2022.06/17 [Fri]
カシュタ・ヨーガ kaṣṭa-yoga कष्टयोग
カシュタ・ヨーガ(kaṣṭa-yoga)。多くの人にとって、初めて聞く言葉だと思います。カシュタは「悪い、苦しい、惨めな」という意味の形容詞。つまり、「苦痛をともなうヨーガ」。カシュタ・ヨーガは、おそらくハタ・ヨーガに替わる言葉として、シヴァ密教で用いられていました。
今回は、ハタ・ヨーガの歴史の概説ですが、haṭha-yogaは2011年に始めた「ちょこっとサンスクリット語」で最初にとりあげた語なので、この「カシュタ・ヨーガ」を標題にしました。
さて、ヨーガのポーズは20世紀の創作だ——と主張したマーク・シングルトン著『ヨガ・ボディ』については以前に書きました。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-100.html?sp
この書は日本ではあまり注目されることもありませんでしたが、欧米のインド学者たちを震撼とさせました。著者のシングルトンはサンスクリットとは無縁の、いわば素人(アマチュア)。その彼が、知られざるヨーガの歴史をここまで掘り起こしたのですから。
プロ魂に火をつけられたインド学者たちは、インドやネパールの古文書図書館に眠るハタ・ヨーガ関連の、おびただしい数の写本をシラミ潰しに調査します。結果、曖昧模糊《あいまいもこ》としていたハタの歴史の、くっきりとした輪郭が浮かび上がってきました。
ハタ・ヨーガ史の解明にもっとも熱心なのは、みずからヨーガを実践する英国の学者、ジェームズ・マリンソン(James Mallinson)。彼の研究成果をかいつまんで述べてみます。
haṭha-yogaという語は、13世紀初頭に仏教がインドにおいて滅亡するまで、仏教が独占的に用いてきました。
文献上の初出も仏教。大乗の唯識派の文献『瑜伽師地論Yogācāra-bhūmi-śāstra』の一部の『菩薩地Bodhisattva-bhūmi』(3世紀頃)に、「ハタ・ヨーガでは成就できない」云々とあります。
もっとも、この場合のハタ・ヨーガは、文字どおり「力ずくの(haṭha)ヨーガ」。『ヨーガ・スートラ』Ⅱ-47に、「努力をゆるめ、無辺なるものと合一することにより[成就に到る]」とありますが、この努力(prayatna)とどうやら同じニュアンスのようです。
つまり、「努力=力ずくのヨーガ」では駄目。ふと力を抜いて、なにかに身も心も委ねる——悟りには、そんな微妙な呼吸が必要なようです。
後期密教の時代(8~12世紀)に入ると、haṭha-yogaは、性的ヨーガのさなかに男性行者が射精を抑制し、性的エネルギーを「力ずくに」中央脈管に圧しこんで、上昇させるテクニックとして用いられるようになりました。
後期密教の17の文献——有名どころでは『サマーヨーガ・タントラ』、『秘密集会タントラ』、『カーラチャクラ・タントラ』とその註釈『ヴィマラプラバー』などからこの語が確認されています。が、その間、シヴァ教文献は一度もhaṭha-yogaという語を語っていないのです。
ハタ・ヨーガの具体的な方法は、上記の文献からは詳《つまび》らかではありません。が、一人で行う右道的なハタの詳細を初めて成文化したのは、八十四成就者のひとりヴィルーパに帰せられる『アムリタ・シッディ』(11世紀ごろ)であるということです。このテキストには、マハームドラー、マハーバンダ、マハーヴェーダをもって、中央脈管の3つの結節《グランティ》を突破する、ハタ・ヨーガのいわば骨格となる技法が説かれています。
こうしたヨーガのことを、シヴァ密教が知らなかったはずがありません。シヴァ教文献はプラーナーヤーマやムドラーを用いる、おそらく同タイプのヨーガのことを、冒頭に述べた「カシュタ・ヨーガ」の名で呼んだのです。しかし、その評価は決して高いものではありませんでした。タントラの百科事典と称される『タントラ・アーローカ』(1000年頃)においてさえも、「プラーナーヤーマは身体を痛める」として、推奨されていません。
ともあれ、haṭha-yogaという語は、仏教滅亡を待って、シヴァ教・女神教・ヴィシュヌ教に採用され、多くのハタ・ヨーガ文献が編纂されることになります。今日、ハタヨガの同義語になっているポーズも、これらのテキストに初出します。
そして、それらは15世紀ごろの『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』において集大成されます。
今回は、ハタ・ヨーガの歴史の概説ですが、haṭha-yogaは2011年に始めた「ちょこっとサンスクリット語」で最初にとりあげた語なので、この「カシュタ・ヨーガ」を標題にしました。
さて、ヨーガのポーズは20世紀の創作だ——と主張したマーク・シングルトン著『ヨガ・ボディ』については以前に書きました。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-100.html?sp
この書は日本ではあまり注目されることもありませんでしたが、欧米のインド学者たちを震撼とさせました。著者のシングルトンはサンスクリットとは無縁の、いわば素人(アマチュア)。その彼が、知られざるヨーガの歴史をここまで掘り起こしたのですから。
プロ魂に火をつけられたインド学者たちは、インドやネパールの古文書図書館に眠るハタ・ヨーガ関連の、おびただしい数の写本をシラミ潰しに調査します。結果、曖昧模糊《あいまいもこ》としていたハタの歴史の、くっきりとした輪郭が浮かび上がってきました。
ハタ・ヨーガ史の解明にもっとも熱心なのは、みずからヨーガを実践する英国の学者、ジェームズ・マリンソン(James Mallinson)。彼の研究成果をかいつまんで述べてみます。
haṭha-yogaという語は、13世紀初頭に仏教がインドにおいて滅亡するまで、仏教が独占的に用いてきました。
文献上の初出も仏教。大乗の唯識派の文献『瑜伽師地論Yogācāra-bhūmi-śāstra』の一部の『菩薩地Bodhisattva-bhūmi』(3世紀頃)に、「ハタ・ヨーガでは成就できない」云々とあります。
もっとも、この場合のハタ・ヨーガは、文字どおり「力ずくの(haṭha)ヨーガ」。『ヨーガ・スートラ』Ⅱ-47に、「努力をゆるめ、無辺なるものと合一することにより[成就に到る]」とありますが、この努力(prayatna)とどうやら同じニュアンスのようです。
つまり、「努力=力ずくのヨーガ」では駄目。ふと力を抜いて、なにかに身も心も委ねる——悟りには、そんな微妙な呼吸が必要なようです。
後期密教の時代(8~12世紀)に入ると、haṭha-yogaは、性的ヨーガのさなかに男性行者が射精を抑制し、性的エネルギーを「力ずくに」中央脈管に圧しこんで、上昇させるテクニックとして用いられるようになりました。
後期密教の17の文献——有名どころでは『サマーヨーガ・タントラ』、『秘密集会タントラ』、『カーラチャクラ・タントラ』とその註釈『ヴィマラプラバー』などからこの語が確認されています。が、その間、シヴァ教文献は一度もhaṭha-yogaという語を語っていないのです。
ハタ・ヨーガの具体的な方法は、上記の文献からは詳《つまび》らかではありません。が、一人で行う右道的なハタの詳細を初めて成文化したのは、八十四成就者のひとりヴィルーパに帰せられる『アムリタ・シッディ』(11世紀ごろ)であるということです。このテキストには、マハームドラー、マハーバンダ、マハーヴェーダをもって、中央脈管の3つの結節《グランティ》を突破する、ハタ・ヨーガのいわば骨格となる技法が説かれています。
こうしたヨーガのことを、シヴァ密教が知らなかったはずがありません。シヴァ教文献はプラーナーヤーマやムドラーを用いる、おそらく同タイプのヨーガのことを、冒頭に述べた「カシュタ・ヨーガ」の名で呼んだのです。しかし、その評価は決して高いものではありませんでした。タントラの百科事典と称される『タントラ・アーローカ』(1000年頃)においてさえも、「プラーナーヤーマは身体を痛める」として、推奨されていません。
ともあれ、haṭha-yogaという語は、仏教滅亡を待って、シヴァ教・女神教・ヴィシュヌ教に採用され、多くのハタ・ヨーガ文献が編纂されることになります。今日、ハタヨガの同義語になっているポーズも、これらのテキストに初出します。
そして、それらは15世紀ごろの『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』において集大成されます。
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