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バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

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ラサーヤナ rasāyana रसायन ちょこっとサンスクリット



ラサーヤナ(rasāyana)。通常「錬金術」と訳されます。アーユルヴェーダ関係者は、同じ語を「不老長生術」と訳します。サンスクリットの用語はしばしば、翻訳したとたんにその霊妙なニュアンスを失ってしまうのですが……「錬金術」と「不老長生術」は、どのように関わるのでしょうか?

ラサーヤナの原意は、ラサ(rasa)の行方(ayana)。

ayanaは√ i(行く)に派生する語で、『ラーマーヤナ』(Rāma-ayana)のayanaと同じ。『ラーマーヤナ』は「ラーマ行状譚」などと訳されます。

rasaについては以前に述べました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/page-15.html

要するに、rasaにはなんと33もの意味があり、そのいくつかは、医学や錬金術や芸術やヨーガや料理などの分野で「乳糜」、「水銀」、「情趣」、「精液」、「味」などと訳され、それぞれの分野のキーワードとなっている。

一つの単語に一つの意味しかないのであれば話は簡単ですが、サンスクリットの単語が多くの意味をもつのは、詩やマントラと関係があるらしい。詩やマントラでは、あることを別のあるものに喩えます。そして、喩えられたものがその語の意味の一つとして定着する、というわけです。詩学のテキストには、解釈するさいは意味のすべてを考慮に入れよ、とあります。

とはいえ、最初は一つや二つぐらいの意味しかなく、それから多くの意味が派生したにちがいありません。よって、文献上の最初の用法を探ることが肝要となります。

rasaの最初の用法は、『リグ・ヴェーダ』に現われる「ソーマの搾り汁」。ソーマ飲料は、神々に捧げる「お神酒」のごときもので、ヴェーダ儀礼の最重要な供物です。あの有名なマントラ——



asato mā sad gamaya,tamaso mā jyotir gamaya,mṛtyo mā amṛtaṃ gamaya.

われを虚偽から真実へと導きたまえ、闇から光へと導きたまえ、死から不死へと導きたまえ!



は、ヴェーダ儀礼に先立ってソーマを調整するときに唱えられました。ソーマに「真実・光・不死に導く力」が期待されたのです。

とくに、不死(amṛta)または不死性(amṛtatva)は、古代文明が取り憑かれた魅力のひとつでした。いわく。神々は、ソーマを飲むことにより、永遠の生命を得、保持するのだ!

アムリタ(不死)は、ソーマの別名です。しかし、ソーマ飲料の原材料となるものは、リグ・ヴェーダ時代が幕を下ろす約4000年前に、インドでは絶滅してしまいます。その後のヴェーダ儀礼では、代用品が用いられました。

「ラサの行方」を原意とするラサーヤナは、「どこかに行ってしまった(失われた)ラサ」(ソーマ)そのものの人工的な復元に始まります。

まず、不老不死を目ざすアーユルヴェーダの一部門としてのラサーヤナが興った。というより、アーユルヴェーダそのものが、ソーマの復元に始まったのでしょう。

慢性疾患を癒し、回春《わかがえり》を可能にし、最終的には無期限の長命に到らしめる……ための「原理」を応用すれば、卑金属をも黄金に変換できる(はずである)。そうして、医学ラサーヤナから、文字どおりの意味での「錬金術」(loha-rasāyana)が派生しました。



わたしが、今回なぜこんなことを書いたかというと、シュリークラ派というタントラのグルが、

「アーユルヴェーダのサプタダートゥは、ラサーヤナの発想じゃ」

と書いているのを読んだからです。

「七つの身体構成成分」と訳されるサプタダートゥ(sapta-dhātu)は、食べたものが、

①乳糜→②血→③肉→④脂肪→⑤骨→⑥骨髄→⑦精液(男女の生殖物質)

の順で変換すると説くアーユルヴェーダの大黒柱となる理論ですが、なかなか難解です。

ところが、最初の「乳糜」の原語がラサ、最後の「精液」のそれがシュクラ(śukra)であるとしたら、どうでしょう。この場合の“ラサ”は「食べたものが消化してドロドロになった状態」をさしているのでしょうが、その後の変化を説いているのだから、ラサーヤナ(ラサの行方)にちがいありません。そして、「輝けるもの」が原意の“シュクラ”は、錬金術における最終産物「黄金」に相当します。

つまり、サプタダートゥでは、人体そのものが、錬金術装置に見立てられているのです。次代の生命を生み出す最も尊い物質である「輝けるもの」を生産するための。

人間は子孫(遺伝子)を残せば生物学的には不死と見なされますが、シュクラ自体も階層を上げて第8の成分、オージャス(ojas)となります。これは真の不老・長生・回春のラサです。



3月6日(土) のYAJ講座「台所薬局——アーユルヴェーダをもっと知ろう」では、身体を真の錬金術装置にする方法をお伝えします。



伊藤武
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蓮根カレー コラム





わたしの愛読書、後期密教の担い手であるシッダたちの物語をコレクションした『八十四成就者伝』には、食いものネタがしばしば登場します。

元祖サハジャのサラハが、妻に大根カレーをつくるよう求めたまま12年間の瞑想に入った。そして、瞑想から起った彼の放った第一声が「わしの大根カレーはどこだ?」

『ヘーヴァジュラ・タントラ』の大祖師ヴィルーパが、ソーマプリー僧院の鳩を捕まえてパイ(サモサみたいなもの?)にして貪ったため、僧院には鳩がまったくいなくなってしまった。

マハームドラーの完成者ティローパは、弟子のナーローパが托鉢で得たグリーンカレー(ほうれん草カレー?)が気に入って、「もっと盗んでこい」と命じた。

そんな面白いエピソードにあふれています。『八十四成就者伝』のおもな舞台は、8~12世紀の東インドに興ったパーラ王国。「千年前の東インド料理」を妄想して楽しんでいます。

貧乏武士(浪人)のナリナは、沼で蓮根を採って生計を立てていた……という話もあります。蓮根カレーについては以前に書きました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-74.html

ここにしるしたのは東インドのコナーラクで食べた蓮根ボールのカレー。千年前にも、こんな料理があったのかな、などと。

さて、ナリナは貧乏暮らしにほとほと嫌気がさし、早く解脱したいと願っていましたが、あるとき『秘密集会タントラ』の聖者に蓮根を捧げます。と、聖者は喜び、ハタ・ヨーガを伝授してくれました。そして、ナリナはハタ・ヨーガによって成就にいたります。

“ハタ・ヨーガ”という語の文献上の初出が『秘密集会タントラ』であること、ナリナ(Nalina)という言葉じたいが「蓮」を意味すること、そしてハタ・ヨーガのナーディー(脈管)やチャクラが蓮の生態をモデルにしていることなどを考えると、短いながらも含蓄のある物語です。

ヨーガの講義のおりにそんな話をしていたら、スリランカに関わりのある男性からスリランカの蓮根カレーのレシピを教えていただきました。さっそく作ってみて、お気に入りの料理になりました。



① レンコンは薄いイチョウ切り。タマネギも薄切りにする。

② ①をナベに入れ、浸かるぐらいのココナッツミルク(パウダーでよしとする)を注ぐ。

③ モルディブ・フィッシュ(鰹節)、シナモンスティック、パウダーのコリアンダー、クミン、ターメリック、トウガラシ(量はすべて適宜)を加え、さっと煮る。

④ 別の鍋またはオタマで、油(できればココナッツオイル)を熱して、カレーリーフ、マスタードシーズをテンパリングし、③にジャッとかけて完成。



5分もあれば、出来ます。

シャキッとした蓮根の歯ざわりが快い。鰹節を使うから、エキゾティックでありながら、口に馴染みます。スリランカではシンホパーズと呼ばれるビーフンをよく食べますが、ソーメンにもよく合います。

以前にも書いたことですが——

蓮根は、花粉症に非常に効果のある野菜です。続けて食べることで、8割以上の人が完治、ないしは症状が大きく改善されたという報告があります。蓮根が腸内環境をととのえ、それがアレルギー緩和につながるとのことです。

アーユルヴェーダでは、ひとつの食物が万人に効果がある、という発想はしませんが、蓮根だけは特別あつかいしてもいいかもしれません。その花こそが神仏の座(アーサナ)なのですから。

そして、脈管が開いて、成就にいたるかも。

サラスワティー Sarasvatī सरस्वती ちょこっとサンスクリット語

サラスワティー Sarasvatī सरस्वती ちょこっとサンスクリット語



サラスワティーは、「芸術、学問、知恵の女神」として、インドはもちろん、日本やバリ島でもたいへん人気のある女神さま。

“サラスヴァティー”とカナ表記されることがほとんどですが、s-のような子音の後に続く-v は-wで発音するのが原則ですから、“サラスワティー”とするのが適切でしょう。

また、「弁財天」と訳すのもよろしくない。財は吉祥天ことラクシュミーの担当ですから、「弁才天」または「弁天」が正しい。

「サラスワティー」については、以前書きました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-48.html

すこし補足しておきましょう。



Saras(池、湖、水)をvat(持つ)ī(女)で、Sarasvatī。

ヒマラヤのカイラーサ山の近くに源し、インダス河(Sindhu)の東を伴走するように流れ、アラビア海に注ぐ大河(現在のガッカルハークラー河床)が、まずこの名で呼ばれました。女性名詞で語られるこの大河は当然のごとく擬人化され、サラスワティー女神となります。

インダス-サラスワティー両河は、5000~4000年前に栄えたインダス=リグ・ヴェーダ文明の中心地。しかし、現在出土している都市遺跡は、インダス河畔よりもサラスワティー河畔が断然多い。

さらにサラスワティー河畔には、聖仙たちが供儀(yajña)や苦行(tapas)にいそしむ聖なる森が広がっていました。かれらはそこでヴェーダの詩(mantra)を感得します。ゆえに、サラスワティーは、知恵の女神、芸術・学問のインスピレーションを授ける女神となります。



さて、ヴェーダ儀礼のさいに詠唱されるマントラは、ヴァーク(vāk)と見なされます。

ヴァークは、「語」、英語では“Word”と訳されることを常としますが、あまり満足のいく訳とは云えません。むしろ、「言葉、声、発声、言語、語」や、「潮騒や風や雷霆など自然界の音」や、「動物の鳴き声」を含む、ありとあらゆる振動(ヴァイブレーション)と捉えたほうが正鵠を得ているように思われます。

『リグ・ヴェーダ』において、ヴァークは、後のタントラのシャクティ(Śakti)のごとく、宇宙をつらぬく創造原理にまで高められました。表現に形を与えるもの、儀礼を成就せしめる力もまたヴァークの作用でした。

そして、ヴァークと対《ペア》になる語として、ブラフマン(Brahman)が現れます。「ブラフマン」についてもすでに述べました。

http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-182.html

ここでは、『リグ・ヴェーダ』における、ブラフマンとは「ヴェーダ儀礼の祭官の口から滔々と流れる呪文とその効力の発現」としましたが、より正確に書くと、儀礼の依頼者の願望を叶えるために唱えられる呪文《マントラ》が“ヴァーク”であり、そのなかでも最も効力を有する決定的な音声《ヴァーク》が“ブラフマン”。

そして、ブラフマンは中性名詞ですが、それを発声する祭官は人間の男性ですから、男性名詞のブラフマー(Brahmā)の称号を得ます。

いっぽう、女性名詞のヴァークは、「言葉の女神」、ヴァーグ・デーヴィー(Vāg-devī;d-の前の-kは、-gに変わる)として、サラスワティー女神と同一視されます。ここに、

――ヴァークであるサラスワティーを行使するブラフマー

という、後の神話のカップルの原形が誕生することになるのです。

アルチの黄昏 コラム




わたしがこれまでに購入したなかで最も高価な本は、“ALCHI”。日本円にして8万円。現存するインド密教の唯一の寺院といってよいアルチ僧院の、三層堂の壁画の写真集です。

2009年インドのラダックを旅したときに「清水の舞台から飛び降りた」気持ちで買ったのですが、買っておいて本当によかった、と今、しみじみと感じています。

ラダック、アルチについては☞http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-144.html?sp



インドの12世紀までの仏教寺院は、ムスリムによって、ことごとく破壊されてしまいました。いくつかの窟院以外は、まったく残っていません。しかし、1974年にラダックが外国人に解放されたとき、旅行者は、特に密教と美術の関係者は、目を見張りました。ないはずの仏教寺院が、千年前のカシミール様式の木造の密教寺院がそっくりそのまま、ほぼ完全な形で遺されていたのですから。

カシミール様式は、7~12世紀、カシミールからヒマーチャル・プラデーシュにかけて行われていた建築・彫刻・彫金・鋳造・絵画、さらに織物のデザインを含む美術の一定のスタイルです。

当時、カシミールは、東インドのパーラ王国とともに、インド仏教の最後の砦でした。アルチ僧院は、そのカシミールからやってきた匠《たくみ》たちによって建造されたのです。

アルチ僧院の数基ある堂宇のうち、特にスムツェク(三層堂)とよばれる三階建てのお堂の壁を埋めつくす壁画の絢爛豪華で、細密で、色鮮やかなことといったら、譬えようがありません。素晴らしさで例えるならば、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画あたりを持ちだすほかはないでしょう。

何種類もある金剛界マンダラや千体仏や多様なホトケたちにくわえて、酒宴や狩猟などのシーンを描いた世俗的テーマも豊富です。地元のチベット系の人々と、ラダックの北に連なる山塊の6000メートルに迫る峠をいくつも越えてやって来た中央アジアのトルコ系の人々(当時は仏教徒)が、しっかりと描きわけられています。

アルチ絵画の人物像の特徴は、紺を背景に、キュッとくびれたウエスト、卵形の顔に寄り目。顔が斜めになるときは目が顔の輪郭からはみ出しますが、これは現存するパーラ王国の仏教やジャイナ教の写本の挿絵と共通します。遠く離れた両地域に、頻繁な交流があったのでしょう。

そして、ホトケも人も、着ている衣には緻密な模様が描きこまれます。その細かさといったら、見ていて気が遠くなるほど。アルチの絵師の織物への偏愛ぶりは筋金入りで、天井画には織物の柄がそのまま描かれています。千年前のカシミール・サリーのカタログといっても過言ではありません。

さらに、カシミールに実在したであろう王宮やシヴァ神やヴィシュヌ神の寺院も見えます。

アルチは美術的にすぐれているだけではない。文化と歴史のタイムカプセルでした。インドのヒンドゥー教徒を含む多くの外国人が夢中になりました。しかし――



一昨年、10年ぶりにアルチを訪ねました。壁画は目を覆いたくなるほど劣化しています。

ラダックが旅行者に解放されて約半世紀のあいだ、押し寄せる観光客と、地球温暖化による異常気象が壁画を害うことはわかりきっているのに、いかなる保存措置もなされてこなかったのです。

一応、インド政府考古局がアルチ保存の責任を負っています。しかし、僧院を実際に管理しているのは、近くにそびえるチベット仏教ゲルク派の本山、リキル僧院。

いっそ、アルチが、アジャンターのごとき遺跡であればよかった。そうであれば、インド考古局は優秀です。適切な措置を講じたでしょう。しかし、リキル側は、アルチはリキルの僧たちが儀礼をいとなむ「生きた寺院」である、を理由に考古局の介入を拒みました。

そして、アルチはインドの文化遺産ではあっても、チベット仏教の僧侶たちにとっての文化遺産ではありません。インドの仏教はラダックを通ってチベットに伝えられるのですが、それから千年のあいだ、チベットは独自の仏教美術をはぐくんできました。かれらが、みずからの美術とは異なるカシミール様式に愛着をいだくことはありませんでした。

かれらにとって、壁画は寺院を荘厳するものであると同時に、儀礼と瞑想の対象です。絵が劣化したら、(チベット様式で)描き直せばいい。「生きた寺院」とは、そういうことです。

結果、インドの至宝は、無惨に朽ち果ててしまったのです。

そうなることを、30年も前から予期していた人物がいました。冒頭にあげた“ALCHI”の著者、ドイツの美術史家ロジャー・ゲッパーと写真家ヤロスラフ・ポンカールです。1990年、2人はアルチ救済プロジェクトを立ち上げますが、考古局とリキルの軋轢に疲れはてて、撤退します。

しかし、たとえアルチが物理的に消滅しても脳裡で復元できるようにと、1996年初版の、三層堂の壁画のすべてを詳細に記録した高価な写真集を上梓したのでした。そして、わたしも、その恩恵にあずかり、インド密教最盛期の美にひたることができるのです。

シヤーマ Śyāma श्याम ちょこっとサンスクリット語

タイ。若いころは、インドへの行き帰りに必ず寄ったものです。ネットのない時代、飛行機のチケットが一番安く買えたのがバンコクだったから。そうして、しょっちゅうタイを旅して、この国が大好きになりました。料理は美味しいし、ムエタイはカッコいいし、素晴らしい遺跡もあるし……
しかし、コロニャンのせいで、タイは遠くなってしまいました。バンコク経由で、カンボジアのシェムリアップ(アンコール)にも行きたいけれど、いつになるやら?
タイをあらわす梵語はシヤーマ(Śyāma)。タイ国の古名シャム(Siam)のもとになった言葉、と云いたいところですが、じつは違います。

タイ族の原郷は、長江流域。BC.3世紀に秦の始皇帝に滅ぼされた楚(そ)はタイ系の王国だったと考えられています。以来、チーナ(漢族)の度重なる圧迫により、自由を愛するタイ族は雲南、さらに東南アジア各地――現在のタイ国、ラオス、ミャンマーのシャン州に移動することになります。
そう、かれらの自称は、「自由、高貴な人」を意味するタイ(Thai,Tai)。しかし、周辺民族はだれもその名で呼ばない。サームとかシャームとかシャンとか、その系統の言葉で呼びました。
今となっては意味不明の語ですが、やがてアユタヤを建国したタイ族自身も対外向けの国号として“シャム”を名告るようになりますから、決して悪い意味ではなかったのでしょう。
そして、宮廷用語としてサンスクリットの用いられたアユタヤ時代に、シャムに音の近い梵語の“シヤーマ”を当てるようになった、ということです。
では、梵śyāmaのもともとの意味は、といえば――

√śyai(凍る/干あがる/萎びる)の現在語幹śyāに由来する語で、「黒い」が原意。干涸びて黒ずんだものをさす言葉だったようです。不吉な響きのように思えますが、クリシュナ神のことをシヤーマ・スンダラ(Śyāma-sundara;黒いハンサム)とも呼びますから、“シヤーマ”も悪いニュアンスで使われることはなかったようです。
また、シヤーマは、黒だけでなく、紺色や深緑色をもあらわすようになりました。
そして、シャムは稲の濃い緑に覆われています。現タイ国の象徴であるプラケーオ(エメラルド仏)も緑。このエメラルドとは『ヴィシュヌ・プラーナ』にいうシヤーマカーンタ宝(śyāma-kānta;緑石)。タイ人が雲南から運んできた翡翠(ひすい)で、これを彫ってエメラルド仏が造られました。
つまり、タイ人にとって梵śyāmaは、「緑→豊饒/繁栄」をあらわす縁起のいい言葉だったのです。

さて、チーナに圧迫されたタイ族は、東インドのアッサム地方にまで移動し、13~19世紀、アーホーム(Āhom)王国を築きました。
しかし、アッサムは、もともとはサンスクリットでプラーグジヨーティシャ(Prāgjyotiṣa)やカーマルーパ(Kāmarūpa)などと呼ばれた地域。アッサム(Assam)は英語訛りで、正しくはアーサーム(Āsām)。サーム(タイ族)の同義です。現地の人はSāmのsを発音できなかった。
Sを発音できない人はけっこういます。タミル人やフランス人もそうです。フランス人は、隣国の名スペインをうまく発音できなかった。しかし、sの前にeをつければ、それに引きずられて何とか発音できる。そのため、スペインは“エスパーニャ”と呼ばれるようになりました。
サームの場合も同じ。sの前にāをつければ、発音できる。そうして、“アーサーム”という語が生まれました。“アーホーム”は、そのさらなる訛りです。
インドに入ったタイ族は、アーサームは梵asama(比類なき)に通じるとして、その名を喜んで受け取りました。現地で盛んだったタントラ信仰とともに。
アッサムは、現在もタントラ(女神密教)の中心地で、至高女神カーマーキヤー(Kāmākhyā)は、シヤーマー(Śyāmā)とも呼ばれます。シヤーマの女性形で、カーリーのごとく「黒い女神」とされていますが、「タイ族の女神」とも解釈されうる呼称です。じっさい、アッサム・タイ族本来の地母神と同一視されています。
なお、12月10日のYAJ定期講座「密教/タントラ勉強会」では、トリプラスンダリーとも称されるこの女神の究極の曼荼羅、シュリー・ヤントラについて語ります。

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インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
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