子孫なのかもしれない。
行者は、ビャクダンのペーストで、額にヴィシュヌ派であればU字型の、シヴァ派であれば漢字の「三」のしるしを描く。心を鎮静化させ、アージュニャー・チャクラを活性化すると云われています。また、体のなかのもうひとつのカラダ、微細身(sūkṣma-śarīra)はビャクダンの香りがするとも聞きます。ビャクダンは、ハタ・ヨーガとも縁のある薫香なのです。
ヨーガのさいには、ビャクダンの香を焚き、その香りを深々と吸いいれて身体にめぐらし、微細身に集中するのもよいかもしれません。ただし、現在売られているインド線香のほとんどは、香りが酷似した化学物質を香料として用いているので、ご注意を。
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【『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のラージャ・ヨーガ】コラム



昔々のインド。シッダとよばれる素敵にイカれた行者たちが、
「成就(さとり)はからだに埋まっている」
と歌って、それまでの身体をケガレとするヨーガに「ノン」をいい、カラダを神仏の集合するマンダラや寺院と観じ、解脱マシーンと化すことによって、宇宙の彼方に飛び立とうとしました。
それがハタ・ヨーガです。プラディーピカーは「灯明」。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』は、カラダの秘密と操縦法に光を当てたハタ・ヨーガのもっとも有名なマニュアルです。

一章 アーサナ
二章 プラーナーヤーマ
三章 ムドラー
四章 ラージャ・ヨーガ
の全四章。
この聖典のキーワードは、“ラージャ・ヨーガ”。一章の冒頭で、作者は、
「かれ(シヴァ神)により、至高のラージャ・ヨーガに昇らんと願う者らに、階梯のかたちで道を照らすハタ・ヨーガの明智が開示されたり。慈悲深きスワートマーラーマは、数多(あまた)の教義の生したる暗闇に迷い、ラージャ・ヨーガに与らぬ者らに、ハタの灯明(プラディーピカー)を与えん」
と、このテキストをしたためた動機を明示しています。

なお、“ラージャ・ヨーガ”という語の文献上の初出は、わたしの知るかぎり、西暦1500年までに成立したこの『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』。
ところが、その後の文献では、“ラージャ・ヨーガ”は、じつに恣意的に用いられています。
わたしの用いているApteの『梵英辞典』(初版1873年)の説明は、「多忙なラージャ(王様)でもできる簡単ヨーガ」。『ゲーランダ・サンヒター』の用法もこれに近く、“ムールッチャー”という、おそらくは大麻を利用した(mūrcchāには「大麻による酩酊」の意あり)王様でもできるプラーナーヤーマをして“ラージャ・ヨーガ”と称しています。
また多くのタントラ文献では、プージャーを体内で行なう「内的供犠」を“ラージャ・ヨーガ”としています。『シヴァ・サンヒター』もこれに似るが、脈管を聖河に、チャクラを聖地に見立てて、巡礼を体内で行なう「内的巡礼」をこの名でよんでいます。
そして、20世紀YOGAでは、“ラジャヨガ”は、『ヨーガ・スートラ』の八支則にもとづく瞑想のヨガ、あるいはスピリチュアルなヨガ。対語として、アーサナ主体のフィジカルな“ハタヨガ”があげられます。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-187.html
しかし、この教義にしたがってハタヨガを行なうならば、それこそ「暗闇に迷う」ことになってしまうでしょう。

『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』じしんは、“ラージャ・ヨーガ”を、
「サマーディ(三昧)、アマラトワ(不死性)、ラヤ(帰滅)、サハジャ(倶生)……などの同義語」
と定義します。最初の“サマーディ”とは、『ヨーガ・スートラ』にいう「心の活動の停止」。すなわち、『プラディーピカー』において“ラージャ・ヨーガ”とは、修法としてのヨーガではなく、
——ヨーガの至高の境地
をあらわしているのです。
そして、そのための——ラージャ・ヨーガ=至高の境地に到らんがための道が、①アーサナ、②プラーナーヤーマ、③ムドラー、④ラージャ・ヨーガ(具体的な修法としてナーダ・ヨーガをあげる)というわけです。これらはすべてハタ・ヨーガの技法です。

YAJでは、10月以降の定期講座として『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』を予定しています。
*CommentList

【タルニー taruṇī तरुणी】ちょこっとサンスクリット語

ブラフマー神とヴィシュヌ神は、どの花がいちばん美しいか、で口論した。
「パドマ(蓮華)じゃ!」と蓮華から生まれたブラフマー。
「いんや、タルニー(薔薇)だに!」とバラの花環を下げたヴィシュヌ。
彼は、ヴァイクンタ(ヴィシュヌの天国)の庭園に咲きほこる香りたかきバラを見せびらかした。
「悪くはない……」ブラフマーは納得せざるを得なかった。

この譚になにがしかの真実を見出すとすると——
神々の住処と語られるのはつねにヒマラヤ。そして、バラの原産地もヒマラヤらしい、ということです。
バラほど、古くから世界中で愛されてきた花も珍しい。5000年前のエジプトで栽培が始まり、ギリシア・ローマの時代には、花の代表格でした。バラは美の女神アプロディテー=ヴィーナスと結びつけられ、この女神に捧げられました。
インドでも、バラは大人気。14~16世紀の南インドのヴィジャヤナガラ帝国の人びとは、男も女も、バラで身を飾っていました。帝王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤは、毎朝の御目見得(おめみえ)のさいに、金色のバラを飾った純白の絹のローブをまとい、お気に入りの馬と象と延臣に白いバラの花びらのシャワーを浴びせました。
ムガル帝国(16~19世紀)の上流階級のためのバラ油の最上品は、約2万の花から1ボトル分を蒸留したものでした。17世紀のイタリアの旅行家マヌッチは、貴族たちが膨大な量のバラ水とバラ油を自身のために使うだけでなく、馬の体をこするにも用いるのを見て仰天しています。
ヒンドゥー教では、バラはクリシュナとその愛人ラーダーやガネーシャに捧げられます。

しかし、これらは中世以降のこと。古代のインド文化ではバラはあまり重要視されていなかったのかもしれません。その証拠に、padma=蓮華のごとく、バラそのものを表わすサンスクリットが見当たらないのです。もちろん、バラを示す語はあります。
パータラ、ジャパー、ヴリッタ・プシュパ、カンタカーディヤ、タルニーなど。しかし、これらは、バラそのものではなく、バラを形容するための言葉です。
パータラ(pāṭala)は、バラを示す語として古代文献ではもっともよく使われ、今日の梵会話でもバラはそう呼ばれます。しかし、パータラもジャパー(japā)もハイビスカスが原義。「紅い花」ということで、バラに転用されるようになったのです。
ヴリッタ・プシュパ(vṛtta-puṣpa)は「丸い花」、カンタカーディヤ(kaṇṭakādhya)は「トゲのあるもの」、タルニー(taruṇī)は「若さをもたらすもの」の意で、いずれもバラだけではなく、いくつかの植物に対して用いられています。
中世以降は、グル(gul)やグラーブ(gulāb)が広く使われていますが、これはペルシア起源の言葉。してみると、インドのバラ文化は、ムスリムによってもたらされたのでしょう。

とはいえ、バラはアーユルヴェーダでは古来、重要な生薬です。ヴァータとピッタを下げ、冷却・強心作用がいちじるしい。『チャラカ本集』には、タルニーの名で登録されています。
タルニーは、「若い、新鮮な、若者」をあらわすtaruṇaの女性形で、「若い女、娘」のほか、前述の薬効のあるバラ(とくに香りの強い「香水バラ」)の意味になります。
アーユルヴェーダでは、タルニーの花を蒸留したエッセンス(バラ油)とその副産物であるバラ水がさまざまな薬剤に処方されます。バラからつくるアーサヴァ(薬酒)もあります。本格的に醸造すると酒税法に触れますので、簡単につくれる「ローズワイン」を紹介しましょう。

① バラの花を大量に摘む。洗って、ザルで水切り。あるいは、食用のバラを用意する。
② ワインを沸騰させる。火から下ろしてすぐに、①のバラの花を入れる。
③ ②を冷蔵。3日後から飲める。
飲用法はふつうのワインと変わらない。完全に開ききる少し前の花をたくさん使うのがコツ。

胃腸・呼吸器・心臓・生殖機能の強化に効あり。それがタルニー(若返り)につながりますが、飲む量はほどほどに。

【大根ガネーシャ】コラム



わたしは、ガネーシャ神のイラストを頼まれると、大根を持ったガネちゃんを描くことを常としています。
「それって、大根ですか?」
と不思議そうな顔をされますが、大根(ムーラカ)は、鉤(かぎ;アンクシャ)や歓喜団(かんぎだん;モーダカ)や縄索(パーシャ)とともに、この象頭の神の持ち物のひとつとされています。そして、無粋な武器よりも、大根を持ったガネーシャがかわいいでしょ。


ところで、外国で長く暮らす日本人が夢に見る日本の野菜のナンバーワンが、大根だそうな。ふろふき大根、おでんの大根……ダシをゆたかに吸って、スジもなくフンワリ、キリッと仕上がったそれは、まさに和のテイスト。
むろん、外国にも大根はあります。この野菜の故郷は地中海沿岸で、弥生時代には日本に帰化していたとのこと。インドにも居着きました。とはいえ、「大根足」のモデルになりそうな太くて、甘みの強い大根は、日本独特のもの。インドをふくめ、たいがいの国の大根は、細くて辛い。ソバの薬味にするにはいいが、ふろふきにはならないのです。
アーユルヴェーダにローフードはありませんが、大根はインドでも生食される珍しい野菜です(ほかにはタマネギがあるくらいか)。
旬の晩秋になると、ニューデリーのコンノート・プレイスに、近在のお百姓が畑から抜いたばかりの大根をもってやってきます(もう40年も前の話だけど、今でもそうだろうか?)。その場で切って、塩やマサラをかけて食べさせてくれます。そのみずみずしい味は、おしゃれな紳士たちにもついつい路上で買い食いさせてしまうほどの魅力を放っています。ピリッとした辛さがなんとも云えないのだ、と口を揃えます。
辛味はピッタ。ゆえに、アーユルヴェーダでは大根はピッタを上げる食物に分類されていますが、これは日本の辛くない大根には当てはまらないかもしれません。


日本に帰化したガネーシャである聖天(しょうてん)または歓喜天(かんぎてん)も、大根をシンボルとしています。日本の太い大根、または二股(ふたまた)大根です。その理由は、そうした大根が、繁栄や夫婦和合を連想させるからされていますが、彼が大根を持っている真の理由は——
大根は、象の大好物なのです。
京都市動物園では、象のために、象の糞でつくった堆肥で大根を栽培しているとのこと。象は大喜び。
https://www5.city.kyoto.jp/zoo/enjoy/breeder-blog/diary/20181206-32440.html
http://www.nagitsuji-hoikuen.com/?p=60577
前記したガネーシャ神の持ち物は、すべて象使いが象をコントロールするときに用いるアイテムです。つまり、これらを駆使することにより、巨大で、ものすごい力をもった象が、人間のいうことを聞いてくれるのです。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-159.html

そういうわけで、ガネちゃんを祭っているかたには、大根を供物とすることをおすすめします。
日本の太くて甘いのも、インド風の細くて辛いのも、両方イケそうだし、歓喜団やモーダカよりもずっと安上がり。きっと、願いを叶えてくださることでしょう。


【キッチャーチー khiccāccī】ちょこっとサンスクリット語


洋食といえば、トンカツ、オムライス、カキフライ、そしてカレーが代表的なものでしょうか。幕末から明治・大正にかけて、西洋のハイカラな食文化を取り入れようと奮闘した数世代前の日本人の心意気の伝わってくる、ちょっと愛おしくなる言葉です。
似たものに、アングロ・インディアン・クイジン(英国インド料理)があります。
ご存知のとおり、英国にはろくな料理がありません。食にこだわることは宗教的堕落――が理由だそうだから、それなりに尊重すべき食文化といえましょう。しかし、インド支配が堕落をもたらします。英国人は、インドのスパイス料理の虜(とりこ)になってしまうのでした。
暑さと湿気が吹き上げてくる大地では、スパイスが魔物のように食欲を駆りたてるのです。まるで餓鬼(がき)にとり憑かれたように食って、食って、食いまくりました。食べすぎが原因で、18世紀のある1年間をとっても、インドに派遣されていた陸軍分隊848人中の87人が死亡した、という記録があるほどです。
かれらは、故国に帰っても、インド料理に餓えました。そうして生まれた英国インド料理として、代表的なものとしては、マリガトーニ、チャツネ、ケジャリーなどがあります。
マリガトーニ(mulligatawny)は、タミル語の ミラグタンニール(miragu 胡椒-tannīr 水、スープ)にもとづく語で、タミル料理のラッサムが原形とされています。この料理は18世紀後半に英国に伝えられますが、すぐにラッサムとは似ても似つかぬ料理――カレー粉を用いた、われわれがイメージする洋風カレーに変化しました。日本人が最初に食べたカリーの別名が、マリガトーニです。
チャツネ(chutney)は、ヒンディー語でチャトニー(caṭnī)とよばれるものが原形なのでしょうが、スパイスの利いたジャムみたいなそれは、インドでは見たことがありません。しかし、日本には1970年代から「本場のカレーにはチャツネが不可欠」として出回るようになった、と記憶しています。
そして、ケジャリー(kedgeree)は――

「米とダールの混ぜ粥」を意味するヒンディー語のキチャリー(khicaḍī)が起源です。
サンスクリットでは、キッチャーッチー(khiccāccī)。しかし、語源不明。おそらく、キチャリーに類する中世ヒンディー語がサンスクリットに取り入れられた語と思われます。
“キチャリー”の語の文献上の初出は、14世紀のムスリム旅行家イブン・バットゥータがアラビア語で著した『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』(1355年)とのことですが、同様の料理は古代からありました。たとえば、医典の『チャラカ本集』(Ⅰ-二七‐259,260)には、

 肉・野菜・脂・油・ギー・骨髄・果実を混ぜて炊いた粥は、
 力と滋養を与え、胃によく、重性で、身を肥やす作用がある。
 緑豆・胡麻・乳・ケツルアズキと混ぜて炊いたものも同前である。

としるされています。
またタントラ文献にあたると、護摩儀礼のあと、
「祭司は余った供物は、全部いっしょにして粥にし、施主や参加者にふるまう」
とあります。供物とは、米、豆、胡麻、野菜、ギーなどですが、敵をやっつける調伏儀礼には動物の肉や脂も用いられました。そしてサードゥが、托鉢で米やダールや野菜を得ると、作る料理は必然的にキチャリーのような雑炊(ぞうすい)になってしまいます。
しかし、サンスクリット文献では、なべてyavāgu(粥)で、“キッチャーッチー”以外に混ぜ粥をあらわす料理名が見あたらないのです。
中世ヒンディー語の“キチャリー”には、「苦行者や貧乏人の食う雑炊」というイメージがつきまとっていますが、16~17世紀にはムガル宮廷料理に仲間入りし、さまざまなスパイスやナッツも入った豪華なキチャリーも作られるようになりました。
それが英国に伝わって、“ケジャリー”。一般的なケジャリーは、日本の棒ダラにも似たタラの薫製のダシで米を煮て、それにほぐしたタラの身、カレー粉、パセリ、ゆで卵、グリンピース、バターなどを混ぜた、混ぜ粥というよりも、混ぜごはんに近いもの。もっとも本家のインドのキチャリーのレシピは千差万別で、ピラフに近いドライタイプのものもあります。

キチャリーは、日本でも最近は、すっかりポピュラーなものになりました。英国経由ではなく、ヨーガやアーユルヴェーダ関係者を通じて、インドから直接伝わった混ぜ粥タイプのものです。お腹にやさしく、おいしい。
レシピはネットで検索すればいろいろ出てきますが、わたしが作るのはもっとも簡単なもの。
米とダール(だいたいムーング)と、6倍ほどの水と、ターメリック粉を圧力鍋に入れて、5分ほど沸騰させる。塩で調味し、クミンなどのスパイスを熱したギーをジャッとかけ、香菜をちらして出来上がり。チャツネはどうかと思いますが、アチャール(漬物)や臭い魚の干物(じつはインド人もよく食べる)はよく合います。体調が悪いとき、二日酔いのときにおすすめ。

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プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
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