FC2ブログ

バン・ボーラ!──伊藤武のなまけブログ

作家・伊藤武かきおろしーーーーー満月通信のコラム

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【ヴィシュヌ Viṣṇu】ちょこっとサンスクリット語


シヴァの前身は、『リグ・ヴェーダ』の暴風雨の神ルドラである。ブラフマーは、『アタルヴァ・ヴェーダ』で確立した至高原理ブラフマンを擬人化だ。

ところが、どうもよくわからないというか、とらえどころのないのが、ヴィシュヌという神格です。

Viṣṇuの語源は√viś(広げる/くまなく行き渡る)。太陽光線をあらわしたものです。ヴィシュヌの神話は、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』にあらわれます。宇宙を三歩で渉る神として。しかも、三歩目は、敬虔な者以外なんぴとも到達することのできない至高の光明界。すなわち、ヴィシュヌは、太陽神スーリヤのもっとも神聖な属性をあらわしたものとして登場した、といい得ましょう。

このヴィシュヌは、やがてスーリヤから独立し、いっぽうでさまざまな神々と習合してゆきます。



まず、クリシュナ(Kṛṣṇa)と合一しました。

クリシュナは、そのモデルは実在の人物で、現在のラジャスターン〜グジャラートあたりに居住したヤーダヴァ族という戦士カーストの王、ないしは王族だったようです。彼は、ブッダ同様、新興宗教を開きます。それが、バーガヴァタ教(ヴィシュヌ教の原形)の始まりでした。バガヴァットという「唯一絶対の神」を信仰する一神教です。クリシュナは、この自分の拝する神バガヴァットと同一視されるようになります。

一神教といっても、キリスト教やイスラム教のように他宗教の神を否定したりはしません。ぎゃくに他神を取りこんでいきます。たとえば——

『リグ・ヴェーダ』の、nāsad āsīn no sad āsīt tadānīm (そのとき[太初において]無もなかりき、有もなかりき)で始まる「宇宙開闢の詩」の原初の水に坐(いま)す「タデーカン」(Tadekam;かの唯一者)。ヴィシュヌ=バガヴァットは、彼と習合し、乳海にまどろむナーラーヤナ(Nārāyana)になります。

同じく『リグ・ヴェーダ』の、犠牲に付せられる原人(Puruṣa)とも習合し、これはヴィシュヌの慈悲深い面としてあらわれます。

ヴィシュヌ=クリシュナ=バガヴァット=タデーカン=ナーラーヤナ=プルシャ……

かくしてヴィシュヌは、等式を無限に延ばしていきます。ヴィシュヌのとらえどころのない性格は、起源の異なる神々の習合に由来すると思われます。

ヴィシュヌの性質を決定づけるのは、アヴァターラ(avatāra)という概念でしょう。アヴァターラは、ava(下に)-√tṝ(渡る)に分解できる語で、神、とくにヴィシュヌが、なんらかの神に化身して地上に下ることを云います。

ヴィシュヌのアヴァターラの数は、53とも、26とも、24ともいわれていますが、もっともよく知られているのは10大化身(Daśāvatāra)でしょう。インドで早くから知られていたマイナーな神々——魚(Matsya)、亀(Kūrma)、野猪(Varāha)、人獅子(Narasiṃha)などがヴィシュヌの化身とされることになります。先述のクリシュナやラーマ(Rāma)はともかく、ブッダ(Buddha)さえもが、化身と見なされるようになりました。

10大化身のうちで、『リグ・ヴェーダ』の宇宙を三歩を渉るヴィシュヌの性格をもっとも留めているのは、ヴァーマナ(Vāmana;こびと)でしょう。



バリとよばれる帝王がいた。太陽神であった。彼の治世のもと、人びとは繁栄と平和を謳歌した。

世直しの神ヴィシュヌは、この偉大なるバリを滅ぼさねばならなかった。なぜならバリは、アスラに属していたからである。ヴィシュヌはヴァーマナのバラモン僧に化けて、バリに接近した。

「大王よ。土地を分けてくだされ。この小さな私が三歩で歩ける土地でいいのです」

「よかろう、バラモン殿」気前のいい王者は応えた。

と、ヴァーマナは、たちまち宇宙神ヴィシュヌとしての巨大な姿をとりもどし、一歩で天界をまたぎ、二歩で空界を横断した。そして、三歩目の足をバリの頭に踏み下ろし、彼を地下世界に押し込んでしまったのだ。



ヴァーマナの神話は苦い味がします。どうみても、ヴィシュヌのほうが悪です。

ヴィシュヌ自身、世の秩序の維持のためといえど、詐欺同然の方法で名王バリを滅ぼすことは忍びなかった。しかもバリは、ヴィシュヌの本地である太陽神なのです。ゆえに、地下に押し込んだだけで、生命まで奪ってはいません。そして、いまもインドの各地でバリの復権を祈る祭が行なわれています。



伊藤武

スポンサーサイト

【ゲーランダ・サンヒター】コラム





YAJ定期講座の『ゲーランダ・サンヒター』が修了しました。



「ゲーランダ先生、わたしにホンモノのハタ・ヨーガをお教えください!」

そういって、一国の王であるチャンダカーパーリがゲーランダ師の門を叩く場面から、この聖典は始まります。

ヒンドゥーとイスラムの葛藤が泥沼化し、さらにインドの植民地化をもくろむヨーロッパ列強が台頭をはじめる17世紀のベンガルが舞台。

ほんらいナータ派という一宗派のヨーガであったハタ・ヨーガも、ほとんどあらゆる宗派に採用されたがために、雑多な教えが混じりこみ、渾沌としたものになっていました。だからこそ、王はホンモノを求めて、正統を伝えるゲーランダ師を訪ねたのです。

「その心がけ、あっぱれである」

聖者は王を弟子として受け入れ、王は政務の合間を縫って、師のもとに通う――というのが、この聖典の状況設定。そして、「忙しい王様(ラージャ)でもできるシンプルなヨーガ」がサンスクリットにおける“ラージャ・ヨーガ”の真意。今日のわたしたちに求められるのは、この意味でのラージャ・ヨーガなのかもしれません。



もっとも、ゲーランダ師はナータ派の聖者ではありません。ヴァイシュナヴァ・サハジヤー(ヴィシュヌ教サハジャ派)、いわゆるバウルに属していました。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-152.html

また、ゲーランダ自身は、“ハタ・ヨーガ”という語を一度も使っていません。“ガタスタ・ヨーガ”と称しています。「壺で在るためのヨーガ」でしょうか。この壺は、おそらくカラシャ(ご神体としての壺)を表わしています。おのれの身体を神を入れる容器とする。

壺、カラシャは次のような順で造られます。

①粘土をこねて、②ろくろで壺の形を引き出して、③タタいて形をととのえ、④乾燥させて、⑤焼き、⑥最後の仕上げをして、⑦神を容れるカラシャとする。

ヨーガもこの順で説かれています。

⑴シャトカルマ、⑵アーサナ、⑶ムドラー、⑷プラティヤーハーラ、⑸プラーナーヤーマ、⑹ディヤーナ、⑺サマーディ。

①の粘土をこねるは、⑴の身体をこねるシャトカルマに相当します。シャトカルマはアーユルヴェーダのパンチャカルマのヨーガ・バージョン。クヴァラヤーナンダは、『ゲーランダ・サンヒター』のこの部分を深く研究することにより、シャトカルマを復元し、ヨーガ・テラピーを確立しました。

しかし、アーサナやプラーナーヤーマといったハタ・ヨーガのいわばメインとなる部分が、こんにち一般に行なわれているそれと大きく異なっていることに驚かされます。

たかだか300年ほど前にしるされた「ホンモノのハタ・ヨーガ文献」の真意が、正しく伝えられていないのです。その間に、イギリスによるナータ派とハタ・ヨーガの大弾圧があったとしても……



3月から、定期講座で使用した資料を加筆訂正した『図説ゲーランダ・サンヒター』をもちいて、『ゲーランダ・サンヒターまとめ講座』を行ないます。

ゲーランダの意図をなるべく正確に復元するつもりです。『ゲーランダ・サンヒター』は、ハタ・ヨーガ文献のなかでは技術論がもっとも充実しているので、それができないと、もったいない。

ご来場をお待ちしています。

ブラフマン brahman ब्रह्मन् 【ちょこっとサンスクリット語】



ブラフマン(brahman)。語源は√bṛṃh(語る/輝く)。インド最初の文献『リグ・ヴェーダ』において、ブラフマンとは、ヴェーダ儀礼の祭官の口から滔々(とうとう)と流れる呪文とその効力の発現を意味していました。
この時代、輪廻思想はまだありません。人は死んだら、あの世で先祖の霊と楽しく暮す。つまり、解脱という思想もまだない。よって、ヴェーダ儀礼は現世利益の魔法にほかなりませんでした。いまの日本でも、密教寺院にお参りすれば、護摩を焚いて、家内安全・事業繁栄・当病平癒・良縁成就……をお祈りしてもらえますが、そんな感じです。僧侶ないしは神官の誦える真言(マントラ)と、祈禱を成就せしめる玄妙不可思議なパワーが、原初のブラフマンだったわけです。
BC.2000年ごろから始まる後期ヴェーダ時代に入ると、ブラフマンは抽象的な至高原理に格上げされます。そして、ウパニシャッドにおいて輪廻と解脱の思想が現われ、
――おのれの本質(ātman)がブラフマンである、と悟らぬかぎり、永遠に生死をくり返す。
というインド哲学の骨格が形づくられていきます。
それでは、至高原理としてのブラフマンとは、いかなるものなのでしょうか。あるいは、どのように考えればいいのでしょうか。ブラフマンを定義する語を2つあげておきます。

ひとつは、√as(~である/在る)が発展したサティヤン(satyam)。「存在、真実、実在」などと訳されます。http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-49.html
すなわち「真実」と「存在」は同義ではありますが、ウパニシャッド哲学の正統を自負するヴェーダーンタ学派は「移ろいゆくもの、時間のうちにあってやがて滅びゆくもの」を「存在するもの=実在=真実」とは認めません。
山々は、たかだか百年ほどしか生きられぬ人間の目には不動と映ろうが、何万年、何千万年という時間を早送りして眺めれば、波のように盛りあがり、崩れてゆくことでしょう。かようなものは、「実在」の名に値しません。
インドの宇宙観は、宇宙は創造と破壊をくり返すと説き、現代科学はこの説を支持しています。すなわち、ビッグバンが起こり、宇宙は打ち上げ花火の花が開くように膨張してゆく。しかし、いつか、宇宙は膨張することをやめて、今度は収縮に向かうのです。そして、全宇宙は一点にまで集中してしまう(ビッグクランチ)。つまり、百億年、千億年という時間の目盛りで眺めれば、宇宙すらも「存在する」とは云いがたい。
かくして、ヴェーダーンタは、つねに変化するもの、転変するものを「偽り」(mithyā)と称し、永遠不滅なものを、すなわちブラフマンのみを「真実」または「実在」(satyam)と呼ぶのです。

もうひとつは、√pṛ(満たす)が発展したプールナン(pūrṇam)。「円満、完全円満」と訳されます。
最古のウパニシャッド『ブリハッダーラニヤカ』第五巻のオープニングを飾るプールナ・マントラは、ブラフマンを、それぞれ数式に置きかえることのできる4つの簡潔な文をもちいて数学的に定義しています。

pūrṇam adaḥ pūrṇam idaṃ pūrṇāt pūrṇam udacyate,
pūrṇasya pūrṇam ādāya pūrṇam eva avaśiṣyate.
  あれも円満 これも円満 円満から円満が生ず
  円満から円満を取り去れば まさに円満が残る

数式で表わせば、
①pūrṇam=adaḥ(あれ) ∴「あれ(未顕現すなわちビッグバン以前のブラフマン)は円満」
②pūrṇam=idam(これ) ∴「これ(顕現したブラフマン)は円満」
③pūrṇam>pūrṇam ∴「円満から円満が生ず」
④pūrṇam-pūrṇam=pūrṇam ∴「円満から円満を引けば、まさに円満が残る」
なお、「円満(ブラフマン)から円満を引けば、まさに円満が残る」というマントラの最後の文は、数学者カントールの「無限の定義」に酷似しています。



インドのもどき料理【コラム】



もどき料理に、ハマったことがあります。
材料は全部植物性なのに、肉の味がする。中国の高級な素菜(精進料理)ともなると、ちょっと見たところでは本物と区別がつかないぐらい魚そっくりの形に作り、味も魚に似せる。
そんな工芸品みたいのは無理でも、自分でもいろいろ作ってみました。
よく知られるのは、ウナギの蒲焼きもどき。水抜きした豆腐とヤマイモとクズ粉に醤油を加えてすり鉢ですり、海苔を貼りあわせて油で揚げる。と、豆腐以下が脂肪の多いウナギの肉のように、海苔の部分が皮のようになる。これに醤油、酒、ミリンを合わせたタレを塗り、蒲焼きにつきもののサンショをふる。すると不思議、ちゃんと「ウナギの蒲焼きの味」がします。
ウナギと名はついても、日本ではほとんど食されないタウナギのもどきは、もっと簡単。干しシイタケを水でもどし、ハサミでぐるぐる螺旋状に切る。醤油をつけて片栗粉をまぶして、油で揚げる。そのまま食べてもおいしいが、野菜といっしょにショウガをきかせた炒め物にすると、台湾なんかで食べる「タウナギ炒めの味」がします。
しかし、この味は、どうやら幻のようです。
ダシのうまみ、油っけ、たぷっとしたタンパク質、食感、そしてオリジナルの料理につきもののスパイスの香り――たとえばウナギの蒲焼きにおけるサンショ――がそろうと、脳がこれまでたくわえてきたデータと照合して、これは肉である、魚である、と錯覚してしまうのです。
「そこまでして、肉らしきものを食いたいのか!」
とコアなヴェジタリアンからお叱りの声が聞こえてきそうですが、ばかす工夫と情熱に魅かれます。

では、精進料理・菜食料理の本家本元のインドではどうでしょう。
ナマグサを食べることすら罪ととらえる傾向の強いヒンドゥー教だから、もどき料理なんてあるはずがない、と思われるかもしれませんが、じつはけっこうあるのです。
まず、約2000年前にしるされた『マヌ法典』に、こんな一節があります。

 kuryād ghṛta-paśuṃ saṅge kuryāt piṣṭa-paśuṃ tathā (Ⅴー37a)
 [肉を]欲するときは、ギーで動物をつくるべし。[豆や麦の]粉でも動物をつくるべし。

『マヌ法典』が編まれたのは、ちょうど菜食主義が広まりを見せるころですが、もどき料理の記述にほかなりません。piṣṭa(粉)とあるだけで何の粉を使うかの指定はありませんが、現在ではベーサン、すなわちチャナ・ダール(ヒヨコ豆)の粉を使うことが多いようです。
ベーサンは、パコラ(てんぷら)の衣にするだけが能ではありません。タンパク質が豊富で、そのうえデンプンにも富んでいるため固まりやすく、肉にばかしやすいのです。
たとえば、ウナギの蒲焼きもどきに相当するほどポピュラーな、カバーブもどき。
ベーサンに、本物のカバーブ(おもにヤギの挽き肉をソーセージ型にして焼いた料理)に合わせるスパイス――コリアンダーの粉と葉っぱ(香菜)、クミン、ガランマサラ、赤トウガラシ、黒コショウ――にヒングやターメリック、塩、ギー、そしてニンニクとタマネギOKならば、そのみじん切りを炒めたものも加えて、水でねり、これを丸めて油で揚げます。
香菜とクミンはヤギ料理には付きものだし、赤トウガラシとターメリックは肉らしい色合いを、ヒングは風味を生み出します。
このまま食べてもいいし、肉らしく切って、カレーで煮込んでもいい。

今では、日本のスーパーでも、ダイズやコムギでつくった「精進肉」が入手しやすくなりました。肉もどきカレーをつくるのも簡単になりましたが、インド料理や菜食に興味のあるかたは、「インドの本物の肉もどきカレー」(ヘンな表現だ)を試してみたらいかがでしょう。

インドではドライのグリンピースをよく使いますが、水でもどしてから煮た汁には、肉もどきカレーにはぴったりの濃厚なうまみ成分が溶け出しています。イタリアンで使うドライトマトのもどし水も、昆布やシイタケに負けないくらい美味しいダシになります。

シャーカーハーラ śākāhāra शाकाहार【ちょこっとサンスクリット語】

今月の【コラム】は、お休みです。

シャーカーハーラ śākāhāra शाकाहार【ちょこっとサンスクリット語】

アーハーラ(āhāra)は、ā(強調)-√hṛ(取る)の名詞化で、「取り入れること/入力」が原意。
アーハーラにprati(反対する/遠ざかる)を冠したプラティヤーハーラ(pratyāhāra)は、感覚入力をオフにするヨーガの「制感」(感覚の制御)をさします。
しかし、アーハーラは「料理/食事/食物」の意で使われることがほとんどです。語末の-aが落ちたヒンディー語のアーハールは「食物/料理」ですし、タイ語の「料理」のアーハーンもその訛り。
では、アーハーラに、シャーカ(śāka;野菜)を冠したシャーカーハーラは何でしょう?
野菜料理ではなく、「菜食主義」が正解です。「野菜料理」は、シャーカ・パートラ(-pātra)。パートラはパトラ(patra;葉)の派生語で「皿」。インドでは、ごはんは葉っぱのお皿で食べましたから。
そして、いまもバナナの葉っぱのお皿が大活躍するタミルナードゥは、世界中の菜食主義者のあこがれの聖地。この地の料理を初めて食べる者は、
――植物だけで、これほど深くて豊かな味わいをつくり出せるなんて!
と、一様にカルチュアショックをおぼえます。世の菜食料理にありがちな単調さが微塵もありません。それ自体のうちに、巨大な文明の存在を感じてしまいます。
ドラヴィダ(タミル)に菜食主義が定着するのは、パッラヴァ朝下のマハーバリプラムで寺院建築が花開く7世紀のことです。

ヴェーダ儀礼は、動物供犠がともないます。牛、馬、羊、山羊が四大犠牲獣とされ、屠られた動物は、とうぜん調理されて(おもに煮込み)食されました。これに敢然と異議申し立てをしたのが、ブッダとジャイナ教開祖のマハーヴィーラ。菜食主義の始まりです。
しかし、それは完全なシャーカーハーラではありませんでした。なぜなら、出家は食を托鉢(たくはつ)に依っていたから。施食を選り好みできる立場にありません。つまり一般庶民の食が修行僧の食でもあったのです。徹底したアヒンサー(非暴力/不殺生)で知られるジャイナ教徒も、初期にはふつうに肉食していたことが、文献からうかがえます。
北インドでは、西暦紀元前後からじょじょに菜食主義が広がってゆきます。その背景には、農業の飛躍的な進歩がありました。
たとえば、ガティ・ヤントラ(ghaṭi-yantra;壺の器械)とよばれる揚水車の発明。牛または水牛の地上をぐるぐる廻る回転運動が2つの歯車を介して水車を回し、それに結わえられた壺が、井戸や谷底の水を汲み上げる――という装置です。インドの灌漑(かんがい)の象徴といってよい。ガティ・ヤントラの普及がインドの曠野(こうや)を沃野(よくや)に改造し、強いては肉食に頼らずとも生きていけるシャーカーハーラを可能にしたのです。
そして、AD.300年ころ、「あらゆる肉食の禁止」をさだめる大乗仏教の戒律が成立します。仏教教団が、インド諸王の庇護を受け、荘園を寄進されたがゆえの完全菜食です。托鉢せずとも、荘園からの上がりだけで食をまかなうことができるようになったのです。
ドラヴィダでは、西暦の始めごろまではバラモンであっても肉食が当たり前でしたが、5、6世紀に、ヴィシュヌとシヴァの信徒vs仏教徒の確執がありました。前者は、肉を放棄せぬかぎり、非暴力と菜食主義を信じる仏教徒よりも優位に立つことは難しかったのでしょう。ゆえに、かれらは、根本教理のひとつとして、肉食の禁止を採用したということです。

インドのシャーカ・パートラが美味しいのは、油とスパイスの使いかたがとびきり上手だから。アーユルヴェーダの薬用オイルが患部にしみ込んで効力を発揮するごとく、スパイスの成分をまとった油は素材を内側から活性化します。
くわえて、南インドでは、北にはないココナッツが、限りない滋味をもって料理をはぐくんでくれています。

左サイドMenu

プロフィール

インド作家_伊藤武(クルシー)

Author:インド作家_伊藤武(クルシー)
 
メルマガ『満月通信』のコラムを載せていきます。
 
講座案内等はこちらでお知らせしています。
http://malini.blog105.fc2.com/

お問い合わせはこちらまで。
yaj612@gmail.com

twitter

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。