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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ちょこっとサンスクリット語【ミーナ mīna मीन 】


ミーナは魚。魚はタミル語でもmīnaですから、ドラヴィダ語からの借用語かもしれません。
マツィヤ(matsya)としての魚はすでに見ました。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-131.html
ざっとおさらいすると——
matsyaは日本語の酒菜(さかな)と同じで、「酒の肴」が原意。ヴェーダ時代には魚が好まれていた。文字どおり「酒のサカナ」としても。魚醤(しおから)のようなものすらあった。
それを裏づけるように、サンスクリットの魚の種類をあらわす語彙は、じつに豊富である。しかし、いつしか魚がベンガルやオリッサを除くバラモン衆から不浄視されるようになり、それがどんな魚であるか、いまではほとんどわからない。サンスクリットの辞書には、「魚の一種」としかない。
アーユルヴェーダの教科書『チャラカ・サンヒター』に「最良の魚」として登録されたローヒタ(rohita)はコイ。逆に「最悪の魚」とされたチリチマ(cilicima)は、おそらくカツオである。
今回は、いくらか判明した魚の梵名をあげてみます。

シマアジは、おそらくクラータ(kulāṭa)
ケーララのコーチンの名物、チャイニーズ・フィッシングネットで立派なシマアジを購入したことがあります。持参した醤油で、サシミで食べるために。現地での名を訊いたら、クーリ(kūli)とのこと。ケーララの言葉マラヤーラム語は、サンスクリットとドラヴィダ語のチャンポンなので、クーリのもともとの形は、これも辞書には「魚の一種」としかないクラータであろう、と推測したしだい。kulāṭa→kūliの転訛は音韻的にはまったく無理がありません。
ちなみに、日本人であればサシミ以外に考えられないシマアジですが、ケーララではもちろんカレー。とはいえ、客のもてなしに使う高級魚で、ショウガを利かせたマサーラとココナッツミルクで煮つけます。
インドマグロ、サバ、イワシ、マナガツオも、アラビア海沿いでは食べる機会の多い魚ですが、梵名はまだわかりません。
ナマズはパルヴィタ(parvita)。ガンジス水系のバザールでは、ナマズやコイやマスなどの切り身にマサーラをなすりつけて油であげたり焼いたりしたものを屋台で商っている光景をよく見かけます。スナックの一種として、その場で調理して、計り売りにします。川魚の臭みをスパイスが上手に消して、白身がほっこりとし、なかなか美味しい。

エビの類いは、サンスクリットの辞書にも「prawn、shrimpの一種」としてたくさん載っています。
インチャーカ(iñcāka)、チンガタ(ciṅgaṭa)、ガナーリナ(ganālina)は、日本も多く輸入しているクルマエビやブラックタイガー。ケーララでは、20センチほどになったやつをカレーにします。
炒めたタマネギにターメリック、ショウガ、青トウガラシなどわずかなスパイスと水を入れて沸かし、新鮮なエビとココナッツクリームを加え、さっと火が通れば出来上がり。シンプルな料理だが、上手にできたものはすこぶる旨い。辛味と香りのあいだで、エビが活きています。ぷきぷきした歯応えも官能的です。
ベンガルで好まれるのは、ガンガーテーヤ(gaṅgāṭeya)。ガンジスにすむ川エビで、日本の川にも棲むテナガエビの近縁。タイで食べるトムヤムクンのエビも、チャオプラヤー河で捕れるテナガを使うのが本式です。
ベンガルの農家では庭の池でこのエビを養殖しています。通常、料理にココナッツを使わないベンガルでも、エビカレーに限ってはココナッツミルクで煮ます。エビとココナッツは仲よしなのです。
ジャラヴリシュチカ(jalavṛścikaḥ)ともいうエビもいます。「水中のサソリ」という意味だから、サソリにすがたの似たロブスターの類いなのでしょう。この種のエビは、インドでは、ケブカイセエビ、ニシキエビ、ゴシキエビが採れます。
ニシキエビのなかには50センチを越える大物もいます。サンスクリットで、ブリハッチャルカ(bṛhacchalka)、マハーチャルカ(mahāśalka)——ともに「大型サイズ」の意——とよばれるエビがそれなのでしょう。そこまではいかないが3、40センチのものは、南インドの海辺の村で暮らしていたとき、漁師がよく売りに来ました。200円ほどで買えたと記憶していますから、日本で考えれば安いものです。これを茹でたり焼いたりして食ったのですが、大味でした。しかし高級レストランでは、わたしには想像もつかないような豪華な料理に化けるにちがいありません。

魚の梵名のつもりでしたが、料理の話になってしまいました。次回につづきます。
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コラム【お酒の一千万年】


ヒトはなぜ酒を飲むのか……先日放映されたNHK特集「食の起源・酒」には、なんども深く頷かされました。
われわれのご先祖様は、飲んべえになれたからこそサバイバルに勝ち残った。ふむふむ。といっても、千年、万年前の話ではありません。一千万年以上前のできごと。
われらが遠い遠い先祖のサル族は、アフリカの森で樹上生活をしていた。木にみのるフルーツが主食。ふむふむ。赤ちゃんが最初に認識できる色が赤なのも、オジサンが赤提灯やオネエサンの唇のルージュに惹かれるのも本能なのです。それはフルーツの色だから。
しかし、千数百万年前、気候変動で、サル族の住みかの森も、主食のフルーツとともに大きく減退。ご先祖様は木から下りることを余儀なくされる。食を求めて。
地上には、熟して木からもげ落ちたフルーツが転がっている。拾って、においを嗅いでみる。
クサい(腐っている)!
腐臭が毒のサインであることを知らせるのも本能。それでも勇気をふるって食べてみる。ほかに食べるものがないのだから。
食中毒で命を落としたサルもたくさんいたことでしょう。しかし、腐敗と発酵は紙一重。酔っぱらってフラフラしながらも、ピンピンしているサルもいる。突然変異でアルコール分解酵素を獲得した、われらがご先祖様です。かれらが生き残り、アルコール分解酵素をもたないサルは淘汰された。ふむふむ。これぞ、ほんとの猿酒で、以後、ご先祖様は酔っぱらいながら進化してきた、というわけです。
そして、映画『二〇〇一年宇宙の旅』の、猿人が宙に放り投げた動物の大腿骨の棍棒が宇宙船に変わるシーンのごとくして現代——

人類文明は酒の大量消費とともに進化してきた。ほとんどの宗教は、酒を神や異族と交わる手段として礼讃した。
より強い酒を求めて、千数百年前に蒸留酒が発明される。イスラムや一部のヒンドゥーのように酒を拒む文化もありますが、禁酒の起源は蒸留酒の起源とほぼ一致する。強い酒に飲んで、ひどい失敗をやらかす連中が増えて、開祖が禁酒に踏み切ったのでしょうな。
それより前の、BC.3000~2000年ごろ。東アジアの稲作地帯で、アルコール分解酵素をつくらない遺伝子が現われました。理由ははっきりしないが、飲むより飲めないほうがサバイバルに適する、ということもあった、ということらしい。番組では——
不衛生な水田とともに凶悪な有害微生物が出現した。アルコールを分解できないことで発生する、ほんらい人体には有害な物質であるアセトアルデヒトが、有害微生物を退治する結果になったのではないか——そんな仮説が提出されていました。
ちょっと無理があるような気がしないでもないが、ともあれそういうわけで、酒を生理的に受けつけない方も、多々いらっしゃいます。信条的に、またはクルマを運転するなどの理由で飲まない方も。
そんな方たちも、千数百万年の遺伝子をになったトラディショナル飲んべえといっしょに飲み会を楽しめるよう、最近はノンアルコールの、しかし味はほんものそっくりのビールやワインがつくられるようになりました。
伝統派のわたしとしては、ノンアルコールなんてどこが面白いのだろ、と思ってしまいます。ところが、どっこい、こいつがなかなかの曲者。ノンアルコールのくせして、飲むと、文字どおり、飲んだ気分になる。つまり、軽く酔っぱらったようにハイになる。
脳が、かつて本物の酒を飲んで酔っぱらったときのデータと照合して(だから、ほんらい飲める人がノンアルコールを飲んだ場合にかぎられる)、だまされて、飲んだ気分になるというのです。ふむふむ。豆腐でつくった精進のウナギが、本物の鰻の味がするのと同じ原理ですな。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/?mode=m&no=36
ヨーガ風にいうと、心に蓄えられたサンスカーラ(潜在印象)によってもたらされる錯覚。酒はともかく、この原理は、いろいろなことに応用できるような気がします。

【ソーハン so’ham सोऽहम् 】ちょこっとサンスクリット


2020年、令和2年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
いただいた年賀状のなかに、
「so’hamマントラのソー(saḥ;彼)とハン(aham;我)は、それぞれ誰を指しているのでしょう?」
というご質問がありました。この場を借りて、お答えします。

インド哲学の原点であるウパニシャッド聖典群には、簡潔な祈念の詩やストーリーとともに、そこに述べられる思想を要約する大文句(mahāvākya;一種のマントラ)が付されています。たとえば——

太初には、この世は実にブラフマンのみであった。
それは自身を「われは梵なり」と自覚した。
その結果それは一切となった。
神々も……聖仙も……人間も、それ(ブラフマン)を自覚した者は、それ(一切)となった。
いまも、かくのごとく「われは梵なり」と知る者は、この世の一切となる。
                (『ブリハダーラニヤカ・ウパニシャッド』Ⅰ‐四‐10)

「われは梵なり」を意味するahaṃ brahma asmiが大文句です。
ブラフマンについては、http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-182.html
ほかにも有名な大文句としては、
prajñānaṃ brahman(梵は般若なり)
tat tvam asi(汝はそれなり)
idaṃ sarvaṃ yad ātmā(この一切はそのアートマンなり)
ātmā brahma asti(アートマンは梵なり)
などがありますが、『イーシャー・ウパニシャッド』15~18に収録された死にゆく者の祈念にあらわれる、
—— so’ham asmi(彼はわれなり)
こそがso’hamの典拠。
当時、太陽はブラフマンの世界の入口と見なされました。しかし、通常はその門は黄金の光に覆われて閉じている。死にゆく者は、死者を天界へと導く神プーシャンに、太陽神スーリヤに、死神ヤマに、光を収めて門を開いてくれるよう祈ります。そして、
「われは汝を観る。かの、いとも麗しきお姿をしたるプルシャを……彼はわれなり(so’ham asmi)」
彼とは、太陽のなかにおわしますプルシャ(神人)。ほんらい中性名詞で語られるbrahmanを男性名詞のpuruṣaḥとして擬人化したものにほかなりません(一説に日輪のなかに見える黒点だとも云われています)。

so’ham asmiの連声する前の形はsaḥ aham asmi.
しかし、saḥは母音a-の前ではsoに変わり、so aham asmi.
サンスクリットでは、-o a-のように母音が連続することを嫌うため、ahamの頭のaが脱落してso’ham asmi(’は「省略」をあらわす記号)。
saḥ(so;彼)とaham(’ham;私)は、ともに主格(主語になる語形)であるため、asmi(私は~である)を省略しても、イコールで結ばれます。そうして出来た最終的な形がso’ham.
ソーハン。「彼(梵)は私!」
こうして、ウパニシャッドの梵我一如の思想は、吸う息で「ソー」、吐く息で「ハン」と呼吸と合わせても誦えることのできるso'hamのたった二つの音節に集約されたのでした。

伊藤武

【チベット医学】コラム



今年最初の講義は、ネパール・カトマンドゥでチベット医学のクリニックを営んでいらっしゃる加藤千晶さんとのコラボでした。http://tcp-np.com/index.html
裏山から薬草を採ってきたり、鉱物薬を多用したりと、興味深いお話をたくさん拝聴させていただきました。ネパールで体調を壊しても安心。日本語で診てもらえます。
ここでは、チベット医学と、その医典を完全イラスト化した医学タンカ集を簡単に紹介します。

7世紀前半、ボト(吐蕃)のソンツェン・ガンポ王が、広大なチベット高原を統一します。ボトは、おそるべきアジアの征服者。のちのジンギスカンのモンゴルのようなものでした。かれらは支那の唐王朝をゆさぶり、何度も長安を襲い、シルクロードの要衝を占領します。
ボトの帝国は、そうして得た莫大な財を、インドの仏教とアーユルヴェーダを吸収することに、惜しげもなく注ぎこむのでした。
湿潤のインドで生まれた医学は、チベットの標高4000メートルの苛酷な大地に、みごとに適応しました。仏教がそうであったように。
いや、チベットにおいて仏教と医学はそもそも一体でした。同じ原理にもとづいているのです。すなわち、「人生に苦(病)あり。苦(病)には原因あり。原因を制すれば苦(病)は癒え、ここに苦(病)を制する手段あり」の四聖諦(ししょうたい)は、粗大な肉体の病の治療から微細な心の苦の救済、さらには魂の解脱までを一本の糸でつらぬく「いやしの方程式」だったのです。
8世紀、ティソン・デツェン王の侍医の古ユトク(742~866)が、アーユルヴェーダの原典を翻訳して『ギュー・シ(四部医典)』を編纂。爾来、この医典は究極の古典として君臨しつづけ、 医療実践に用いられ、 何世紀にもわたって註釈がなされました。
そして17世紀、同書を絵解きした医学タンカ60幅(現在80幅)が制作されます。まさに、世界医学史の至宝。伝統医学やヨーガや仏教に興味あるかたは、ぜひご覧になっていただきたい。

これを日本語で解説した『四部医典タンカ全集』(池上正治訳/平河出版社刊)もありますが、4、5万円と高価なもの。もちろん、それだけの価値はありますが、さいわい絵だけであれば、ネットで鑑賞することができます。
https://www.thangka.de/Medic/Plates.htm
クリックしたら、細部まで詳細に映し出されます。いくつか欠損がありますが、それはほかのサイトで補うことができます。たとえば、画力はちょっと落ちるが、
https://en.gebetsfahnen.de/tibetan-medicine-yoga-thangka-no-8-40-x-49cm.html
「人の懐妊から出産まで」を描いたタンカです。この絵は現代の専門家たちを驚かせました。個体発生は系統発生をくり返す。受胎から始まり、細胞の分裂、第9週までを魚の期間、第17週までを亀の期間(爬虫類)、第32週までを豚の期間(哺乳類)とすることなど、胎児の描写が現代の知識と一致していたからです。
チャクラと脈管からなる微細身を描いた、
https://www.thangka.de/Gallery-3/Medical/8-9/Medic9-0.htm
も興味深い。臍の部分(ナービ・チャクラ)が中心になっており、チベット語の解説には——

上に行って、脳髄を形成。愚痴(おろかさ)は脳髄に属する。
中央を行って、命脈(中央脈管)を形成。瞋恚(いかり)は命脈に属する。
下に行って、生殖器を形成。貪欲(むさぼり)は生殖器に属する。

とあります。愚痴・瞋恚・貪欲は、仏教でいう「三毒」(三大煩悩)であり、こうしたところにも仏教との関連が見られます。


【マナス manas मनस्】ちょこっとサンスクリット

歩きスマホ、自転車スマホ、映画館スマホ、飲み会スマホ、電車のホームから転げ落ちてもスマホ、きっと天国の階段をのぼるときもスマホ、スマホスマホスマホスマ……

スマホは、たった十年ほどで、人間界の様相をすっかり変えてしまいました。ヒトはヒマさえあれば、いやヒマがなくてもスマホを覗いています。そうしないと落ち着かないのです。中毒といってよい。では、ヒトはなぜ、スマホのとりこになってしまったのでしょう。

心の為せる業(わざ)です。



心がいかにして生起するのか? 

現代科学でも確(しか)とは解明されていないこの謎に、インドは早くから多くの仮説を提出してきました。

そのひとつ、『ヨーガ・スートラ』の哲学は、プルシャとプラクリティの2つの原理を立てます。

プルシャは、魂、あるいは一切の物質的現象をともなわない意識のみの存在、いわば「純粋精神」。

対するプラクリティは、一切の物質的現象の母胎。そして、「心」すなわちチッタ(citta<√cit観察する)も、このプラクリティから生まれたモノ――物質、マテリアル である、と考えられています。ブッディとアハンカーラとマナスの3つのパーツから成る――。

ブッディ(buddhi<√budh目覚める/認識する)は、心の核(コア)。しかし、ブッディ自体が精神活動を営んでいるわけではありません。物質原理プラクリティから生まれた以上、ブッディもまたモノであり、マテリアルという意味では路傍にころがる石となんら変わらないからです。しかしブッディは、そんじょそこらの石ではない。まわりのものを鏡のように映しだす宝石のごときもの。

このブッディがプルシャの純粋精神を映しだし、擬似的な精神活動をいとなむようになる。あたかも、月が太陽の光を反射して、闇夜を照らすごとく。その光が後二者――アハンカーラとマナスに浸透してゆく。

アハンカーラ(ahaṃkāra<aham私-√kṛ作る)は、「私(自我)をつくり出すもの」。フロイトやユングの心理学にいう「無意識」に相当するフィールドです。

マナス(manas<√man考える/思う)は、感覚器官を通して外界と接する心の表層。いま現在、われわれが思い、考えている意識そのもので、「意」と漢訳されています。人間を意味するマヌシヤ(manuṣya)や、思考(mati)、マントラ(mantra)も同語根。また英語のman(人)、mind(心)、mention(叙述)などとも同語源です。人間を「考える動物」と定義したのがインド・ヨーロッパ語族といえるでしょう。

マナスの関心は、さまざまな感覚の対象(音・触・色・味・香)やおのれに対する毀誉褒貶(きよほうへん)に注がれます。ヒトはそれによって生き延びてきました。感覚をもって、おのれを脅かすもの、喜ばせるものを察知することによって。マナスが、なんであれ、おのれを害するものに気づくことがなければ、われわれは容易に身を滅ばします。

けれども、マナスは飽きっぽい。絶えず新しい情報に餓えている。それが、われわれがスマホのとりこになる理由です。

しかし、感覚入力をオフにして(pratyāhāra)、マナスを内に向けることから、ヨーガは始まります。

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プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
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