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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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カシュタ・ヨーガ kaṣṭa-yoga  कष्टयोग

カシュタ・ヨーガ(kaṣṭa-yoga)。多くの人にとって、初めて聞く言葉だと思います。カシュタは「悪い、苦しい、惨めな」という意味の形容詞。つまり、「苦痛をともなうヨーガ」。カシュタ・ヨーガは、おそらくハタ・ヨーガに替わる言葉として、シヴァ密教で用いられていました。

今回は、ハタ・ヨーガの歴史の概説ですが、haṭha-yogaは2011年に始めた「ちょこっとサンスクリット語」で最初にとりあげた語なので、この「カシュタ・ヨーガ」を標題にしました。



さて、ヨーガのポーズは20世紀の創作だ——と主張したマーク・シングルトン著『ヨガ・ボディ』については以前に書きました。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-100.html?sp

この書は日本ではあまり注目されることもありませんでしたが、欧米のインド学者たちを震撼とさせました。著者のシングルトンはサンスクリットとは無縁の、いわば素人(アマチュア)。その彼が、知られざるヨーガの歴史をここまで掘り起こしたのですから。

プロ魂に火をつけられたインド学者たちは、インドやネパールの古文書図書館に眠るハタ・ヨーガ関連の、おびただしい数の写本をシラミ潰しに調査します。結果、曖昧模糊《あいまいもこ》としていたハタの歴史の、くっきりとした輪郭が浮かび上がってきました。

ハタ・ヨーガ史の解明にもっとも熱心なのは、みずからヨーガを実践する英国の学者、ジェームズ・マリンソン(James Mallinson)。彼の研究成果をかいつまんで述べてみます。



haṭha-yogaという語は、13世紀初頭に仏教がインドにおいて滅亡するまで、仏教が独占的に用いてきました。

文献上の初出も仏教。大乗の唯識派の文献『瑜伽師地論Yogācāra-bhūmi-śāstra』の一部の『菩薩地Bodhisattva-bhūmi』(3世紀頃)に、「ハタ・ヨーガでは成就できない」云々とあります。

もっとも、この場合のハタ・ヨーガは、文字どおり「力ずくの(haṭha)ヨーガ」。『ヨーガ・スートラ』Ⅱ-47に、「努力をゆるめ、無辺なるものと合一することにより[成就に到る]」とありますが、この努力(prayatna)とどうやら同じニュアンスのようです。

つまり、「努力=力ずくのヨーガ」では駄目。ふと力を抜いて、なにかに身も心も委ねる——悟りには、そんな微妙な呼吸が必要なようです。



後期密教の時代(8~12世紀)に入ると、haṭha-yogaは、性的ヨーガのさなかに男性行者が射精を抑制し、性的エネルギーを「力ずくに」中央脈管に圧しこんで、上昇させるテクニックとして用いられるようになりました。

後期密教の17の文献——有名どころでは『サマーヨーガ・タントラ』、『秘密集会タントラ』、『カーラチャクラ・タントラ』とその註釈『ヴィマラプラバー』などからこの語が確認されています。が、その間、シヴァ教文献は一度もhaṭha-yogaという語を語っていないのです。

ハタ・ヨーガの具体的な方法は、上記の文献からは詳《つまび》らかではありません。が、一人で行う右道的なハタの詳細を初めて成文化したのは、八十四成就者のひとりヴィルーパに帰せられる『アムリタ・シッディ』(11世紀ごろ)であるということです。このテキストには、マハームドラー、マハーバンダ、マハーヴェーダをもって、中央脈管の3つの結節《グランティ》を突破する、ハタ・ヨーガのいわば骨格となる技法が説かれています。

こうしたヨーガのことを、シヴァ密教が知らなかったはずがありません。シヴァ教文献はプラーナーヤーマやムドラーを用いる、おそらく同タイプのヨーガのことを、冒頭に述べた「カシュタ・ヨーガ」の名で呼んだのです。しかし、その評価は決して高いものではありませんでした。タントラの百科事典と称される『タントラ・アーローカ』(1000年頃)においてさえも、「プラーナーヤーマは身体を痛める」として、推奨されていません。



ともあれ、haṭha-yogaという語は、仏教滅亡を待って、シヴァ教・女神教・ヴィシュヌ教に採用され、多くのハタ・ヨーガ文献が編纂されることになります。今日、ハタヨガの同義語になっているポーズも、これらのテキストに初出します。

そして、それらは15世紀ごろの『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』において集大成されます。


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ヨーガのポーズの起源

外国に行こうにも、今年いっぱいは、PCRがどうの予防接種がこうの、と面倒な感じ。来年ぐらい、気軽にインドに行けるようになったら、ぜひカルナータカ州のハンピー(Hampi)を訪ねてみてください。とくにヨーガのアーサナの歴史に興味あるかたにお薦めです。

ハンピーは、ヴィジャヤナガラ帝国(1336~1649)の王都として、デカン高原のトゥンガバドラー川のほとりに建設された広大な都市の址《あと》です。近在の山から切り出した花崗岩で、宮殿、街路、そして無数の寺院が築かれました。最盛期には、ヨーロッパから来た使節が、

「七重の城壁にかこまれた世界でいちばん豊かな都」

と誉めちぎったほどの繁栄をみましたが、デカンのイスラム王国の連合軍に滅ぼされてしまいます。

いまは、悽愴の風が吹きわたる無残な廃虚——それだけに、生涯忘れ得ぬ光景となることでしょう。

1986年、わたしはハンピーに10日間滞在し、炎天下のなかを歩きながら、遺跡を調べてまわりました。谷間に、また小高い丘の頂上にくずおれた寺院がありました。床に地下水が溜まるように設計された地底寺院もあります。

──これらが完全に残っていたら、どんなに素晴しいことか。

と、いにしえの殷賑《いんしん》を夢想しました。

「へえ~」と唸ったのは、寺院の柱のそこかしこに彫られている、アクロバティックなポーズをとるおびただしい数のヨーギンの像。「ハタ・ヨーガが盛んだったのだな」ぐらいにしか思わなかったのですが、それらの像の重要性に気づかされたのは、つい先日。セス・パウエル(Seth Powell)という米国のインド学者の「16世紀のヴィジャヤナガラ彫刻に見るシヴァ教行者のアーサナ」(英文)という論文を読んでのこと。

今回の「ちょこっとサンスクリット語」のカシュタ・ヨーガ(kaṣṭa-yoga;「苦痛をともなうヨーガ」)で述べたように、欧米のインド学者たちは現在、日本の同業者にとってはタブーとされている「ハタ・ヨーガ」の解明に本気で取り組んでいるのです。



ハタの根本聖典とされる『ゴーラクシャ・シャタカ』(おそらく11世紀)は、「シヴァ神の教えたもうた84のアーサナあり」と述べていますが、説明があるのはパドマ・アーサナとシッダ・アーサナのみ。84は実際の数というより、3(グナ)×4(出生の種類)×7(宇宙の階層)で、「全生類」をあらわす象徴的な数なのでしょう。

いわゆるポーズのアーサナがぼちぼちと説かれるのは、インド仏教滅亡後の13世紀になってから。文献名をあげよ、と云われれば、『ヴァシシュタ・サンヒター』や『マツェーンドラ・サンヒター』といったほとんど知られていないテキストを述べるしかないのですが、そうした初期のハタ文献に決まって現れる人気のポーズは、クックタ・アーサナ(鶏のポーズ)とマユーラ・アーサナ(孔雀のポーズ)。ご存知のとおり、どちらも両掌を床につけて上体を浮かせる、難しいバランス・ポーズです。

アーサナの数は、15世紀頃の『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』では15種類。17世紀前半の『ハタ・ラトナーヴァリー』で84のアーサナが出揃います(もっとも、「全部書いていたら本文が煩瑣になるから」という理由で、具体的な説明があるのは、そのうちの36だけなのですが)。

『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』と『ハタ・ラトナーヴァリー』。この2つの聖典が記されたのは、ともにカルナータカ、と考えられています。そして、その間を埋めるのが、同じカルナータカのハンピー寺院群の石に刻まれたアーサナの記録。

ハタ・ヨーガの担い手であるタントラやナータ派の行者は、ムスリムに席捲された北インドを離れ、デカン高原に、特に手厚い保護の与えられるヴィジャヤナガラ帝国に移動しました。そうして、ハンピーがアーサナ開発の実験場になったようなのです。石工たちは、実際にポーズをとる行者をモデルに、鑿を振るったのです。

掌で上体を支える「鳥系」アーサナを基調に、脚を背後にまわしたり、首に足を引っ掛けたりするようなタイプのものが多い。手のムドラーでは指を複雑に組み合わせますが、同じことを両手両足を用いて行なっている、という感じです。

それは、もはや『ヨーガ・スートラ』にいう「瞑想のための快適なアーサナ」ではありません。文字どおりのカシュタ・ヨーガ(苦痛をともなうヨーガ)。『ヨーガ・スートラ』とは方法論をまったく別にする、むしろ太古のタパス(苦行)への復帰、といってもよい。

欧米のインド学者たちの研究から得られた新しい知見は、「ハタの歴史と秘義」として、8月、または9月のYAJ定期講座「密教/タントラ勉強会」で発表することにします。

マガ Maga  मग …ちょこっとサンスクリット

先日、テレビで英国のロックバンド、クイーンの伝記的映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、今さらながら、このバンドにハマってしまいました。

いや、現役中——クイーンは現在も活動していますが、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーが亡くなる1991年まで——も、『ボヘミアン・ラプソディ』や『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『バイシクル・レース』など好きな曲は沢山あったのですが、ビートルズやピンクフロイドほどにはのめり込まなかった。

当時は、彼らの曲を聴くには、ラジオやレコードやビデオぐらいしかありませんでした。今はYouTubeで映像をいくらでも見ることができます。ヴィジュアルの力は大きい。

とにかく、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスは圧倒的。しばしばポップ・ミュージック史上最高のシンガーと云われますが、異論はありません。4オクターブというその音域の広さ。しわがれ声から天使のような甘い声まで自在に出すことができる。まるでマジック、魔法のようです。



ところで、英語のマジック(magic)の語源をご存知でしょうか? 

「マギ(Magi)のごとき」という意味です。マギとは、ムスリムに征服される以前のペルシアで篤く崇拝された太陽神ミトラ(ミスラ)に仕えた神官のこと。

彼らは、祭火に大麻樹脂でも投じたのでしょうか。信者に幻を見せることができました。幻とは、信者の心に、死後、太陽神の天国に生まれ変わる、という信仰です。そして、その信仰は、西はローマ、東はインド、中国に達する宗教的な大帝国を成しえたのでした。

マギは、各国のことばでマジシャン(magician;魔法使い)、幻人/眩人(げんじん)などと呼ばれているところをみると、怪《あやし》に満ちた古代世界にあっても、とりわけ奇妙な人たちであったようです。

マギは、サンスクリットではマガまたはマグ(Maga/Magu)。辞典には「太陽神の司祭」、そしてやはり「魔法使い」とあります。

マギはグプタ時代(4~6世紀)のインドにも、スーリヤ(太陽神)寺院の司祭として招聘されました。

また、彼らは密教の成立とも関わったとされ、「密教」の密は、秘密の密ではなく、ミトラをさす音であるという説もあります。

このへんの事情は以前にも書きましたので、ご覧ください。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-73.html?sp

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-250.html



しかし、マギとその信者の集団が大挙してインドにやってくるのは7世紀、ササン朝ペルシアがムスリムの滅ぼされたときのことです。移民はその後も数世紀続いたようですが、インドは彼らを快く迎えました。ちょうど20世紀にTibetという国名が世界地図から消えたときも、その亡命者を保護したように。

ペルシアからの移民は、パールシー(Pārsī)と呼ばれることになります。祭司のマギはバラモン階級に組みこまれました。庶民の多くはガンディー(Gandhī;香料に関わる者)などの姓を名のり、流通を担当するヴァイシャの一員となりました。そして、ペルシア以来の宗教、いわゆるゾロアスター教、または拝火教を今も信仰しています。



フレディ・マーキュリーは英国人ではありません。インド人のパールシーです。アジア人初のロックのスーパースターです。先述したとおり、1991年に惜しくもエイズで亡くなりました。

パールシーといえば鳥葬で有名ですが、さすがにヨーロッパではこれはできない。彼は火葬に付されたということです。

「神」をデザインする…コラム


クリシュナ神の遊びの庭、ヴリンダーヴァナ。「ヴリンダー(ホーリーバジル)が甘く香る森」という意味です。そこにゴーヴィンダ(牛飼いの神=クリシュナ)の笛の調べがたゆたってゆく。なぜか男には聞こえません。女の、そう、女の魂にのみ届く魔笛でした。

ゴーピー(牛飼い女)たちは、われを忘れて、クリシュナのもとに殺到します。そして、エロティックな行為をもふくめたリーラー(遊戯)に没頭するのでした……

『バーガヴァタ・プラーナ』や『ギータ・ゴーヴィンダ』につむがれる物語です。

のちのヴィシュヌ教徒の一部は、実在の地であるヴリンダーヴァナそのものをゴーローカ(牛の世界)という名の天国に昇格させて、そこでクリシュナとプレイすることを最大の喜びとしました。

前記したように、クリシュナに誘われるのは女だけ。そこで、男の信者たちも、ゴーピーの誰かひとりに憑依できるように瞑想します。牛飼い女になって、クリシュナに可愛がってもらうために。

それが、彼らにとってのゴール、解脱でした。



さて、神は、ほとんどの宗教が唱えるように実在するのか、それとも唯物論者が主張するように虚構なのでしょうか……じつは、わたしにとってあまり重要な問題ではありません。

興味があるのは、人類であれば、どんなに未開な部族であろうとも、かならず人知を越えた「カミ」という概念を有していることのほうです。

神が実在するにせよ、それを認知する心がなければ、神はいないに等しい。そして、ヒトの精神は、かならずや神を察知する。あるいは創出する。

脳科学からは、ヒトの脳には、そうした機構《からくり》がそなわっている、という指摘がなされています。

神はヒトの脳のなかに住まう。ニューロン——脳細胞1個1個がまるで木のように枝をのばし、そこから発せられる神経伝達物質が、森の霧のごとく満ちる脳内に。

前回は縄文土偶について述べました。縄文土偶は縄文人が観た神、食物を与えてくれる女神のカタチ、デザインです。縄文人の美術センスの素晴らしさに感嘆します。

至高神――宇宙のすべてを統べる神、というコンセプトが生まれると、その神と自分との関係が問題になりました。これは大きく二分されます。

一つは、自分と神はイコールである、あるいは自分の内に神が宿るとする考え。神秘主義(mysticism)とよばれるもので、インドの宗教ではシヴァ教や「密教」と称する仏教がそれに相当しましょう。

もう一つは、神の僕《しもべ》である、とする考え。必然的に自分の外側に神を求めます。キリスト教やイスラム教はその典型ですが、インドの宗教ではヴィシュヌ教がそれに当たります。

ヴィシュヌ教の聖者はヴィシュヌダース、クリシュナダース、ラームダース、トゥルシーダースなど「ダース」のついた名を名告りますが、ダース(梵dāsa)とは「奴隷」のこと。奴隷のごとく、主(神)に仕えたい。それが彼らの心情であり、プライドでもありました。

クリシュナに愛される女になりたい、というのもその変形でしょう。

この二つ——「自分と神はイコールである」と「自分は神の奴隷である」は、基本的に水と油。交わることはありません。ヒトの心は二つが同居できるほど広くはないのです。

ところが、先述のヴィシュヌ教徒のさらなる一部は、クリシュナに愛される、というエロティシズムのもたらすマジックなのでしょうか、「自分はクリシュナの女であり、かつクリシュナ自身である」と主張するに至るのです。かれらが「新ヴィシュヌ教徒《ネオ・ヴァイシュナヴァ》」とよばれる人々であり、その異端の土壌からバウルが羽ばたきます。



6月11日は高尾山特別講座「バウルおかわり」。新緑の高尾の森は、どんなヴィジョンをつむいでくれることでしょう。

ユッダ yuddha  युद्ध

「重大事態です! ロシア軍が侵攻をはじめました!」

ラジオのアナウンサーが興奮しています。「ロシア軍がついに国境を越えました。戦争です!」

わたしはこのニュースをネパールのカトマンドゥの安宿で聞いていました。もちろん、今のウクライナのことではありません。1979年のソ連軍(英語ではロシアン・アーミーと云っていた)のアフガニスタン侵攻です。

それまでアフガニスタンは、インド、ネパールと並ぶヒッピーたちの楽園でした。1970年代のビンボー旅行者がかならず携えていたガイド本『アジアを歩く』(深井聰男著、山と溪谷社)は、そのころのアフガニスタンをこう描写しています。

「我々の生活とは縁遠いが、それだけに大変魅力的な国である。荒涼たる草原と砂漠、雪を抱いたヒンズー・クシ山脈地帯、砂だらけの丘陵地帯に忽然と姿を現わす神秘の湖バンディ・アミール。岩山の陰にひそむ小さな村や部落、その間を点々と渡り歩く昔ながらの遊牧の民。

……独特の生活リズム、文化、娯楽、食事などが、何とチャーミングに思えることか。劇場のざわめき、悠然としたラクダの歩み、干しぶどうの甘さ、すべてこの国ならではの味であろう。」

(あ~、アフガンは……もう行けそうにないな)

それが最初の思いでしたが、だんだんと深い悲しみになってゆきました。

ソ連のアフガニスタン侵攻は、十年戦争になりました。それが原因でソビエト連邦は崩壊します。

ソ連が撤退したあとも、アフガニスタンに平和は戻りませんでした。サンスクリット語でいうところのサンクラ・ユッダ(無差別戦争)の様相を呈し、現在にいたっています。



√yudh(戦う)。yu(二者が合う)とdha(弓)が1音節に圧縮された形です。すなわち「二者が戦う」がこの語根のコアとなる意味でしょう。

√yudhが発展したユッダ(yuddha)は「戦争、戦闘、格闘、決闘」。一対一の格闘から、小人数のこぜりあい、おおがかりな戦闘、天界の神々(惑星)のぶつかりあいである衝《しょう》まで、およそ「たたかい」なるものの一切を括る語ですが、ふつうは「戦争」の意味で用いられることが多いようです。

戦争は人間の性《さが》。人類史上、戦争が絶えたことはかつてありません。誤解を恐れずにいえば、人間は戦争が大好きなのだ、というしかないのかもしれません。であれば、それは本能。『バガヴァッド・ギーター』にいうように、戦争はクシャトリヤのダルマ。

それをどうにかするわけにはいきません。どうにかできるのは、本能のゆくえです。古代インドの知恵は、戦争にルールを定めたことでした。

叙事詩の戦争では、ボクシングの試合の前にレフェリーが両選手をリング中央に呼んでルールを確認するごとく、両陣営の代表が戦争ルールを確認しあいます。ルールとは、『マハーバーラタ』によると——

戦闘時間は日の出から日の入りまで。象隊は象隊と、戦車隊は戦車隊と、騎兵は騎兵と、歩兵は歩兵と——と同じ条件の者どうし同数で闘うこと。二者が戦っているさなか、第三者が横槍《よこやり》を入れてはならない。敵の身体で攻撃してもいいのは上半身の前面だけ(現在のボクシング・ルールと同じ)。非戦闘員や武器や鎧を失ったものを殺してはいけない、などなど。

両陣営の代表は、クシャトリヤ・シップにのっとって、正々堂々と戦うことを誓います。それが本当であったとすれば、悲惨な戦争というより、気高いスポーツの観があります。観客は天空の神々。

だからこそ、誇り高き戦士に、クシャトリヤ・ダルマに悖《もと》る反則行為は許されない。そのうえでの敗者は、死しても天国に召される。勝者といえど、卑劣なふるまいがあれば、地獄に堕とされる。

ルールなき無差別戦争、サンクラ・ユッダ(saṃkra-yuddha)は、もっとも嫌悪すべきものとされました。しかし、マハーバーラタ大戦争はその後、そのサンクラ・ユッダに突入します。その引き金を引いたのは、「正義の神」であるはずの、ほかならぬクリシュナだったのですが……。



これは何千年も前のお話です。現代に生きるわれわれにとって、どんな戦争も許されるものはありません。世界的に見れば、平和ボケした日本人ならではの科白と誹《そし》られるかもしれませんが、それでも二度の世界大戦をへた人類は少しは賢くなった、と思っていました。戦争は止むを得ぬとしても、サンクラ・ユッダに陥らぬよう現代のルール(国際法)を設定して——

しかし、その思いも、今度のロシア軍のウクライナ侵攻で一発で吹き飛んでしまいました。

ウクライナに平和の戻ることをお祈りします。

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インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
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